2013年4月14日 (日曜日)

niftyさんありがとう

ブログのページを開くと別のページに飛んでしまった。

これは、ウイルスかと心配した。

ニフティーに電話する。たぶんの日本の端の方(そんな声だった)のお兄さんが辛抱強く症状を聞いてくれ、指示をだす。

云われる通りにポチポチよ操作。

すると症状は消えた。

あるがとう日本のどこかで辛抱強くおじさんの話を聞いてくれるniftyさん。

しかし、これは商売になるかもね。

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2013年1月11日 (金曜日)

無題

どこか落ち着かない。

新しい年を迎え、環境の変化はない。

仕事の変化もない。

家庭にも大きな変化はない。

しかし、どこか落ち着かない。

落ち着かないと書けない。

まあ、そんなこともある。

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2012年11月 9日 (金曜日)

健康のバロメーター

何かを書けるということは健康の証拠である。

だから、こんなブログでも書けない月がある。

さっき、今年の記事を印刷したが、6月からスランプになり、8月で最低、10月から盛り返してきた。

書けないときは、書きたくもなくなる。

何でも書けばいいというものではない。

何を書いてもいいという訳でもない。誰も読んでいなくても、自分で納得できないものは書けない。

という変なこだわりがある。

中学生の時、初めてギターを弾いた。

それま、うたは歌手が歌うのもであり、詞は作詞家が、曲は作曲家が作るのが当たり前だった。

それが、誰でも勝手に歌っていいという時代になった。

そんな時代でも、書いて発表するのは、まだ、特定の人にしかできなかった。

だから、初めて舞台で歌った時より、自分の文章が新聞に掲載された時の方が嬉しかった。

それが、誰でも書いて発表できる時代となった。

だからこそ、何を見ているのか、どこを向いているのか、どんな気持ちなのかが重要だと思う。

それが、今を感じることだと思う。

僕は小さな世界に生きている。

僕の周りに世界は、子どもと、妻と、親戚と、友達で大体は構成される。それでも、そこに起きる物語は、世界の物語の一部だと感じる。

世界を語るには、僕が住む小さな世界を目を凝らしてみることから始まる。

物語を語るには健康でいることがとても重要だ。

書くということは身体のバランスが必要で、自分で立つ力が求められる。

何かを食べておいしいと感じ、朝起きて窓を開け、冷たい空気をたくさん吸い込むことが重要だ。

取り入れたものの量だけ、外に出すことができるからね。

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2011年5月 3日 (火曜日)

蛇の夢をみた

毎日、言葉を探している。

しかし、そうは見つからない。

それでも、机に向かって今の気持ちに一番近い言葉を見つけようとする。

考えてもいい案は浮かばないように、時間だけが過ぎる。

このブログは誰に向かって話をしているのか?

きっと、誰も読まないものなら書けないだろう。また、多くの読者がいても、言葉を選び過ぎてやっぱり書けない。

そんなことはないだろうけれど。

だいたい、毎日平均して50人程の訪問者がいる。

(この数が3年以上変わらない)

定期的に訪れる人が半分。

毎年、おことわりを書くが、書かれている物語は、作り話である。

似ている人がいるかもしれないが、似ているだけであり、その人ではない。

しかし、全て作り話を書くことはとっても難しいのでそれもできない。

つまり、丁度いい塩加減の記事が書けた時がうれしい。

コメントに丁寧な返事を書かないけれど、コメントが無いのもさみしい。

まったく、困ったものだ。penguin

*話は変わって、昨日蛇の夢をみた。

ヘビは、相変わらずのろのろ歩いていた。

*少年Aを参照

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2011年4月18日 (月曜日)

FB

岩手の木村さんに勧められ、フェイスブックを始めた。

勧められたことは、とりあえずやってみる。

ミクシーもやってみたが、アクセスすることもなく、忘れられている。

フェイスブックは、友達や仲間と会話して楽しむらしい。

友達とうまくやれない僕にとってはハードルがかなり高い。

だいたい、会話が続かない。

メールでも、要件以外のことは書かないし、ブログのコメントに返事を書かないという無精さである。

それでも、知らない人と話をするのは好きだ。

電車に乗っていると、飴を交換して会話が弾む。

デパートの店員だって、銀行の窓口の人だって、目も前にいる人には話しかける。

友達を検索してみよう?と、コンピューターに言われるままに探すが、誰もいない。

ああ、やっぱり。

こだまでしょうか。

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2011年1月26日 (水曜日)

どうしたら幸せになれるか

こういうタイトルで検索した人からのアクセスがあった。

この人は幸せなのだろうか。

私は幸せなのだろうか?

また、幸せはなるものだろうか?

そんなことを考えながら、奈良のSWとおいしいお酒を飲み、夜の街を歩いていたら、目の前をシカが歩いていた。

鹿は幸せなのだろうか?

そんな思いで鹿の顔を酔いにまかせて覗き込んだ。しかし、鹿は何も言わずにただ歩いていた。

歩いていることがその答えのようであった。

悩みは悩む人の思いが生むことであり、鹿は、悩むこともできないと言っているような顔で、脳みその大きい人は大変ね、という顔をしていた。

そのまま、鹿の後をついていく僕は幸せな人である。

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2010年11月 3日 (水曜日)

少年A

インターネットの中の話は本当ではない。

全部嘘でもないけど。

このブログも説明が少なく、不親切にできている。

それは、そうした構成にしているためだ。

読んでくれる人のために作られている訳ではない。読者全体を考えた構造にはなっていない。かなり個人的な、その人以外には理解できないようなことが多く含まれている。

それでいて、その人に直接伝わらないことを願っているという、かなり屈折したことになっている。

情報は勝手に解釈される宿命をもっていると思う。だとしたら、勝手に解釈できるような、曖昧な文章を目指したい。

たまに、何かを教えてほしいというメールをもらう。

しかし、僕には見えない人に教える何かを持っていない。

それは自分でつまむほかはないだろう。

マザーウォーターの台詞「勝手におやんなさい」が、今も、心に残っている。

そのとき感じたことは、見る人としての私は、説明を求めていた。

どうしてそうなるのかを説明されることを望んでいた。自分の気持ちに近いものを探し、共感したい、別の言葉でいえば、泣けるほど感動したい、そんな感情がわいていた。

みんなで笑ったり泣いたりすることもすてきだけど、劇場を出てから突然笑ったり、風呂に入って涙がでてくるようなことがあってもいい。

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2010年7月23日 (金曜日)

携帯で読む

ブログを携帯で読む。

自分の記事に勇気づけられる。

小さな画面で読むと、心にすっと入ってくる。

軽いからね。

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2010年7月20日 (火曜日)

自分がいくつなのか分らない

Mさんへ

自分のことをよく知っているMさん。

ぼくは、鏡を毎日見ていますが、毎日見ているので、昨日と今日の違いがあまり分かりません。つい、昨日の続きのような顔だと勘違いしています。

先日、遠くから自分を見ました。大きなスクリーンに移っていたその人は、いつも見ている僕とは違う人でした。

その人が自分だとすると、考えなければならないことが沢山ありそうです。

モンシロチョウなんか追いかけていていいのでしょうか。

でも、Mさんは。モンシロチョウの味を知っていると言います。

ぼくは混乱します。

ボーとしていたら、だいぶ日焼けしました。

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2010年3月31日 (水曜日)

携帯を変える

携帯電話を代えた。

ということで、写真のサイズが変わった。

どうして代えたのか?

ブルーツウースという機能が欲しかったからだ。

4代目の携帯電話君。

さようなら

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