カテゴリー「研修・講師・講演」の31件の記事

2009年10月19日 (月曜日)

早稲田奉仕園

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早稲田奉仕園の横で学生に話をした。

奉仕園にはタイ語を習いに行っていたことがあり、ネパールにボランティアに行く話しがあり、毎週打合せに行っていた時期があり、YMCA同盟に通っていた時期があり、シャプラニールに募金を届けに行ったり、性教協の研修をやったり、想い出がある。

学生は不安が沢山詰まっている。

自分が何者でもないので、ポジションの取り方が分からない。しかし、専門家と呼ばれる人だってそれほど自分が分かっているわけでもない。

毎日、人と会い、話をするうちにそれが仕事になる。

毎日することでできることって一杯ある。

結構込み入った料理も毎日作っていると美味しい味になる。

続けること、止めないことが肝要だと思うよ。

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2009年10月13日 (火曜日)

8時間

245キロ走った翌日は、ケアマネ120人に8時間の講義。

自転車なら、時速20キロ平均でも160キロ走ったことになる。これは、相当な距離だ。

午後になると、軽いめまい感じながら、かなりのハイテンションで乗り切った。

今朝は、やはり、5時に目が覚めた。

寝ぼけ眼で着替え、なぜかストレッチしていた。

講義の途中でもストレッチした。

参加者から、「椅子に座って喋ったらどうですか」と言われたが、座ると寝そうで、「大丈夫です」と返事をした。

話は如何でした?

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2009年6月11日 (木曜日)

マニュアルは理念を実現するための手順

先日、施設にとってマニュアルはどういうものかという話をした。

マニュアルは手順であるが、それは、理念を達成するための手順だと思っている。

児童養護施設で生活する子どもたちにとって施設が与えられるものは安心できる「場」の提供と教育の機会である。

留岡幸助は、そのことを「家庭の愛と教育の機会の提供」という理念を掲げ、「家庭学校」を創設した。それが100年以上前の話である。

現在、多くの施設がグループ・ホームというグループケアを実践しているが、100年以上前に夫婦によるグループケアの実践が始まっていた。

それぞれの家庭では、家訓のような方針(理念)があり、教師であり、大人としての生き様を示すことを通じて子育てを実践してきた。

マニュアルは、同じような子どもを作るためでははく、願いを叶えるためのシステムである。

理念を実現するためには、その方法(専門性)が必要だ。

自分の子どもを育てるためにも、専門的ケアを行っている。気がつきにくいけどね。それが、様々な生きにくさやトラウマや課題を持って生きてゆく子どもを育てるには、それなりの、専門性がどうしても必要になる。

子どもの方からマニュアルを見るとどうなるだろう。

自分の生活を手順通りに関わられると思ったらうんざりするだろう。

しかし、大人の願いとして、何を大切にするかについてぶつかってくるとしたらどうだろう。子どもだってそれなりの力を出す準備をするだろう。

そうした相互交流が教育なのだろうか。

留岡幸助が、空知の教誨師をしていた時、密室教誨を一番大切にしていたという。監獄には、重罪を犯した罪人が収監されていた。

その監獄で唯一囚人と2人きりになる場所が密使教誨の場だったという。

そこで幸助は、「形式の隔たりは心の隔たりを誘起するから、君と僕とはこの部屋丈では同等同位置にする。それゆえ今から君と僕とは囚人でもなければ教誨師でもない。・・同じく同胞である、いわば兄弟だ。それゆえ何でも言いたまえ」と言ったという。

これはかなり計算された関りの手順だと感じる。(幸助が意識していたかどうかは別にして)

幸助は、囚人の問題を彼にのみ起因するとは考えず、その社会、環境、教育のシステムにあると考えた。

そして、このシステムを解決するには自分の力量不足を認識した。

その問題に深く関りたいと、その後アメリカに渡り、専門的知識とスキルを身につけて帰国する。

※参考資料 1987年 小林仁美 「留岡幸助の教育観の形成とその展開」奈良女子大学教育年報第5号 

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2009年5月25日 (月曜日)

マニュアルを考える

養護施設サービスマニュアルというテーマで話をする。

資料を探していたら、ディズニーランドのマニュアル=サービス・コンセプトを取り上げている論文を見つけた。

どんな分野も関連している所があり、共通の原理がある。

話の導入としては面白いので、活用することにしてレジメを作った。

なかなか良いものができたと思う。

では、お楽しみに。

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2008年12月 5日 (金曜日)

木の声を聴く

木の声を聴く

神奈川県身体拘束廃止推進モデル施設養成研修で1日話をした。

朝早く、横浜に向い、銀杏並木の見える喫茶店で朝食をとり、今日は、「木の声を聴く」話をしようと考えていた。

はじまるとすっかり忘れていた。

来年、呼ばれた時のためにとっておきます。

ただ、来年まで覚えていられないでしょう。

講師の依頼はブログにありました。時代が変わってきています。

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2008年12月 1日 (月曜日)

身体拘束

法律では、予め犯罪とは何かということを定めている。

それを、構成要件該当性と云うらしい。

つまり、その行為が刑法の条文に該当するかどうかということ。

次に、違法性を検討する。

その行為が、故意であったか、過失であったかを検討する。

構成要件に該当する行為(刑法上の犯罪行為)であっても、実質的に処罰の必要のある行為でなければ犯罪は成立しない。

例えば、刑法35条には、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」とある。

医師による手術がこれに当たる。また、法令に規定がなくても、社会生活上の正当な業務であると認められた行為も処罰されない。

社会常識は時代と共に変わるので、正当という概念も変わることがあると思われるが。

そこで、身体拘束は、刑法の概念では、「逮捕・監禁罪」にあたる行為だと考えられる。

しかし、刑法35条の、その行為が「正当である」とされる場合にのみ、例外的に犯罪にならないといえる。

刑法220条でいう、「逮捕・監禁罪」とは、「不法に人を逮捕し、又は監禁した者は3月以上5年以下の懲に処する」にあたる。

「逮捕・監禁罪」とは、「人の行動の自由ないし身体的移動の自由」を阻害する罪です。

逮捕とは、人の身体に対して、直接的に支配し、その行動の自由を拘束することです。

監禁とは、人が一定の場所から脱出することを不可能、又は著しく困難にし、その行動の自由を拘束することです。

これらは、その方法には制限がない。つまり、結果として制限される場合は、部分的でも全面的でも構成要件になるということです。

身体拘束が正当行為と認められる場合は、「施設は、該当する入所者又は他の入所者の生命又は身体を保持するため緊急やむえない場合を除き、身体拘束その他入所者の行動を制限する行為を行ってはならない」と定めている。

身体拘束ができるのではなく、止む得ない場合以外には「行ってはいけない」という部分が重要です。

違法か、合法かは、のこ正当性が重要になる。しかし、施設の大部分が拘束廃止に取り組み、その成果が出てくる時代になると、身体拘束をすること自体の違法性が高まる。

だから、身体拘束をして利用者に不利益をもたらした場合と、身体拘束をしなったかために不利益を起した場合には、前者のほうがより重い責任を負うことになる。

だから、身体拘束の同意書を取り、期間を決め、モニタリング記録を取り、定期的に見直しをしていたとしても、上記の要件を満たしていない場合には違法となると考えられる。

それに、同意書についても、家族には同意権はないと考えられる。

判断能力が落ちている(ない)人の場合には、成年後見人がその判断をすることになるが、果たして、成年後見人に、身体拘束に同意する権利があるかどうかは難しい判断となる。

つまり、本人の意志を無視して、身体拘束を行うことは、「逮捕・監禁罪」になるというのもうなづける。

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2008年11月22日 (土曜日)

たのしい仕事

専門学校で、社会福祉士として独立すると楽しいことがたくさん待っていると話をした。

特に、良いところを強調して話した。

ほんとうは、もっと楽しいことがたくさんあります。

本日の感想はこちらにコメントください。

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2008年11月20日 (木曜日)

アセスメント(ゴール)

生まれて、生きて、そして今。

これまでのストーリーを読むことがアセスメントなら、これからの物語の続きを想像するのもアセスメントだ。

これからの物語のゴールが何かというと、「死」ということらし。

そうなるとハッピーエンドにはならない。

そして二人は結ばれました。という物語も、その後の悲惨な夫婦生活が待っていたりする。

さらに。

そして、貧乏人は正直に暮らし、お金持ちになりました。という物語だって、その後、会社が倒産して再び貧乏になるかもしれない。

しかし、最後はみんな、同じゴールにたどり着く。

すると、どのようにゴールを迎えるか。

ゴールに着く前の生活がどんなものかが気になる。とっても気になる。

できるだけ、美しくゴールを迎えたいと思う。

そうする為に、今から絵本を沢山読んでおいた方がいい。

僕としては、浦島太郎に憧れる。

いい思いをし、突然おじいさんになるなんて素晴らしい。

そういえば、最近の高齢者は

おじいさんにも、おばあさんにもなれなくて困るらしい。

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アセスメント(サイン)

どうしたらその人のことを解るか。

このわかるは、理解する、知るということらしい。

その人の事を知るには、知りたい気持ちが大切だ。

つまり、どれぐらい知りたいか。その気持ちがどれほど強いかが関係する。

もの凄く知りたくなると、後をつけたり、一日中観察したり、かなり危ない状態だ。

まあ、ほどほどと云ったところがいい。

だから、仕事上でその人を解るということは、かなり難しい。

だって、仕事が終われば忘れてしまう程度なので、その程度、それ程深くない。

そして、その人の動きが気になる。動きは身体に留まらず、心の動きも。

あ、いま、笑ったとか、今の視線は何か意味がありそうだとか、細かいサインを見逃さない鋭さが身に付く。

それも、ほどほどがいいけどね。

サインは、する人にとっても意味があるのと同様、されるほうにも意味がある。

川上監督がバントのサインを出しても、ホームランを打つ長島には伝わらないと、サインの意味がない。

ブロックサインを読むには、それなりの技術がいると言うことらしい。

では問題です。

モジモジして、膝をこすり合わせている人のサインは何でしょう?

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2008年10月21日 (火曜日)

専門学校の皆さん

いらっしゃい。

本日は楽しんでいただきましたか?

私は、疲れて、事務所に戻ってらか、30分ほど簡易ベッドに横になり、鼾をかいて眠りました。

こうして、一人SWは生活しています。

皆さんがいるから僕がいる。

また、呼んで下さい。

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