2008年5月24日 (土曜日)

分化尺度

ボーエンは、依存と分化の関係を数値化した。

それを、分化尺度という。

生まれたての乳児は、主に、その母親に全面的に依存し生きる術を身に付けている。そうした共生関係から人間の生活は始まる。

そんな乳児でも自らの命を保とうとする能力はあり、分化が始まる。

その後、様々な環境と情動の影響により、それぞれの分化レベルが決まる。

「子どもは成長して家族の一員となり、やがて家族から離れていく」。

分化の低い家庭では、家族内の情動が大きく影響し、子どもは自分で考え、感じ、行動しにくくなる。つまり、家族内メンバーに反応して行動を起こすようになる。

思春期の反抗は、そのために起こるという。

親は、子どもが変わったと感じるが、子どもからすれば、「分化」が始まっただけであり、親の反応や家族の情動(ムード)に合わせる力ができてきただけだともいえる。

親は、子どもの反応に左右され、家族間の情動(環境)が不安定になったり、一つの事に拘りが強くなるのは、両親の分化レベルが低いからだという。

両親(または家庭)の分化レベルが高いと、子ども行動に巻き込まれることもない。または、子ども自身が反抗という形を取らない方法で成長する。

ボーエンは、分化は、代々家族で受け継がれてきたものと考えている。

先代の家族を「現家族」と呼び、情動をどのようにコントロールしてきたか、その影響は子どもとの共生関係の中で受け継がれるのもだという。

福祉の世界でいう所の、「再生産」。養護施設の子どもが子どもを産み、その子どもが再び施設に入る。または、虐待を受けて育ったこともが、自分の子どもを虐待する。

分化度の低い世界から抜け出すことの難しさがここにある。それは、個人の問題だけではなく、家族の、その家系の、その集団の、その国の情動が大きく影響しているからだろう。

この分化尺度(分化の傾向)は、家族だけでなく、国民性という集団にも云えるところがあるだろう。

大陸、ラテン、島国、農耕、遊牧、極地、ユダヤ、イスラム・・・といった、生活、文化、気候、宗教、歴史・・・によっても分化的情動は違う。

私とあなたの関係は、それぞれ分化度に加え、原家庭の情動や分化環境(レベル)のみならず、生活域の分化度、民族や国家の分化度も影響を与えている。

では、完全な分化とはどういう状態だろう。

ボーエンによると、「自分の家族に対する情動的愛着を十分に解決した人」に見られるという。この人は、「必要であれば常に集団の中で個であり続けることができる意味から、完全な情動的成熟に達している」

また、分化度が85~95の人は、他者に「情動に巻き込まれることもなく、その人のアイデンティティーを尊重する。自分で完全的に責任をとり、他者に対する自分の責任を確信しており、他者に代わって過度に責任をとることをしない」。

ここまで読んで、鉄腕アトムを想いだした。

アトムは、人間に感情移入することもなく、しかも、人間の幸福を願って行動するという規範をもち、決して裏切らない。

アトムがロボットだから安心できる。アトムのような人間が隣りにいたら、決して友達になりたいとは思わない。

そのアトムさえ、悩んでいた。

ボーエンも、尺度100の特性を持つことは不可能だと言っている。

一方、分化レベルが0~25の人はどんな人だろう。

この人は、感情の世界に生きている。「人生のエネルギーの大半を、『愛すること』と『愛されること』に費やし、また、愛の獲得に失敗したことへの反応に費やす」

そのために、他の有益なことに使えるエネルギーは残っていない。

様々な困難な状況に置かれ、社会的に生きにくい環境に置かれることは想像できるが、最も人間的であるとも云える。

分化度が低く、依存的な状態で生れてきた人間は、死を迎える頃、再び分化度が低くなり依存的となり、その「エネルギーの大半を愛すること、愛されること」に使うようになるようだ。

先日、「みなさんさようなら」という映画をBSで放送していた。

主人公は末期的病気に侵され、自分の周りの家族や友人を情動的に巻き込み、「愛することと愛されること」に全エネルギーを注ぎながら死を迎えた。

皮肉なことに、適切な判断をし巻き込まれることなく正義のために生き抜く主人公より、「わがままで、どうしようもなく、自分の要求だけには素直な」主人公を愛してしまう。

多分、僕自身の分化度が低いためだろう。

テキスト:「家族評価」P102~P120

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2008年5月18日 (日曜日)

個体性と一体性②

「人々が相互に情動的意義を持ち合うような関係では、固体性と一体性の相互作用は重要である」

どうも、その場で起こる作用と反作用は、相互の情動が関係する。

それは、どうも上手く行かないあの人の場合も、なんとなく嫌いなあの人との関係も、気を使って疲れる妻との関係も、ふてくされたコンビにのお姉ちゃんとの関係も、ども関係も、「原因」は相互の情動に関係がある。

その情動のなかの、特定の部分だけを大きく膨らませた場合、苦手意識が生れる。

ああ、「その声が気に入らない」とか、「その態度がイヤなのよね」と云ったものかも知れない。

この過敏ともいえる感情の動きは、相手に「原因」がある訳ではなく、どこか、「引っ掛け」のようなフワフワした「空気」が関係する。

それは、二人が吸い込んでいる空気であり、その場には前から重たい空気が漂っていたように、当然という顔をしている。しかし、空気には顔がないし、そんなもの見えないからややこしい。

見えないけど、感じる。

では、なぜ引っかかるか?

どうも、自分に似たものを感じたり、その感じ(情動)が好きだったり、懐かしかったり、いい思い出と結びついたり、惹かれるものがある。

気がつくとその関係は出来上がっている。

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個体性と一体性

なんだかよく分からないが、情動に関係する。

特定の部分を見て、それで、全体の気分を決めてしまうことがある。

話としては理解できても、理解することでは解決しない問題のようだ。

ものごとは、頭だけで理解できるものではない。感情や情動、または環境や状況によってそれが左右される。

例えば、子どもが学校でいじめられ家に帰ってきた。家庭では、父親と母親が食事をしている。食卓に座る子どもがイライラして食器を乱暴に扱う。それを注意した父親に子どもが反抗する。母親も、それに介入し雰囲気が悪くなる。

という場合。

この家族の不安定な情動は、子どもが原因かというと。それは、一面でしかない。

夫婦の関係はどうだったのだろう。

夫婦はそれ以前からなんとなくギクシャクしていたのかも知れない。妻は、夫の気持ちが遠くに感じていたのかもしれない。夫は、仕事が行き詰っていたのかも知れない。

また、子どもと親の関係だってその「原因」に関係する。

ここまで読んで「はっ」とした。

あることに気づいた。

それは、ある人との関係が上手く行かない「原因」を、僕自身の一面的感情(情動)がそうさせているのだと感じた。

この「感じ」は、頭ではなく体が感じた。

関係の中心にばかりに注意が向き、関係の全体を見ないような力が働いている。バランスを失っているのではなく、バランスを失うことで自己防衛をするような力が働いた。

これはゲームになっている。

ムードを壊している原因は、相手でも自分でもなく、二人の間に漂う情動だったのかもしれない。

「症状」として表われるが、その症状は「原因」を相手に求めることで固着してしまう。そうなってしまうと、システムを変えることは難しい。

関係改善するためには、見えていない部分に、普段のやり方と違うパターンでアプローチすることが必要だ。

しかし、それができるためにはかなりの柔軟性と勇気がいる。

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2006年8月 2日 (水曜日)

家族評価①

ボーエンの家族評価を読みながら自分なりに解釈してみようと思う。

ボーエン「家族評価」

藤縄・福山監修

金剛出版

テキストの291-292

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