カテゴリー「ブログ考」の31件の記事

2009年7月 5日 (日曜日)

中に入れない

桐野夏生の「IN」が朝刊の書評に載っていた。

桐野さんの「メタボラ」ですっかり魅了されてしまった僕としては、名前を見るだけで、かなり興奮する。

ところで、この1週間近く、ブログにアクセスできなかった。中に入れなかった。

原因は、PW(パスワード)の記載を求められ、先日変更したPWを忘れてしまったことにある。変更したこと自体忘れていた。

そこにあるのに、塀の向こう側が見えているのに入れない(CAN NOT IN)ことはストレスとなる。

そういえば、先週からホスピスを探している。

多くの病院は、相談室や地域連携室という初期受け入れ(相談)体制を持っている。

そこでは、患者や家族の悩みや混乱した状況を整理し、次に繋げることをする。電話での相談があるので、受け入れや情報収集、課題の整理は難しい。

多くの病院のソーシャルワーカー(MSW)は、冷静に情報を整理し、次にすること、できることを提示する。

病院にはすぐに入れないのに、「この病院の玄関に入り、ソファーに腰を下ろしたような」楽な気持ちになれる。

しかし、「相談体制はありません」という病院があった。

その病院は、かなりの税金が投入され、経費の削減を進めている。医療体制は整っているといわれるが、玄関には無駄なソファーはない。

また、「・・・の人は受け入れが遅くなります」と、患者を限定する病院がある。

その病院にはソファーが置いてあるが、そこに辿りつくまでには、様々な条件をクリアしなければならない。

中に入れないことが困るのではない。

入れないという気落ちを何処に持っていっていいかわからないことが大きなストレスになっている。

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2008年10月28日 (火曜日)

何を書かないか

毎日のように書いていると、「書くのが好きですね」なんて言われるが、書くのは嫌いだ。

嫌いなのにどうして書くのかといえば、嫌いだから書いているというところだ。その辺が、へそ曲がりの所以であるが。

好きなことは長続きしないと感じている。苦手なものの方が、いいのかも知れない。

その中で、何を書くかということより、何を書かないかに一番悩む。

この悩みにつかまると、なかなか抜け出せなくなり、一行も進まない。

何かを言おうとして、それは「本当ではない」と感じる。ホントウのことを書いているつもりはないが、「ほんとうじゃない」という気持ちにつかまると、止まってしまう。そして、すべてを消す。

長い文章を書いて、推敲する。「これは書かないほうがいい」と消してゆくと、全部消えていることがある。

その程度の文章である。

残ったものがいいものだとも限らない。

あきらめることができた文章だけが残る。

つまり、集中して推敲をすると、自分が嫌になる。だから、ウィスキーでものんでのんびりした気分で、「えい」っと書いたほうがいい。

最近、メール相談が来た。

これは、相談であり、有料である。

しっかりした返事を書こうとすると自分が情けなくなる。

だから、泣きながら返事を書いている。

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2008年9月23日 (火曜日)

1500本

イチロウのヒット数ではない。

ブログの通産記事数である。

数を数えるのは老人の仕事だ。

地球に住む人間の数を数えている人は、その多さに驚き、何とかしなければいけないと思いつつ、毎日数を数えて、それだけで人生を終える。

数字好きの人は、数字が変わることを楽しむ。いくら沢山の数字を持っていても数字でしかない。

いくらお金が好きな人でも、石のお金を集めすぎると、身動きがとれない。

この3年間で何かが変わったのか。

3歳年をとった。

時間だけは忘れもしないで過ぎていく。

忘れるのは、今日が何日かということだけ。

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2008年8月 5日 (火曜日)

仕事の話

仕事はやっています。

が、仕事の話を書くのは難しいです。

難しさには色々ありますが、社会福祉士の仕事の場合、その利用者のプライバシーの問題が大きく関わります。

このブログに登場する人物は、(毎度申し上げますが)そんな人がいるようで、そんな人は存在しないという、フィクションです。

従って、今日あったことを今日書いている訳ではなく、日記ではありません。

一緒に住む少年からも、「仕事をしているの?」とよく聞かれます。

「普通の父親は、きちんとした格好で、毎日同じ時間に出かけて、疲れて顔で帰ってくる」のに・・・。

毎日、違う格好で、バラバラの時間に出かけ、プールに入って帰ってくる父親は、どう見ても仕事をしているようには見えないのでしょう。

さらに、手と足の先半分が黒く日焼けしているのでは、何も云えません。

世の中には説明することが難しいことがあると云うことだけは話をします。

しかし、わかってもらえません。

赤塚不二男のように、「これでいいのだ」と思いつつ、シェーをしている少年の写真を眺めています。

※トキワ荘時代を語り合う藤子不二雄との対談を読んでいます。そういえば、同じフジオですね。

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2008年6月17日 (火曜日)

自転車を買った理由

ブログを続けると、何かを考える習慣がつく。

そして、物忘れが少し止ったような気がする。あくまで気の問題だが。

「福まね」は、日記ではないので、その日にあったことを書いている訳ではない。

知らなかったでしょう。

ホントウのことを書いている訳でもなく、嘘を書いている訳でもない。

何を書きたいのかといえば、物語を書きたい。

一つの物語でも、何年か掛けて「全体が物語る」ようなものでもいい。

ただ、困ったことに、この物語を理解できる人は、僕以外には存在しない。なかなか人の人生は分からない。

それでも、何とか伝えようと、または、伝えたいことが浮かんだときにキーボードを叩く。

それは、車の中で弁当を食べているときに浮かんでくる。

しょうが焼きを食べるとつばが出るように、じわーと出てくる。

出たものが飛んでいかないようにしっかり捕まえることができればいいが、最近体力に自信がなくなってしまった。

だから、自転車を買った。

そう、ロードレイサーを買った理由はここにある。

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2007年9月28日 (金曜日)

運転手さん座ったらどう

「よく毎日書くことがありますね」と言われることがある。
書きたいことが毎日あるわけではない。
例えば今日は、午前中に車で家裁(霞ヶ関)に行き、その後、事務所に寄り、その足で、病院へ行き、老人保健施設に入所する被後見人を横に乗せ、施設に着いたら、洋服が足りないと言われ、洋服を買いに行き届け、家に着いたら、誰も居ないので洗濯物を取り込み、そうこうしているしているうちに少年が帰ってきた。
しかし、そのことは書かない。(実際は書いている)
なぜなら、感動しなかったから。

書くことは、なんとなく頭に浮かぶ。
浮かばないときは書かない。幸い浮かぶことの方が多い。
浮かんでも書かないことのほうが多い。
たとえば、今日一日のことで面白いことも沢山あった。でも文章にしたくないこともある。
被後見人を横に乗せ、運転しながら東京案内をした。施設に着いたとき「運転手さんありがとう」と言われたことは書かない。
施設の部屋に行き、手続きをしているときに、「運転手さんまだ帰えらへんの」と言われたことは書かない。
僕の車の屋根が緑色だから、タクシーと間違えられたのかということも書かない。
荷物を届けに帰ったときに、また、「運転手さん偉いわね、買い物までして」と言われたことも当然書かない。
帰り際に、「チップはあげられないけど」と言われ、手を握ってもらったことなんか絶対に書けない。

これでも自己規制をしている。
文章を作りながらいじくる。脚色することがある。事実からどんどん離れて行き、現実ではない物語が出来上がる。
その方が面白い。
事実を書きたい訳ではないし、まして、何かを訴えたい訳でもない。
自分のバランスを取るためと、自分の歴史を残すために書いている。それもフィクションの歴史だから、何のためにもならない。
何のためにもならないことを熱心に取り組むこと以上に面白いことはない。

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2007年9月 9日 (日曜日)

親指シフト

     

 自宅事務所。
左側に見えるパソコンは、先日突然液晶が割れてしまったもの。
妻が新しいパソコンを買ったので、液晶も貰った、それが右側。
ノートパソコンのキーボードを打ちながら、別の液晶画面を見ると、壊れたPCが目に入ってくるので、ノートPCは閉じることにした。(それになんだか悔しいしね)
そこで、キーボートをどうしようと考えていたら、使っていない゛親指シフト゛があったので,それを使っている。(手前)
親指シフトは、富士通のオアシスで10年以上お世話になった。日本語入力にこだわった傑作である。しかし、パソコンが一般化すると共に衰退してしまった。(そういえば一太郎も)
親指シフトの凄いところは、右手左手を同時に使い、ひらがなを拾うところ。打鍵数が非常に少なくて済む。(親指を同時に打鍵するのでこう呼ばれる)
脳トレにいいんじゃないかと思っているんだけど、どうでしょう川島さん。

しかし、10年前にはブラインド・タッチできた親指シフトも、普段ローマ字入力をしているから、こんがらかってしまい、間違いタッチが多くなる。
それでもイライラしないところは、年齢のせいかもしれない。

 

見えませんが、左手に、熱帯魚が8匹泳いでいます。

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2007年9月 2日 (日曜日)

久しぶりですね 田中さん

ブログは誰かに書いている。
しかし、殆どの読者は、名前を名乗らない。
だから、さびしい。
ココログには、アクセス分析という機能があり、訪問者に名前を付けることができる。
そこで、勝手に名前をつけている。(かってにごめんなさい)

 

それは、こんな具合。
「久しぶりです山田さん。最近ご無沙汰してましたね。今日はゆっくりしていらして」と、なぜか女ことばになる。

 

名前は、果物であったりする。
「りんごちゃん、こんばんわ。いつも夜遅く来るんだね。気をつけて帰ってね」と、身体のことが心配になる。

 

名前は、外国人だったりする。
「ハーイ、シンディー。君は、プロフィールばかりみているけど何か気になるのかい?」と、オーバーアクションで会話する。

友達が少ない僕の、唯一の楽しみです。

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2007年7月28日 (土曜日)

今週は気持ちに余裕が持てなかった。

余裕がないと、余計なことができない。

余計なことができないと、ブログの更新ができない。

つまり、ブログの更新は、精神衛生上とても大事な作業である。

何かを書くという作業は、手で書いてもキーボードを叩いていても、頭の中で「カチカチ」と音がしている。ほんとうに「ちっちっ」と何かがつながる音がする。

毎日、少しでも繋げてやらないと、どんどん切れてしまう。シナプスがばらばらになる。

そのためにも、無駄な時間が大切になる。

散歩やサイクリングもいい。散歩をしていると、いつの間にか迷子になる。

子どもたちと3人で組んで、交差点に来るとじゃんけんをして、どっちに行くかというゲームをして遊んだ。

まず、右に行く人と、左に行く人と、まっすぐ行く人を決める。そして、じゃんけんに勝った人の方の道に進む。

これが、銀座3丁目あたりからスタートすると、思いもよらない裏道に出たり、変な店の前を通ったり、同じ道を行ったり来たりするから面白い。

傾向として、子どもはどんどん先に進みたがり、僕はぐるぐる回ったり、横道にそれるのが好きだった。

まあ、ゲームをしても、自分の人生と同じようなことが起こるものだ。

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2007年7月21日 (土曜日)

ほどほどに

平均30人から40人ぐらいのお客さんの店であるこのブログに、昨日は200人以上のお客さんが来た。

特別の営業をしていないブロガーにとっては驚きだった。

不特定の人に向かって書いているのではなく、あくまで自分の内面とブログを読まない家族に向かって書いているので、戸惑う。

お客さんは少ないと詰まらないが、多くなると怖くなる。

適当な数字を維持したいということろが本音。

そう考えると、ずっと、適当にやってきた。

まじめな性格なのか、いい加減な性格なのかよくわからない。毎日ブログを書くようなまじめさがあり、ものをすぐに忘れ、人の名前も忘れても「ちっとも直そうとしない」不真面目さがある。

ただ、いえることは、「まじめに」取り組んだときには、必ずその次に、大きな失敗をしてきた。

ちょんとやろうとか、「・・・ねばならない」と考えて、何度失敗をしてきたことか。(と言うことは、根はまじめなのか)

調子がいいときの後は、必ず上手く行かないことが訪れる。

だから、適当にやることで安心するところがある。

まあ、ほどほどがいいね。

今日はいつものペースに戻っています。いい調子。

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