2014年5月 2日 (金曜日)

日本という施設を解放しよう

Image 施設養護がホスピタリティーの問題で揺れていたのは40年ほど前の話。 その頃、施設に収容することは人権問題だと西欧では脱施設化が進んだ。もともと宗教的思想から実子以外の子どもを育てることが多く、その考えは受け入れられたのだろう。 日本も昭和の初めまでは養子は多かったのに。 当時、施設を解体しようと考えた人もいたんだろうと思います。しかし、施設養護にこだわったのは当時の施設職員だと聞いたことがあります。それに、厚生省の役人も。 特養だって、入りたい人は少ないのに、入れたい人が施設体制を維持しています。 その体制の中で働く人もいるんです。その人達の勤務条件は昔から厳しいものです。昔も今も。 つまり、権利侵害を受けているのは、子どもだけではなく、日本の体制がそれを生んでいるように感じます。 家庭がその機能を失って随分時間が経ちます。その間、なにもしてこなかったのですから、今更、養子を増やせと言っても現実性はありません。 むしろ、日本を解放することの方が現実的だと思っています。まず、外国人を受け入れることでしょう。多様な人が入り混じり、混沌とした社会になるでしょうけど、その混沌の中から新しい時代が生まれるんだと信じます。

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2014年1月 4日 (土曜日)

月に一回という頻度について

毎月1回会う人がいる。

毎月1回ではその変化が詳しく分からないのではないかを思うかもしれないが、そんなことはない。
毎日会っていてもわないことはわからない。

僕は、母親と年に数回会う。少ないときは年1回。
すると、その変化がよくわかる。
変化が大きくなったのは最近である。
それまでは、年1回しか会っていなくても、あまり変わらなかった。しかし、80を超えるようになってから、毎年少しずつ違っている。
変化することは悪いことではない。
問題なのは、その変化に僕自身が付いていけないことである。本人は変化しているとは思っていない。
だから、仕事で人に会うには月に1回か2回で十分であり、必要なら回数を増やせばいい。この月に1回という回数はとても重要だと感じる。
(たまに会う人の)話に戻す。
そう、あれ、少し違うな。と、感じる時。僕の中に「前はこうだった」という気持ちがある。その、「前」と違うとき、困る。
だって、今までの関わりや、やり方や、感じ方を変える必要が生まれるから。そんなことすぐにはできない。
たとえ母親が変なことを言ったり、僕のことを分からなくても、それだけでは「困った」とはならない。その時、僕の気持ちがその変化に付いていかないことが困る。
すごく動揺する。可愛そうになったり、不安になったり、怒りが生まれたりね。
そんな気持ちを相手はわからない。
「ところで、何しに来たんだ」なんて言う。

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2013年10月20日 (日曜日)

いつもと同じように笑いあう

母親が**病になった。

見た目は変わらない。
言っていることも変わらない。
もともと、僕と同じように意味不明な行動をとるところも変わらない。
病気とは名前である。
名前をつけると分類ができる。だから、治療をするとき、症状に応じた対応ができる。
しかし、名前をつけても治らない病気だってある。
そもそも生きている細胞は時間の経過とともに老化する。
それは病気というより運命である。
見守るしかない。

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2013年10月15日 (火曜日)

子どもとの距離

子どもと話をする。

正確に言うとインタビューをした。
子どもと話をするのは、大人と話をするより難しい。前置きはいらないけれど、笑いは必要だ。
言葉数は少ないのに、言葉の奥に含まれる意味はとても深い。
その後、一緒にお昼を食べた。
それから遊んだ。
僕は近づきないようにすると、子どもたちは集まってきた。

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2013年9月17日 (火曜日)

イライラをまき散らす

イライラした顔をしている。

イライラした人は、文句を言っている。

文句をいい、イライラを振りまき、険悪な空気を作り出そうとする。

その空気を吸うと、頭がマヒしそうになる。

窓を開けろ。

空気を入れろ。

そんな声が頭の後ろ、耳の左から聞こえる。

ぼくは黙っている。

聞いているようで、聴いていない。

感情はどこかに飛んでいく。

こんな生活をしていてはいけないと感じるのだが、なにもできない。

まあ、こんな日もあるけど、次の日は曇りぐらいになる。

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2013年6月16日 (日曜日)

父の日

今日が父の日であることをサザエさんで教わった。

母の日はあんなに盛り上がるのに、父の日は忘れられる。

少年に「今日は何の日か知っている」と聞いてみた。

すると、疲れているのに、めんどくさいことを聞くなという目で見られた。

父の日は、子どもがいま、ここにいることを父親が感謝する日である。

まあ、何も変わったこともなく、子どものかわいい姿を見られる日であれば最高だ。

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2013年5月16日 (木曜日)

傍にいると

子どもは大きくなる。

子どもが大きくなっても親は大きくならない。横に広がることがあっても。

外国では、18歳になると家を出て自立する子が多いというが日本ではまだ少ない。出て行ってもいいと思うけれど、そうもいかない事情がある。

僕が家を出たのは19歳の時だった。

よく言覚えていないが、一人暮らしが突然始まった。まあ、ろくなことはなかったが、親の知らない暮らしが始まった。

その点、子どもと一緒に暮らしていると、双方が見なくてもいいとこまで見えてしまう。

それがいけない。

大きな子どもと、小さな大人が近くに寄り過ぎるとロクなことはない。

ある程度の距離があった方が幸せだね。

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2013年5月 4日 (土曜日)

そこは入ってはいけない

子育ては難しい。
それは、親が充分には育ってないからかも知れない。
子どもは、親を見て、親の行動をまねる。だから、モデルとしての親の役割は大きい。
モデルの一般性はない。一人ひとり、ひとつ一つ特別性があるだけ。
その個性が強くても、子どもは迷う。個性がないと、いらいらする。
まあ、満足するモデルはないということかも知れない。
かといって、モデルが暴走してしまうと、モデルを失った子どもは迷子になる。
迷子の子どもを探すときほど、辛いものはない。

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2013年5月 1日 (水曜日)

それは誰のせいか

行動の原因を他人に求める。

それは、君が悪いせいで、僕は被害者だからと。

自分に対して圧力をかけてくるような人は悪であり、優しい人が味方だ。

こんな気分は、子どもたちだけではなく、日本の雰囲気にある。

中国や朝鮮(半島)の人が悪いので、日本は被害者だという空気がどこかにある。

幸い、僕らは、全てのことに対して(戦争をも含めて)被害者であり、加害者であることを歴史から学んできた。

完全な勝者がいないように、完全なる加害者(被害者)はいない。

また、国家と個人は別の存在=人格である。

国家というものは暴力的な力を発揮できる力を持っている。力とは使い方により良くも悪くもなるのだから。

かの国には、良きものも含まれている。

残念なのは、良いものが含まれていても、全体としては悪い方向に向かうことがあるということあろう。

でも、自分はどんな考えであるのかを話すことはできる。

一人ひとりの考えが違っていても、全体として好い方向に向かうことはできる。

皆が一緒になって進むより、みんながばらばらで進んでいくこともできる。

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2013年4月26日 (金曜日)

怒る人

怒っている人が隣に座っている。

怒っている人は、疲れているのだろうか。

僕が怒っている時は、だいたいお腹が空いているけど。

最近、怒っている人は何かを訴えたいんじゃにかと思うことがあった。それも、怒る人に関心があったり、怒る人の関心を引きたいんじゃないかと思ったりする。

隣に座っている人の場合は、何かを食べさせればいいとして、電話で怒っている人には何をすればいいだろう。

話に合わせると怒りが増すし、話を変えるとさらに怒るし、結構めんどくさい。

僕も結構めんどくさいと思われていることだろう。

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