カテゴリー「中込先生の思い出」の10件の記事

2008年7月18日 (金曜日)

背中

かさかさの

小さい手よ

かさかさの人生の端

にぎってしまって

中込先生の顔を忘れそうだ。

それでも、街で会うおばあちゃんの中に、足の速いおばあちゃんの中に、中込先生を見る。

どこにでも顔をだし、何にでも関心を持ち、人生の端を握って生きていた。

いま、「花かんむりの子どもたち」を見ている。

帯には、「泣きたい時にはね、泣いたっていいんだよ」と、書かれている。

先生の隣りには、泣いている子どもが沢山集まっていた。

泣きながら、世間の、父親の、学校の先生の、施設の職員の文句を言っていた。

文句を言っているときの子どもたちの目がキラキラする。

そんなに文句をいいながら、泣くしかできない子どもを抱えている先生の背中が好きだった。

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2007年7月21日 (土曜日)

それでいいよ

これでいいという 訳でもないが

それでいいのよ それでいいのよ と

思って生きています

 

言葉と言うものは面白い。そのときは何でもない言葉が、後からずっしり重くなったりする。

先生からもらったこの短歌が最後の言葉のように感じる。

 

片側をみている自分の

片側を射る白い目が

にたりとわらう

 

結局、自分の表を見ているようで、それが裏だったりする。鏡に映る自分は自分ではないのだから、僕はどこにいるのだろう。目に見える自分といったら、キーボードを打つこの右の手と左の指だけ。

 

もう一つの顔が後ろにございましす

それも

あなたのものなのでしょう

そうか。

もう一つの顔があったのか。表面ではなく、自分は内面にあるのだと。

 

花抱いて

いそぐ少年なにごとか

さみしい顔でありたることよ

 

少年はどこに行くのだろう?

その顔は、後ろを振り返らず、遠い目をしていることだろう。

 

説明の

つかないことがありまして

雲ひとつ浮く

ただ広い空

 

書道の先生から唯一習った字が「雲」

どうしても雲が書きたかった。

なぜかって?

説明できませんがね。

 

間に合わないことばかりなり

私を残して

大きく日は沈みたり

どんなときでも日は必ず沈む。

追いかけようとすると、太陽はどんどん逃げていく。

待っていればまた会えるのに。

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2007年4月 6日 (金曜日)

めざしの子

子どもと4歳の時に別れてから会っていないという話を聞いた。

子どもの施設に勤めているとき、子どもが大きくなると、「親に会わせるべきか」職員でよく話し合った。
しかし、子どもの方が職員よりしっかりとした意見を持っているもので、自分なりにどうすべきかを決めていた。
中込先生は、子どもの親を探しに山谷まで行き、そこで野本三吉と会った話をしてくれた。
子どもは、親が思うほど、親の事を悪く思ってはいない。むしろ、親がいない事の方が不安だという。
自分がどこから来たのか、その元が知りたいと親を探す。それは、親に会いたいという気持ちと同時に、自分を知りたいという気持ちのようだ。
だから、たとえ酷い親でも居てくれることで自分のルーツはつかめる。しかし、行方不明の場合、自分がどこから来たのかが分からないから不安が大きくなる。
親が子どもに会いたいのと同じに、子どもの方も親に会いたいと思っている。
鳥海昭子はいう、
「こどもは皆、お父さんとお母さんからうまれたんだよ」と
自分の今があるのは、お父さんとお母さんがいたからで、そのお父さんとお母さんにも、それぞれ、お父さんとお母さんがいる。
当たり前のことでも、ずっとずうっと前から繋がっていると思うだけでなんだか安心するものだ。

 わからないことだってあるさ 昨日ころんだ傷が今日いたみだす

 種をかめば 種のにがさよ 逢うことのさみしさに似てしのびおり

 何の関係があって めざし4匹ひと連らとなる

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2007年2月27日 (火曜日)

冬の水は冷たい

「ウエスト・エッグ村にはどう行けばいいのでしょうね?」と彼は途方にくれた声で尋ねた。
グレート・ギャッビーを読んでいた。
突然、次ぎの短歌が頭の中に浮かんで消えなくなってしまった。

 

抱ける分量だけにしてください。くらやみに卵わたされる

 

 卵を渡されたのは鳥海昭子だ。
彼女が子どもの頃の話か、それとも、その時の話なのだろうか。
僕は子どもの頃、養鶏場に住んでいた。どうしてそこに住むようになったのかは分からないが、毎日鶏の声を聞いて目覚めていた。
生んだばかりの卵は温かい。そっと抱いていると、ヒナが孵るのかと真剣な気分になる。卵を渡されるということは、なにか、僕のことを信用してもらったなといういい気分になれる。それも、一つでなく、いくつか。しかし、いくつも渡されると気が重くなる。そんなに信用されていいんだろうかと考えてしまう。それも暗闇で相手の顔が見えない。卵ばかり見てしまって、そこに居たのが誰だったか思いだせない。

 

あしたはうごくから とどかない手へ 手をさしのべる

 

 手をつなぎたいと思うことがある。つなぐと言うのは、つなぎたい人が握り、つながれたい人が優しく握り返してくれる時に感じる感覚だと思う。
浮き草のような僕は、明日を信じたいと思い、届かない手でも差し伸べたい。

 

足りないものは 足りないままに美しいと十一月の風がそういう

 

風がそういうんだから、間違いないだろう。
そういえば、高校生の頃、かぜこうじというDJが居て、毎日「かぜさんこんばんわ」と、手紙を書いていた。
かぜさんは、丁寧に高校生の質問に答えてくれた。

先生、今の気分は、こんなもんです。

 

計算のはずれたところから 水でっぽうの水にうたれる

 

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2006年10月 9日 (月曜日)

梟は黙って語る

中込先生(鳥海昭子)の一周期の会に出席した。

家庭学校の子どもたちと再会。

先生が逝ってから1年、家庭学校を辞めて15年、先生に初めて会ってから25年が過ぎた。

子どもたちの顔を見ていると、15年前、20年前のことを昨日のように思い出す。その頃、幼児だった女の子がきれいなお姉さんになっている。中学生の子は、母親に。または、立派なおじさんになっている。

家に帰れば母親であり、父親である彼らも、ここでは、「あの時は、・・・」と楽しそうな子どもの顔になれる。

大人になるのが「怖かった」という。

母親になるのはもっと不安だったろう。「でもね、先生。いつの間にか年をとって、あたしもう31だよ」とニコニコ話せる。

井の頭公園が見渡せる店で、会話が弾む。店の外の木には、きっと梟になった中込先生が見ていただろう。

みんながしっかりと成長している姿を。

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2006年8月 6日 (日曜日)

それでいいのよそれでいいのよ

空が新しい今の私が鮮しいそんな瞬間がどこからくる

花びらが小さな渦を二つ三つひきつれて低い風の行く道

「鳥海昭子のほんのり入院記」を読んだ。

本というのは面白い。そこに居ないのに、僕の頭の中には、中込先生が籐の椅子に座っていて、その声がはっきりと聞こえてくる。

この本は2003年4月発行。その半年前に、「今度入院したことを本にするよ」と聞いていた。その6年前に大手術をし、その後も入退院を繰り返し、その間も短歌を作り、出版をしていた。そのバイタリティーには何時も驚かされたいから、入院記を書くと聞いても、「やっぱり記録したいんだな」と思ったぐらいだった。

最初の章は、「6年目の告知」とある。

日曜の夕飯時に、6年前に手術した主治医のことが話題となり、無口な息子が口を開いた。「このぐらいのケースに・・・」。

それは、母の病気がすい臓がんであり、執刀医によると「すい臓のがんの治療は難しい、5年後の生存率は30%ぐらいです」という宣告だった。

息子は先生に、「とりあえず母にはしらせない」と答え、とりあえずが6年経ち、その日を迎えた。

その日の手帳を見ながら親子で「この図のここの所ががんで、これが・・・」と話している姿が目に浮かぶ。

先生は、「そう」と答えているが、かなり動揺したと書いている。

動揺して話を聞いてはいるが、息子が聞いたその6年前の戻っている。そして、「5年後の生存率は30%」と聞いた息子になっていた。

その6年の間の時間を埋めるように、この本は書かれる必要があったのだろう。

それにしても、第三者として自分を見つめて作品を創り続けるその勇気はすごい。

先生、先生の言葉を今も僕は聞いています。

簡単には出ない答えと気づくとき足元をはげしい土ぼこり過ぐ

季外(ときそ)れて咲くタンポポの小ささよそれでいいよのよそれでいいのよ

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2006年7月 2日 (日曜日)

わからないことだってあるさ

わからないことだってあるさ

昨日ころんだ傷が

今日いたみだす

中込先生がいたときは、よく相談に行った。

浜田山で下り、先生の家まで歩いて5分。道すがら、これを話そう、あれも話そうと話の内容を考えていくんだが、家にあがるとすっかり忘れ、全く違った話になる。

だいたいは、先生「義男がね」と、子どもの話になる。(この場合のせんせいとは、僕のこと)

先生の頭には子どもの顔が何人も入っているようで、突然現れては、事件を起こすらしい。

話に行ったのに、なぜか聞く方に回る。

先生は話がうまい。

民話を聞いているように、子どもの話をする。少しだけ、悪口を入れて味付けをする。味付けも上手だ。

そんなに話が上手なら本にしたらいいと言ったら、それから何冊も本を出した。やることも早い。

ひとりで泣く場所がほしいと

正直な十四歳が

ぼそぼそ言えり

ウチの12歳も一人の時間を持つようになった。そして、一人になれるのはしっかり甘えた後である。

そんなことも話したかったなぁ。

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2006年5月 7日 (日曜日)

夕方の匂い

「花かんむりのこどもたち」を久しぶりに読んだ。

そういえば、中込先生はもういない。

僕が転職をするたびに、講演会を開いた。経堂の子ども家庭支援センターで、青山の高齢者在宅サービスセンターで、今度は下井草で開催する予定でいた。

テーマは、子どものことであったり、短歌のことであったり、時代の中で失われた「貧しさ」のことであったりした。

講演会には、必ず送り迎えをした。車で浜田山の家まで送っていった。そして、家に上がりこんで話をする。

そう、何とか都合をつけて家に上がりこんで話をすることが、講演会の目的であり、演題はどうでも良かった。

青山での講演は、慶応病院の通院時に行なった。信濃町の近くのレストランで食事をし、そのまま北青山の施設に向かった。

外で会う先生は、少しおしゃれをしていた。いつもと違う話をした。

先生は、若い女性のように食事をし、土井たか子のように社会に対して怒っていた。

二人とも、施設を辞めているのに、どうしても子どもの話になった。

「そういえばね、この前、彰子(仮名)が僕の家に遊びに来たんです。

家に入ろうとすると、玄関の前で止まって。それで、なにか匂いを嗅いでいるんですよ、

そうして、言うんです。「先生、これが家庭の匂いってもんだね。いいにおいだね」って。

その日は、僕が作ったカレーだったんですよ。そんなにいい匂いだったんでしょうかね」と。

「そうだよ、いい匂いだったんだよ」と、先生と外苑並木を歩きながら話した。

・「花かんむりの子どもたち」ユック舎 鳥海昭子

そういえば、この本が全国図書館の推薦書になり、全国の図書館で読まれることになったことを喜んでいた。

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2006年3月11日 (土曜日)

鳥海昭子、歌人

どうにもならない今生であり旅人の私に犬がついてくる

つまり許していくことであり 黙々といんげんのすじをとっている

あしたはうごくから とどかない手へ 手をさしのべる

足りないものは 足りないままに美しいと十一月の風がそういう

抱ける分量だけにしてください。くらやみに卵わたされる

(歌集:花いちもんめ 玄王社 昭和59年より)

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2006年1月 7日 (土曜日)

出会い

昨年10月9日、中込昭子(鳥海昭子)先生逝去の知らせを受ける。

先生の思い出を定期的(気の向いた時)に記したいとおもう。

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