値切る
見積もりがでると、とりあえず値切る。
すると、相手が値段の必要性を説明する。
その説明を聞いて価値を認識する。
それから、別の所を探し、削れるか聞く。
すると、相手が、削った場合には後で余計に経費がかさむと説得にかかる。
その説得に負ける。
それならと、こうした場合はどうなるか質問する。
すると、その場合はこうなるといわれる。
最後に、それで、全体でどれだけまけられるか問う。
それなら、これだけにしましょうといわれ。
合点する。
見積もりがでると、とりあえず値切る。
すると、相手が値段の必要性を説明する。
その説明を聞いて価値を認識する。
それから、別の所を探し、削れるか聞く。
すると、相手が、削った場合には後で余計に経費がかさむと説得にかかる。
その説得に負ける。
それならと、こうした場合はどうなるか質問する。
すると、その場合はこうなるといわれる。
最後に、それで、全体でどれだけまけられるか問う。
それなら、これだけにしましょうといわれ。
合点する。
Aさんが思うようにならないと感じているBさん自身の気持ちも思うようにならない。
かといって、AさんがBさんの思うような行動をとったとしても、それはそれで気分のいいものでないことをBさんは知っている。
思うようにしたい訳ではなく、思うようにならない自分に対してイライラする。
毎週土曜日に丸くなった集団ができる。
その集団は順番に自由に話をする。自由に話をするとはなんて不自由なんだろうと2週目くらいに感じてきた。3週目になると辛くなり、4週目になると諦めの気持ち。
それでも休まず土曜日の朝を迎え、会場に足を向けるのは、その不自由さが気持ちいいからだ。
自分の話をすることくらい面白くないことはない。
誰かが聞いてくれるから話をするのであって、聞かれていないのに話をするとホントウのことをつい言ってしまい後悔する。
そう、毎週後悔ばかりして終末を迎える。
後悔は引きずる。
それでも生きてゆけるのは、だれも他人の話を聞いてはいないからだ。
みんな自分の話の後悔で精一杯になっている。
右手に漆のフォーク、左手に匙を持ち、はじめは寒天をつついていた。
しかし、まどろっこしくなったのか、匙ですくいはじめた。
鶴さん(仮名)とおしるこ屋に入ってクリームあんみつを注文した。
鶴さんは、さっきから嬉しそうに喋りっぱなしである。
「こんな美味しいものは生まれて初めて食べた」と何度も繰り返す。
そして、「あんたも食べなさい」というが、アイスクリームとあずきを混ぜるのに集中しているので、顔は下を向いたままだ。
こんなに幸せな人はいないんじゃないかという顔をして食べることに集中し、それでも喋ることをやめない。
しまいには、器を持ち上げ、最後の一滴まですくいあげた。
鶴さんが美味しそうに食べるのを見ていた。
ずっと、一言も喋らず見ていた。
見ていて全く飽きなかった。
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ロジャーズの自伝を読んでいる。
クライエントという言葉を遣い、その力を信じていたロジャーズだったが、一番信じて欲しかったのは自分の可能性だったようだ。
厳格な家庭で育ったことが彼の人生に与えた影響は大きかった。
家庭や親の影響により人との距離の取り方が違ってくると思う。
特に、困難な関係であった人と和解したり、その人が近寄ってきたりすると、距離感を掴めず揺らいでしまう。
今日も、クライエントから依頼の電話があった。
電話を掛けること自体勇気のいる仕事だということを知っているので驚いた。依頼内容は大きなことではない。すぐにでもできることであり、誰がしてもいいようなことだった。
クライエントは云う、「すぐに来て欲しい」と。
さてどうしよう?
厳格でない家庭で育った僕にとって親との距離の取り方はそれはそれで結構難しい。
それに期待を受けて育ってこなかった子どもの特性として、深い関係を結ぶことができない。用がなければ親にも会いにいかない。
先日、クライエントの関係者に電話をした。
他人だから冷静に話せることもあり、家庭内の関係調整をすることがある。
何年、何十年という時間が流れていたりする。
大きな溝があり、近づくことさえできない場合もある。
それでも、距離がどんなに遠くてもたどり着けないことはない。また、どんなに近づいても0より近づくことはできない。
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被後見の関係者と電話で、あるいは面接をすることがある。
当然、初対面の相手である。
面接や電話がうまく進むかどうかは、初めから予想がつく場合と、全く予想できない場合がある。
悪いほうの予想はつきやすい。
本人とのそれまでの関係や人生歴から大体の成り行きは想像できる。
しかし、本人が長年連絡を取っていない場合は、相手の気持ちがつかめない。
そのため、電話などは、連絡をした要件を初めに伝える。
突然の電話を詫び、本人との関係を伝え、要旨を伝える。
何のために電話し、電話をしなければならなかった目的をまず伝える。
それからは、相手の話を受け止める。
あまり長い説明をせず、相手の出かたを確認する。
関りたくない場合には、終了する。
しかし、できれば、A又はBを選択する可能性はないかを確認する。
この、A又はBについては、電話する前に選択可能な点を探しておく。
そう事前の準備が大切であり、準備しだいで可能性も広がったり狭まったりする。
それに、相手にいい印象を持て貰うために、電話をしっかり持ちお辞儀を丁寧にする。
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利用者の交えない担当者会議の出席を断りました。
後見人は利用者本人だと云われます。
実際は本人にはなれないので、本人のように振舞うだけですが。
それでも、本人に代わって担当者会議に出席したりします。
でも、参加しないこともあります。
担当者会議の目的がどこにあるのかを確認し、会議の開催が必要かどうかによります。
しかし、参加しないことの後ろめたさは感じます。
会議というのは、目的が明確である場合でも、次第に、会議をすることが目的になります。
情報の共有をするためということもあり、とりあえず集まって確認することもあります。
それらを否定するつもりはありませんが、会議の中心議題が自分ということになると話は別です。
自分のことを話し合うために人びとが集まるというのなら、その目的が明らかでないと不安です。
ほっといて欲しいと思うこともあります。
また、プランを決める会議を開いて、その後、「こうなりましたので宜しく」といわれましても、「そうですか」とは云いたくありません。
そんなの自分のプランじゃないと思います。
そう思うほうが当然です。
反対したり、否定したり、自己主張したりすることが難しい日本です。
主張する中に、その人の本音があります。
それを汲み取って欲しいのです。
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一人暮らしの人が人生の終末期、家で暮らすことは難しい。
それは、本人にとってではなく、回りの大人にとって難しい。
本人の意志とは別の常識が働き、「施設へ」又は「病院へ」という話になってしまう。
在宅を支えるためにケアや医療制度がある。しかし、ケアや医療は、在宅向きの人には厚い支援を行うが、在宅に向いていない人には限界があるという。
その「向いている」とは一体どんのことかといえば、ケアや医療の「持分」をさしているようだ。
ケアや医療の専門性が高まるに従い、持分が細分化された。ここまでは在宅で、ここからは専門的施設でということになる。
それは、そのほうが専門的な治療、養護、関りができるからだと云われている。
そういわれる場に、本人はいない。
何しろ、本人は判断能力が衰えている場合が多い。
選択肢が家以外になかった時代にはどうしていたかといえば、どんな状態になっても見守ることを続けてきた。
ひたすら祈ることしかできなかったのかもしれない。
それが、専門性が高まり選択肢が増えた現在。黙って見ている事は悪いことでもしているように見られる。
何がいいのかは分からない。
ただ、そのままにしていて欲しいという選択もあるように思う。
ここまできたら、旨いものをたらふく食べてみたいというような人もいれば、節制して1分でも長く生きていたいと思う人もいるだろう。
それは、その時にならなければ分からない。
ただ、分かるのは本人以外にいないことだけは確かだ。
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説得できないことを認めること。
アンドレ=コント=スポンヴィルによると、「寛容であるとは、すべてを容認する」ことではないらしい。
寛容でないボクは、容認できないで苦しむことが多い。
先日、少年の高校の入学式で、校長先生は感謝することを話していた。
まず、感謝してしまうことからはじめると、少しは寛容になれる。
それは、説得できないことを学ぶことに繋がる。
自分のペースでないことにより容認できないことは多い。
今日も、電話をしていて説得している自分に気がついた。気がついた瞬間から関係は変わる。これは説得できないと感じた時から、感謝に変えることにした。
その後、訪問した老人はいつも感謝の言葉を述べている。
寝ていたかと思ったら、突然目を開け、「あっ、そこに居たのかありがとう」と、そこに居たことまで感謝されてしまった。
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被後見人の定額給付金の申請書が届き始めた。
しかし、在宅の場合、転送されないので、役所に事情を説明して転送してもらう手続をとらなければならない。
また、行政により書類が違うため、後見人が代理記入する前に確認が必要だ。
申請者の印鑑を「押さないでください」という所と、「後見人の印鑑を押してください」という行政の対応があった。
特に、申請者と受取人の口座名義が違う場合は問題となりやすい。
さらに、後見人である登記事項証明書などの書類が必要になる。数年前のものであると、再度取り直す必要も出てくる。
もっと、簡単に申請ができるといいのだろうが、行政の事務量を考えると大変なものになる。
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「どうしたらいいでしょう」と言われて、すぐに解決策を出すと殆ど失敗する。
どうしたらいいか?
という問いは、「どうしようもない」という意味を含んでいる場合が多い。
「どうしようもない」と感じているのに、どうして「どうしたらいい」かを聞くのかといえば、救われたいからだと思う。
僕自身、胸がドキドキしている。
だからと言って、どうしようもないのに、「どうしてだろう」と聞く。
誰も「どうしてか」なんて分からない。
分かっているのは、そうしている、そう感じている自分がいるだけだ。
「どしたらいいでしょう」と聞かれて、「どうしたらいいでしょう」と応えればいいかというと、そんなに簡単でもない。
本当にどうしたらいいか分からないのでは頼りないし、どうしたらいいか人事のように感じられても呆れるしね。
だから、考えていては、対応はできない。
考える以前に感じているかどうか。
だから、どれくらい「どうしたらいいでしょう」を言っているかが問題になる。
役者が台詞を自分の事のように言える様になるまでには、それなりの修行が必要だ。
生きる意味を問われると、生きている時間とその中身が問われる。
問われると何もない自分が分かってしまうから怖いね。
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支援者の家でハーモニカの演奏を聴いた。
ゆったりした時間だった。
何度もリクエストをした。
支援するとかされるとかの関係とは別に、お互いに何かを感じることができる瞬間が嬉しい。
なかでも音楽は言葉で云えない感情を伝えることができる。
ハーモニカを聴きながらその人の歴史を考えた。
前に演奏した時には、誰がそこに立っていたのだろう。
演奏しながら、子どものことを思い出したようで、少し悲しい顔になった。
夕焼けに映る顔が赤い。
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訪問時にお菓子を持っていった。
お土産である。
お菓子を食べることは楽しみであるが、施設に入っているとなかなか甘いものに触れる機会がない。
お八つに出るお菓子は、甘いが、どこか甘さに遠慮がある。そんなに遠慮しないでもっと甘いものが食べたいと花子さんは言う。
お寿司もマグロのトロが食べたい。
お貸しもしっかり甘いものがいい。
別れ際に、「来月も待っているよ」と、いつもより粘っこい眼で見つめられた。
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11時過ぎに食堂でお昼を食べている人たちを見た。
病院の話し。
看護婦さんに、「夕食は当然6時ですよね?」
と聞くと、
「5時半です」と教えてもらった。
朝食が8時で、お昼が11時半、夕食が5時半だとすると、9時間の間に3食食べることになり、残りの時間はお腹が空かないように寝ているということだろうか。
職員の勤務を考えるとこうなうのか。
効率的な仕事を考える時代ではない。
むしろ、仕事をシェアする時代が来ているのだから、給与を分け合い、人を増やし、夕食は7時から8時にして欲しい。また、お風呂は夜に。
当たり前というのは怖い。
病院の当たり前を変えるにはどうしたらいいのか?
看護師が少なくなり効率的な「作業」を目指すと、患者の人権が侵される。
それでいて、患者は発言できないしくみになっている。
お金を払っているのは患者なのに。
それに、医療的なケアを受ける時間(期間)はとっくに終わっている。
それでも彼らは云う。
「置いてもらっているだけでありがたい事ですよ」
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昨年、身体拘束廃止への取り組みの話をした。
そしたら、今日、被後見人の身体拘束の同意書に関する依頼があった。
病院や施設では、身体拘束の同意書を取りたがる。
取りたがるのには、理由がある。
国は、身体拘束廃止の取り組みをしている一方で、身体拘束を行う場合の条件を定め、そこに、家族などの同意書を上げている。
実際は、緊急止むを得ない場合であり、生命に危険な場合であり、さらに、一時的であるというかなり条件を定めている。
それにも関らず、同意書があれば「大丈夫」的な取り組みが進んでいる。
困ったことだ。
さらに、同意とは「同意権」がある場合に行われるものであり、家族は当然のように同意権を有する訳ではない。
まして、身体拘束(逮捕・監禁罪が適用されるような行為)に関して、他人が同意権を行使できると考えるほうがおかしい。
当然、成年後見人の業務ではないと考える。
じゃあどうするんですか?
とすぐに聞く人がいる。
それは、あなたが考えることでしょうと答えておきましょう。
結果、どうなったかといえば。
同意書にサインせず。また、当面様子を見てから考えましょうと先送りにすることになりました。
何の成果もないかというと、そうでもない。
そんなことを繰り返しているうちに、いい知恵が浮かんでくると思っています。
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思惟子さん(仮名)はベッドに横になっている。
「思惟子さん。ねむいのですか?」と聞いてみた。
「いえ。ねむくはありません」と明快な答えが返ってきた。
「じゃあ、起きませんか?」と提案すると、思惟子さんは、
「なんだかムカムカするから、起きられません」と、また、はっきりと応える。
「ムカムカするんですね?」と聞くと、
「そうです」と返事をする。
そんな当たり前のことは聞かないでくださいという顔をしている。
思惟子さんは、はっきりと自分の意思を持っている。
とにかく眠い。隙があればベッドに横になりたい。
かといって、自分の好きなものを食べる時は、当然むかむかはなくなり、むしゃむしゃと食べ始める。
そこで、思惟子さんの田舎に行く話をする。
「○○に行きませんか?」と聞いてみる。
「いいわね」とすぐに返事が返ってくる。
「じゃあ行きましょう。暖かくなったら行きましょう」と提案する。
「でも行けないわ。むかむかするから」と提案は却下された。
「むかむかが無くなったら、美味しいものを食べに行きましょう?」と云うと、
「はい」と起き上がった。
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栄子さん(仮名)がお亡くなりになった。
一昨日お会いした時は声を聞いた。昨日は、じゅげむを話していたというから急なことだった。
最近体調を崩し、食事が取れなくなっていた。
施設に入所している栄子さんは、医師の指示により点滴を行っていたものの積極的な医療処置は行っていない。
病院への転院も検討し、いくつかの病院を周り、入院の相談も行っていた。
施設では、医療処置はできない、だからといって入院することが望ましいとも云えない。
昨日は主治医の話を聞いた。
医師として、現在の状態と予後を話してくれた。
「施設でできる最善のことを行い、それからは、本人の生きる力を見守りましょう」と云われた。
その言葉を聞いて、肩の力が抜けた気がした。
今朝、車を運転しながらラジオを聞いていたら電話が鳴った。(ワイヤレスで話せるようにしている)
栄子さんが今朝亡くなったと知らせてくれた。
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「後見人が遺言書を作成できるか」というワードで入ってきた人がいたので、個人的な見解を考えてみました。
結論は「できない」ということになりました。
この文章は十分ではなく、たぶん「後見人が被後見人の遺言書を作成することができるか?」だろうと想像します。
こうした問いを考える上で重要な問題は、なぜそれが必要かといういううものです。
後見業務は、学術的なものではなく、実際的なものだと感じています。
すると、できるかどうかを考えるのではなく、どうしてそのような課題に悩むのかという方に重点を置くべきだと思います。
そう考えると、そんな問題に悩むことははいという結論に達します。
つまり、被後見人は殆どの場合、そのような悩みを抱かないからです。
もし、遺言書を後見人に作成して欲しいが「そんなことはできるのだろうか?」と悩む人があるとしたら、相当な判断能力を持つ人であり、後見相当ではないという審判を求めることになるでしょう。
また、別のケースで、(後見でなく補助)遺言書を作った方がいいなあと、補助人が感じたとしても、本人(被補助人)は、なかなかそうは考えないものです。
それまで生きてきて、考えなかった問題を、考えるようになるには相当の心の変化やショックが必要です。
だからといって、ショックを与えるとことはないと思います。
これまで生きてきたように、これからも生きていくことを考えるだけでも大変なのにね。
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勝男さん(仮名)の担当者会議。
担当者会議において大切なことは本人の気持ちであり、希望の確認。
本人の気持ちを確認する手段は、本人の意思を確認すること。しかし、本人が明確に意思を表示できないときにはどうするか?
そのことを、来月話をすることになり、現在準備中である。
本人が意思を表示できないということは、二つの意味がある。
本人に意思がない場合と、本人の意思を確認する人が理解できない場合だ。
本人に意思がないとは考え難い。ミンデルによると、昏睡状態の人であっても生きる意志を持っており、世界とコンタクトしているという。
もう一つは、確認する側の能力の問題である。
普通は、こちら側には問題がなく、本人側に意思表示の問題があるとしているが、どうも、こちら側の問題が大きそうだ。
コミュニケーションは、ノンバーバルの部分が大きいということは言われるようになっているが、意思表示においては、バーバルで確認することが一般的と信じられている。
信じられていることは、疑う余地があるということだ。
先日、認知症で高齢期精神症を合併していると云われているクライアントの側で、アセスメントを試みた。
その結果は、今度話そうと思っている。
話は戻る。
勝男さんの気持ちを確認する方法として、今までどのように生きてきたかを考えることが一番だと思っている。
そうすると、正月も家でのんびりとしたいということは分かる(たぶん)。
しかし、問題は、勝男さんの生活を支えるヘルパーを確保することが難しいということだ。これでは、どんなにいい、アセスメントを行っても、資源と手段がないようなものだ。
一方で仕事がなく、もう一方で人が集まらないという、全く変な状況になってしまった。
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調布飛行場にある、洒落たお店に飛子さん(仮名)と出かけた。
飛子さんは、この1年で大きくなり、車に乗せるのが大変だった。カフェに着くと、窓側の席をとり、飛行機を見ながらシフォンケーキを食べた。
飛子さんは、クルームをケーキに塗り、あっと言うも間に平らげ、今度は、お寿司を食べに連れて行ってという。
食べ終わると、飛行機を見る余裕ができたのか、じっくりと見つめ、「なんだか小さいね」という。
「きっと、飛子さんが大きくなったからだろう」というと、「そんなことはない、私は小さくて可愛いの」と、強く主張する。
そして、「もう食べるものもないし、飛行機にも乗れないのなら帰ろう」という。
僕が、トイレから帰ると、隣りの席のおばあさんと仲良くなり、今度来るときには、一緒に飛行機にのる約束をしている。
飛子さんを車に乗せると、「やっぱり、お寿司の方がいいね。いつ連れて行ってくれるんだい」と、小さな瞳が輝いた。
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被後見人の担当者会議に出席した。
ケアマネジャー、訪問看護師、ヘルパー。参加はできなかったが、往診医、訪問入浴のお世話にもなっている。
要介護度が重くなり、認知症も進行している高齢者が、一人暮らしを送るということは、様々な人たちの支援が必要だ。
その中で、話の中心は、家の中に閉じこもらず、外に出ようということ。最後まで、楽しみを感じられる生活を送れることを支えたいということで全員の意見が一致した。もちろん、その話には本人も加わり、大きな声で意見を言っていた。
安全、安心を考えた場合には、別の選択肢も出てくる。しかし、それは、本人の選択であって、関係者の安全・安心であってはいけない。
その点、本人はどう感じているかアセスメントが大事である。
「この人から、貰うものが多いわね」と看護師さんの言葉が狭い部屋に響いた。
とにかく、先に進もうという意見で話は終わった。
それから先は、その時に話し合うことにした。
沢山の人が集まり「わたし」のことを話していることは本人にも分かるようで、興奮気味。
外に出ても、その明るい声は街に響いていた。
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2度目の鹿児島出張。
初回は、確認と関係者への挨拶。
今回は、手配の実行と確認。
雨の予報であったが、作業中は雨に遭わず、終わったとたんに激しい雨になる。
当日の流れや、打ち合わせは電話であらかた済ませておいた。見積もり、用意するものの確認を行っていたが、それでも足りないものが出てくる。
空港から現地まで、車で2時間。途中のコープで、米や焼酎、野菜や線香など、20点ほどを仕入れる。
現地に着くと、お坊さんや石屋もスタンバイしており、どんどん進んでゆく。みんなその道のプロである。やることは早い。
全てを2日で終えるのは不可能なので、後の打ち合わせをし、依頼内容は後日報告してもらうことにした。
続いて、家屋の御祓いがはじまった。
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介護保険は税金で賄われている。
当然、実際にサービスが行われていることを確認する必要がある。
特に、在宅サービスについては、自宅でのサービスということもあり、確実な確認が必要になる。
一般には、稼動したことを本人がサイン、認印などを押している。
しかし、在宅で生活する高齢者は、判断能力がしっかりしている人ばかりでない。認知症の人もいれば、寝たきりの人もいる。
そうした場合、行政は家族が本人に代わりサービスを受けたことを確認できると考えている。
しかし、一人暮らしで認知症など、判断能力がない人もいる。
被後見人にもそうした人がいる。
行政は、要介護5、認知症、様々な問題行動がある人が一人暮らしができるわけがないと考えている。(問題行動とは、行政の人がそう思っているだけ)
だから、「えっ、なぜ施設に入れないんですか」なんて、無神経な発言をする。
さらに、「後見人がいるなら、後見人がサインすればいいじゃないか。」なんて、サービスの実態も考えないで発言する。
介護度が高く、一人暮らしであることを考えれば、毎日、そして日に複数回サービスを受けていることは想像できる。
介護サービスを受けることは、市民の権利であり、そのサービスが適性に行われていることを確認するのは、行政の義務である。
訪問介護事業所がどんどん撤退している。日曜日のヘルパーをお願いすることも難しい現状を何とかして欲しいと思っているのに、こんな認識では期待薄です。
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墓参りに行った。
子どもの頃、墓参りが嫌いだった。
記憶に残る墓は、土の下から誰かが覗いているような雰囲気があった。実際、土葬の土が崩れ、骨が見えたりした。
秩父の札所に墓がある。
山の中腹にある墓地からは、向こうの山と、山の上に広がる空が大きく開けて見える。空を見ていたら、そのうち、自分もこの空の上から、この景色を眺めるようになるのかと想像した。
話は変わる。
後見の仕事で、改葬することになった。
役所に問い合わせをしたら、実際にお骨がある場合とない場合では、手続が違うと言われた。
ない場合は、何もしない。
ある場合には、改葬許可が必要になる。
だから、墓を掘って見ないことにはどうなるのか分かりませんと言われた。
まあ、そうだろう。
また、「お骨が1体の場合と複数の場合には申請書の記入届けが違います」と言われた。
まあ、そんなものだろう。
さらに、「申請書には、墓地管理者の届けが必要になる」と言われた。
それは、霊園などの管理者のことだと思う。
しかし、自宅の裏山の墓に映す場合はどうなるのだろう?
また、「土葬の場合や、骨壷を小さいのもにしたいときは、改葬骨火葬の必要があり、事前に火葬場の予約が必要と言われた。
なるほど。
しかし、一番困ったのが、死亡者の氏名・住所・本籍・死亡年月日を記入する申請書だ。
その墓は、江戸時代頃からそこに立ち、先祖などが眠っているといわれている。しかし、そこに誰がいつから眠っているかは、土地の人も知らない。
墓や墓地が整理されたのは、最近のことで、昔は村のあちらこちらに墓があった。墓は生活の一部であり、畦の脇には花が咲いていた。
草刈りをし、畦に座りながら、そこに眠る人と色んな話をしたのだろう。
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役所(市役所、区役所)を3箇所回った。
当たり前だが、窓口の対応が違う。
また、当たり前だが、感じがいい所と悪いところがある。
それに、すぐに失礼したくなるところもあれば、お昼の弁当を広げたくなるところもある。
10年同じ書類を使っている役所があり、必要もない印鑑を求めてくる。指摘すると、「必要がない」というが、それでも窓口では「印鑑をお願いします」と不必要な要求をする。
おかしいと思っても変えることが難しい、それが役所というものだろう。
また、別の依頼をした。
それは規則でできませんという。
その、規則は時代に合っていない事は分かっているのに、規則が変わっていないから「できない」。
それが役所というものだろう。
帰りの車の中で、矢野顕子の「中央線」を聞いた。
なんてしなやかなうただろう。
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弟とすしを食べている金五郎さん(仮名)が、マグロをつまんだ。
「誰だか分かる?」と聞かれるが、「分からないな」とそっけない答え。
「すしは上手いかい?」
「上手いね」と、嬉しそうな声。
金五郎さんの所には色々な人が出入りする。
誰が来てもニコニコしている。
「その方が人生うまく行くだろう」
そういっているような顔をして、気がつくと目をつぶってしまう。
寝ているのかと思うと、すしの手が伸びる。
その時だけ腹筋がピンと動き、口が動き、人生を楽しんでいる。
それ以外の出来事には文字通り目をつぶっている。
たまに口を開くと、
「どうもオレはいい人らしいね」
と、人を食ったようなことを言う。
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小さな声で言うけれど「肉が食べたい」と靖子さん(仮名)はいう。
「ここのご飯は不味いんだ」と付け加えて。
そんな靖子さんの迫力に押されて、今度肉を食べに行く約束をする。
そしたら、靖子さんの入れ歯がにっこり動いた。
もっと約束させられそうだったので、さよならをいう。
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「分からない」と云われた。
どんなに丁寧に説明しても、「分からない」。
もっと分かりやすく説明してほしい。
分からない人の責任ではなく、分かりやすく説明できない僕の方に責任がある。
僕には分かっているからだ。
分かっている僕には、分からない人のことが分かっていなかった。その不安が、心細さが。
こんなにまっすぐに言われるのは辛いが、そうでもないと、鈍感な僕には響かないことを知っているのだろう。
ああ、これはチャンスなのだと感じる。
分かり合えるかもしれない。
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ねんきん特別便が沢山送られてくる。
社会保険事務所に問い合わせると、問題ない場合は、「そのままにしていていいです」という。
でも、何が問題なのか誰も分からない。
とりあえず決まったことだから送っているという。
そうしたら、今日「年金加入記録の確認のお知らせです」という封書が来た。
今回の通知には、「あなたのものである可能性の高い記録が見つかったため、連絡します」と書かれ、「ねんきん特別便とは違います」と記されている。
この年金については、後日、続報します。
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金融機関の人から相談の電話をもらった。
「102歳のお年寄りの土地を売却できますか?その人は判断能力がなくなっているんです」という。
プライバシーに触れない程度に、事情を伺うが、ふと疑問が浮かんだ。
その人は、土地を売却する必要があるだろうか?
その点を聞いてみたら、「ないでしょうね」と、いう。
そうだろう。
できるかどうかが問題ではなく、本人の利益になるかどうかが問題。または、本人がそれを望んでいるかということが。
原油価格がいくらになったかも問題だが、それ以上に、誰が価格を吊り上げているかが、原油高騰の本質にあるような気がするようなもの。
使える手段は、その理念にかなった使い方をしないといけない。
金融機関は、お金を預るばかりが仕事じゃない。もっと、有効な使い方を考えてほしいね。
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年金特別便が来た。
報道で説明している通り、何度読んでもよく分からない。理解力の問題もあるが、説明の仕方が、一般的な例によるので、それ以外の記載があるときはお手上げ。
今回送られてきた記録も、例にない記載があるので説明がどこにもない。結局は、社会保険事務所に行かないといけないのだろう。だから、込んでいる。
本人でない後見人がどれだけ答えられるか難しい。なにしろ、40年以上前のことだからね。
そして、回答票というのが同封されている。
「漏れや、間違いがありましたか?」と質問されているが、内容が理解できないので回答しようがない。
40年前の記憶がハッキリしている人であれが回答できるのであろう。
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ゆうちょ銀行で後見届けなどで2時間35分かかった。
今までで最高記録である。
どうしてこんなに時間がかかったのか。
①複数後見であった。
複数後見の場合、裁判所は複数(多くは二人)を後見人にした。つまり、複数であることに意味があり、二人が後見人としての業務をこなす必要がある。
某銀行の場合、二人の印鑑と名義を登録し、どちらも後見人として被後見人の通帳を管理できる。
しかし、ゆうちょの場合はできない。
できないだけでなく一方の後見人に、「後見人として××氏を設定する」という同意書の提出を求められる。前回も同じであったので驚かないが、複数後見である意味を無視した対応にはがっかりだ。
②商品が多かった。
通帳以外に、定額などの商品が多くあった。
その全てに同じことを書けと求められた。
紙を10枚以上持ってきたので、「業務省力化を」求めた。
粘った甲斐があり、省略することに成功。
しかし、確認の電話に20分かかる。
③保険があった。
保険の名義人、受取人を変更する必要があると云われる。
それは「おかしいんじゃない」というと、局員も「僕もそう思います」という顔をする。
その度に、局員がセンターに電話を掛け、その間は事務作業が進まない。たぶん、電話をしている時間が1時間13分あったと思う。
そのうち局長がお茶を入れてくれた。
郵便局でお茶を頂いたのは初めて。
3時に局に入ったのに、5時を回っていた。
帰り道に、清志郎の歌をうたう。
2時間35分・・・
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補助監督人をしていた。
(類型変更の申立をしたことで、監督人の業務は終了している)
監督人としての業務報告と併せて報酬付与の申立を行った。
監督人としては1年余り、補助人の補佐と被補助人の生活全般について支援を行なってきた。
監督人はあくまで補佐であり、権限が弱い。補助人に「こうした方がいいですよ」と話し、「こんなことが予想されますよ」と説明することが中心となる。
時間を掛けて関係者との調整をする、様々な調査から将来を予想する、そんなことが仕事の中心だと感じた。
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逆抵当融資方式という意味。
自宅を担保により貸付限度額を設定し、その限度額に達
するまで毎月一定額を受け取ることで生活資金や介護費用を捻出できる。そして、債務者が死亡した後に、担保となっていた不動産を売却して借入金を一括返済するという仕組み。
自宅を持っているが、生活資金が充分でない場合、有効なしくみである。
しかし、現在2つの銀行の取り扱いがあるが利用者が伸びているという話を聞かない。また、他行が取り組みを始める訳でもない。
N銀行の場合。
遺言書を作成する必要があり、年齢が80歳までに申し込むをするなどの条件があり、被後見人が遺言書を作成できるかという課題が大きい。
S銀行の場合。
年齢60歳以上。自宅物件で戸建て。土地が60平米以上で年金受給者などの条件がある。
条件に合っているから融資が受けられるかというとそうでもない。
この辺が難しい。
その他に方法はないか?
土地を売却して、家を借りるという方法がある。
しかし、買い手がいる場合である。
物件の場所や価値によってこちらも難しい。
行政でもリバース・モゲージを行っているところがある。
しかし、自宅に住んでいることが条件となる。
全て上手くいくということはなかなかないものだ。
PS.
その後、S銀行に行ったところ、後見人が付いている場合の融資は難しい(できないということ)とはっきり言われました。
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ケアマネ時代は担当者会議の開催者だったが、後見人になり、参加者となった。
参加者は楽である。
ヘルパー、訪問看護、行政、ケアマネ、後見人、医師、そして本人が参加。
担当者会議の中心議題は、なんといっても顔合わせ。
本人に関わる人が一同に集まり、本人の生活する空間で、これまでのことと、これからのことを話し合う、それが大切。
この人の場合、関わりの歴史が長い。
それだけ思いいれもある。
昔の苦労もあり、そして現在の安定がある。
苦労が深いほど、今ある生活に満足している本人の笑顔に救われる。
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情報の洪水の中で生きることもできるが、
そんなものなかったかのように生きることもできる。
みかんさん(もちろん仮名)は、生き返ったようにベッドに横になり、考えるようで何も考えないように笑っている。
みかんさんは、歩くこともできるが、歩かない。
歩きたくないわけではない。今は歩かないと決めているからだ。
そのうち歩きたくなると感じている。
情報はないが、想い出と感情だけは沢山持っている。
感情についても小出しにする。
人にいわれるままに行動をするが、それでいて、人から云われたことも知らなかったように行動する。
つまり、自分というものをしっかり持っている。
情報なんかより確かなものを。
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何がゴミかは、人によって違う。
ゴミを集める人も困るが、ゴミを勝手に捨てるのも困る。
ゴミを集める人は、たいていは家の中に溜める。だから、家の外にまでは影響を及ぼさない。しかし、ゴミを放置しる人は近隣の迷惑になる。
周りから見れば、臭い、汚い、見栄えが悪いゴミである。
しかし、本人にとって、それを放置することに何らかの意味がある。だから、人目にさらされる方法で放置する。
清掃事務所の担当者は、敷地内のゴミは処分できないという。
ゴミ置き場に置かれたときに、初めてそれがゴミになる。敷地内に置かれたものは、所有者の持ち物だから勝手に処分はできない。
ゴミを捨てることが障害によってできない高齢者の場合、敷地内に立ち入って、指定の場所に置かれたゴミを収集することができる。
しかし、精神的な障害者の場合はできないという。
精神的な障害によってゴミを放置することは、そこに何らかの「意味」があるから、勝手にその意味を取り去ることができないと言っている様に聞こえる。
なるほど。
本人としては、ゴミを置いて、もって行って欲しいというサインを出している。
しかし、そのブロックサインが読みにくいので、盗塁できない選手は、ただ1塁と2塁の真ん中に立ち止まるしかない。
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成年後見制度には、後見、保佐、補助という3つの類型があります。
新しい成年後見制度では、「補助」という類型が生れました。
補助は、本人の権利を尊重し、必要最小限度の支援を受けることで自立した生活を送ることを目指しています。
具体的なイメージは。
①重要な財産行為について自分でできるかも知れないが、適切にできるかどうか危惧がある。(本人の利益のためには、誰かが代わってやったほうがいい)
②いわゆる「まだらぼけ」の状態の軽度である。(ある事柄はよく分かるが他の事柄は分からない。また、日により判断能力に差がある)
被補助人は、代理権や同意権・取消権を補助人に与えることで、自らの権利を守ることができます。補助人は、代理権等を使い、被補助人に代わり、代理行為を行います。
しかし、自己決定の尊重の理念から、本人の同意や納得が必要になります。
権利としては、代理で出来ることでも、本人が明らかに反対していることは行うことが出来ません。
そこで、困ったことが起きます。(実際に起こっている)
代理権が与えられ、本人の利益を考えると、代理権を使って行ったほうがいいことが起きました。
しかし、それに本人は反対をしています。
常識的な判断が出来ない状態であるということも云えます。また、拘りが強く、適切な判断が行えない状態であるともいえます。
その場合、代理行為を行わないと本人の利益が大きく失われることが明らかであれば、結論は出るでしょう。
しかし、殆どの場合、事はそう簡単には進みません。
経済行為では、損失が時間と共に拡大する事もあります。
不利益な自己決定をどこまで尊重できるか?
裁判所の聞いても、
「そうですね、困りましたね」と云うばかり。
十分に時間をかけて困る必要があることだけは分かりました。
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気持ちは変わる。
それが、変わらないほうがいい場合でも。
変わってしまったものはしょうがない。
無理をしてはいけない。
大観の絵は、端の方がかすんで見える。
最後はどうなっているか分からない。
絵は、人生のようだから、その先はどうなっているのか、どこに繋がっているのか分からない。
分からないから面白い。
だから、変わったものが、また、変わることもある。
どうなるのか分からない。
最後には、どこかに行きつく。
それがどこでも、待っていればいい。
変わるのを待つ。
待つから変わる。
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花子さん(仮名)は半年ぶりに家に帰った。
家の近くの景色が見えてくると、懐かしい番地を見つけては読み始める。
自宅に到着。
庭に向かい、きれいに刈り込まれた植栽を眺めている。
「きれいな庭ね」と云い庭を歩くが、人に家のように遠慮した足取り。
玄関を開ける。
それまで生活していたそのままの様子が目に飛び込んできても、反応は少ない。
花子さんが帰ってきたことを知り、近所の人が顔を見せてくれる。
「元気になった?」
と云われてもキョトンとしている。
「あなたは、ええと・・・」
顔はすぐに思い出して懐かしそうに洋服を触るのだが、それ以上は進まない。
家に帰りたかった花子さんにとって、家に帰ることができたことはとても大きな出来事。黙っていなくなってしまったので、近所の人にちゃんと挨拶できたことも大きな出来事だ。
家に着くまではあんなに話をしていた花子さんだが、帰り道は口が重くなった。
大事なことでも考えているような顔をしていた。
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年金があと数ヶ月確認できれば受給できる被後見人の年金調査を銀行に依頼した。
年金の調査に限り、過去の履歴調査は無料で実施できる。
所定の書類に確認期間を記入し、本人との関係を証明して依頼をした。
3週間後、調査結果が送付されてきた。
わくわくして過去の履歴を見るが、希望の内容は確認できない。
今日の新聞にも、過去に働いていた会社の「ヒントはだめ」と書いてあったが、昔のことを探すのは難しい。
話は変わるが、銀行の記帳を忘れると履歴をまとめられてしまう。
某ひらがな銀行の場合、問い合わせが多かったので、まとめる期間を延ばしたと担当者が教えてくれた。(たとえば、30件でまとめていたものを100件溜まってもまとめない)
また、依頼すると、履歴をまとめないらしい。これには、手続きが必要だという。
インターネットバンキングをやっているので、たまに記帳すると1ページぐらい記帳してしまう事になる。通帳がない銀行も現われたこともあり、今の記帳システムも再検討が必要じゃないかと思うんだけど。どうだろう。
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仕事が始まりました。
郵便年金の現況届けを行った。
郵便局は「ゆうちょ」になっても、相変わらずの融通が利かない。
本人との関係を明確に示す公的文書である「登記事項証明書」を提出し、後見届けを出しているにも関らず、本人を確認する書類の提出を求めてくる。
本人を証明する書類は、保険証などである。
保険証は、本人が頻繁に使うこともあり、後見人が持ち歩く書類ではない。
介護保険証でもいいというので、それを出す。
年金は、生存していることを証明する書類を出せという意味があるのだろうが、介護保険証は、2年間有効である場合もあり、ほんとにそれでいいのと思ったが、黙って出した。
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若い社会福祉士のための独立・開業研修が無事終了しました。
参加者34名。熱気に包まれた研修は夜まで続き、若い皆さんが笑顔で家路に向かい、ホッとしております。
来年は、札幌か沖縄で開催したいですね。
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昨日から9箇所の金融機関を回っている。
だいたい、一箇所が1時間30分平均と入ったところ。
最短で30分というところだろうか。
時間によって、待たされるときと、スムーズなときがあり、担当者の対応により、そうでないときと、そうな時がある。
まあ、人生いろいろということか。
金融機関は、どこも同じようであり、全く違う。
一番驚いたのが、3時を過ぎてシャッターが閉まってから。
3時半頃までは、行員が、○△銀行という済ました顔をしていたのが、4時近くになると、気が緩んできて、おしゃべりが多くなり、通り過ぎる歩き方も、「ぁあっ、ダル」といった様子になる。やはり使い分けていると、力が抜けたときの差が大きいよね。それにしても、お客の噂話を大声でするのはどうかと思うが。
また、なじみの店を持つのはいいと思う。
なんども、後見届けを出していると、向こうも慣れたもんだし、こちらも、書類の書き方に慣れているので、鼻歌を歌いながらでも書けるようになる。(歌はうたわないけれどね)
それにしても、書類に空白を作りたくない行員が多い。
本人の電話番号の所も「埋めてくれ」というので、今、病院に入っていると言ってみたら、それでも「書いてくれ」という。次の銀行で、「電話を取り外してしまった」といってみたら、「前はあったんだから、前の番号でいいです」と言われた。
数字であれば、何番でもいいらしい。
そういえば、金ちゃん(友だち)と、ラオスに行ったとき。
国境の検問でパスポートを見せてサインをするとき、金ちゃんが、変な日本語を書いていた。
「さっきのサインは変じゃない」と聞いてみたら、
「いいんだよ、どうせ日本語は分からないし、漢字なら何でもいいんだ。この前、へのへのもへじって書いたけど、全然問題なかった」という。
しかし、サインには横柄な役人も、持ち物に関しては怖い顔で睨んでいた。
見るところが違うのだろうね。
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本人(被後見人)が入院したり、施設に入っている場合には、自宅を管理する。
自宅の管理は、色々あり、誰かが住んでいることもあれば、アパートを貸している場合や、空き屋の場合がある。
空き家だといっても植木は伸びるので年に一回ぐらいは剪定の必要もある。近所に挨拶したり、何か変わったことはないかと聞いて回ることもある。
庭木の剪定といっても、何年も手が入っていない庭はジャングルの様になっている。何から手をつけていいものか分からず、ジャングルの中のゴリラのようにウロウロすることになる。
一方、アパートに人が入らないと心配になる。部屋を空けておくと、もちろん収入が入らないが、それ以上に、家は使わないと傷む。
不動産屋に行くが、返事はよくない。「何しろ、あの物件はね、いろいろありますからね」なんて言われてしまう。
空き地も困る。空き地だからと、他人が勝手に駐車場にしていたりしたら大変だ。
また、地方にある土地の管理などは、誰かに委託しないとできない。
そんな、自宅を4軒まわった。
土日に行ったほうが、近所の人がいるので何かと便利だ。
その途中に病院を2件、施設を1件まわる。
車を運転しているので、すっかり肩が凝ってきた。昨日のマッサージの効果も1日で切れた。
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余り動くと手が掛かって特養に入れませんよといわれた。
確かにそうかも知れないけれど、手が掛かるから動かないようにしようとする介護って何だろうと感じた。
介護の世界の常識は、手間との戦いなのかも知れない。
人手が少なくなり、効率よい働き方が求められ、非常勤というスポット労働が導入されている。つまり、最低必要な場面に人的配置をする。
だから、介護される人は介護者に合わせないといけない。
トイレは定期的にする必要がある。自分でしたいときにトイレに行くのではなく、時間だからトイレに行く。食事も、お腹がすいたから食べるのではなく、時間が来たから食べ物を腹に運ぶ。
そういう常識にあって、転んだり、他人に関わり転ばせるような人は「危ない」と言われる。危ない人は薬により安定させる必要がある。安定すれば介護しやすい。皆に好かれる人になれる。
だからといって、自宅に戻すこともできないとすればどうすればいいのだろう。
クライエントで一人、特養から逃げてきた人が居る。
その人は、自由に気ままに、誰に気兼ねすることもなくわがままに生きている。
あまりにわがままだと、その人のペースに皆が合わすようになる。(仕方がないから)
そうじゃないといけないよね。
そうなって欲しいね。
わがままな僕がいうと説得力がないけれどね。
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事実は小説より・・・という。
本当に、物語は、物語自身によって、どんどん進んでしまう事がある。
せっかく準備していたことが一瞬で役に立たなくなったり、方向がいつの間にか変わっていたり、反対していた人が突然賛成に回ったり、あっと驚くようなことが起こる。
(何を言っているのか分からないと思うが我慢してください)
そんなときにはどうするか?
少しだけ、口をぽかんと開けてなりゆきを見守る。
それから立ち直って、方向転換をする。
すぐに立ち直れるために、普段から腹筋を鍛えておくことが大切。日々の努力がいざというときに実を結ぶ。
それは、悪いことについても言える。
やらなくてもいいことをやってしまった。言わなくてもいいことを言ってしまった。やってしまったり、言ってしまったりしたら、もう取り返しがつかない。消しゴムで消せないのだから、やはり、すぐに立ち直るしかない。
そうはいっても落ち込む。自身を失う。もうだめだと投げやりになる。
槍を投げないで済むためには、やはり、普段から心を鍛えておく。
しかし、心は見えないから、胸板を厚くすることが有効だ。
両手を広げては閉じる運動なんかはどうだろうか。
50回もやれば、そんなことバカらしいから、先に進もうと思うようになる。
すると、心が少しだけ成長する。
(最後まで、何を言っているのか分からない文章になってしまった)
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特別養護老人ホームで、被服の販売会があるというので出かけた。
トメさん(仮名)は、車椅子に座りじっと待っていた様子で、顔を見るなり「遅いね」という。それでも開始の10分前であった。
会場の集会室に開始5分前に入れていただき、はじからチェックする。高齢者向けの洋服類だけがずらっと並ぶと柄や色が違っているのに、みんな同じに見えてくるので不思議だ。
別の利用者にパジャマとクッションを購入し、トメさんの洋服を一緒に見る。
見はじめると、あれも気になり、これもいいような気がするので、まったく決まらない。
「さっきのがいいような気がする」と、車椅子を後ろに戻したり、「これは小さいかね」と大きなモノを選ぼうとする。
トメさんは小さな身体なのだが、動かないせいか下半身に浮腫みが見られ、車椅子に乗っていると上着がどうしてもめくれてしまい、選択が難しい。
それでも、寮母さんから、「これが似合うわよ」と言われると、「そうかしらね」といい、「派手じゃないかね」と答えていた。
僕が、「派手なのが似合うところがトメさんのいいところだよ」と一押しすると、やっと決まる。
それからは、「これも頂戴」と、かごが次第に埋まってくる。
清算をすると、大きな袋が満杯になり、それを渡すと嬉しそうな顔のトメさんは、「こんなに買ったら持てないわよ」と笑っている。それに、知らないうちにお菓子が二袋入っていた。
いくつになっても買い物は楽しい。
帰り際に、「今度は、肉が食べたいわ。連れて行ってよ」と催促された。
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ケアプランの説明を受ける。
ケアマネジャーとしてケアプランを作っていたが、説明を聞くということは貴重な体験だ。
プランを作るには、モニタリングを行い、本人や家族の希望・要望を確認し、本人の生活が豊かになり、自己実現が出来るようにすることが大切だといわれている。
実際は、家族の要望やケアマネジャーとして「これがいいだろう」という専門的意見が組み入れられる。
とくに、認知症や発言が出来ない人の場合はなおさら。
しかし、後見人として、ケアプランの説明を受けると、まったく違った感覚になる。
ケアマネジャーが、「こういう危険性がありますから・・・・」、「これが出来ないので・・・・・」と説明され、「そういえば、僕も安全面を中心にプランを立ていたなぁ」と思い出す。
また、「見守りを行うことで・・・・」、「様子を見ながら・・・・」という言葉に出会い、「状況がつかみづらく、具体的な方策がとりにくいんだろう」と感じた。
後見人は、本人の代弁者である。つまり、殆ど本人になったつもりで話を聞く。
すると、説明に対して「弁解をしたくなる」。この辺が変な気持ちだ。
「確かに、そうなんだけど、そこのところは違うと思います」とか、
「そうは言っても、人手があればできることじゃないですか」とか、
「今はそうだけど、これから変わってくることもあるかもしれないじゃないですか」なんてね。
本人になると、ケアプランも結構シビアに感じる。
それでも、前よりもイイプランが出来るととてもうれしい。
少しでも変化があることを願うので、
「継続です」という言葉だけは聞きたくない。
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不安を感じているかと聞かれれば
「そうだ」と答える高齢者は多い。
相談の趣旨は、後見や相続であるが、よくよく聞くと「漠然とした不安」であることが多い。
そんな時、課題を解決することより、課題との付き合い方を知ると安心する。
この課題を解決する方法はないかと聞かれた。
よくよく話を聞き、問題の本質が分かってきた。
その課題に関わらないことがいいと思うと答えた。
予想を裏切ることを言うときには、相手の顔色を見ないといけない。
それは
いわないほうがいい時もあるからだ。
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東関東の家裁に出かけた。
相続の調停の申立てを行い、待つこと1ヶ月。本日が第一回調停日。
調停というのは、日本人としての常識と知恵を出して課題解決を図ることらしい。
調停員は、弁護士資格を有するものの他、民事もしくは家事の紛争解決に有用な専門知識を有するもの・・・がなるようだ。
民事事件の場合、法律だけでは解決しないことが多く、知識や常識より知恵が大きなウエイトを占めることがあるように感じた。
もともと法律は、人間生活を潤滑に進めるために作られてもので、法律によって生活に潤いが無くなってしまってはどうしようもない。
次回の開催日が1ヵ月後に決まり、裁判所を後にする。
その足で、老人保健施設に行く。
先日、本人面接を実施し、来週、入所が決まった。
ここまで来るのに、施設を5,6箇所回った。
回ってみて、ハッキリ分かったことは、施設のために利用者がいるという現実。
サービス業という観点から、「いいお客」と「悪いお客」がいる。施設は、いいお客を選ぼうとする。(当たり前)
しかし、客の方は、福祉に対して「ある期待」を持っている。
期待を持つことより、施設を上手く利用することを考えるべきなのだろう。
だって、利用施設なのだからね。
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リーガル・サポート主催の成年後見無料相談会に相談員として参加した。
今年は、午前中にNHKの取材が入り、お昼のニュースを見た人が4、5人、相談者に来るなど、反響が大きかった。
夜のニュースでは、岩手の社会福祉士・木村氏が取り上げられるなど、編集にも工夫が見られた。
成年後見、遺言、相続については、市民の関心が高まっていることは、行政相談をしていても明らかである。
しかし、ニュースで、後見人についてアナウンサーが読み上げるときには、「弁護士や司法書士などの専門家」という。どうして、社会福祉士が出てこないのだろう。
成年後見の業務の中心は被後見人の生活の保障だと感じる。だとしたら、「社会福祉士等の専門家」と呼んで欲しい。
そんな時代もすぐにやってくるだろう。
しかし、そうなるためには、独立・開業して成年後見事業を行う社会福祉士が、東京で100人、全国で800人、被後見人10万人位の数字が必要だろう。
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在宅の後見人を受けた。
一人暮らしの高齢者。
生活は在宅が基本である。こんなこと当然だと思われるが、判断能力が無くなった人が一人で暮らすことは、大変。
在宅で、一人暮らしをしているということは、様々な人たちに支られ、様々な経済行為をしているということ。
それは、後見人がつくとはっきり分かる。
なんとなくやっていることが如何に沢山あるか。
長く生活していると、金融機関との取引が増えている。銀行の人が色々お世話してくれたり、色々な商品を勧めてくれる。
証券会社の営業がやって来て、株を買ったりする。
生命保険のおばちゃんが訪問に来て、ちょっとだけ付き合って、入ってあげたりしている。
たまには、危ない商品だって契約している。
家を借りてたり、買ったりする。
借りていれば家賃を、買ったのであれば固定資産税を支払う。
土地を譲りうけたり、駐車場を持っていたり、アパートを経営していることもある。毎月の収入にはなるが、メンテナンスをしたり集金が必要になる。
病院に行くこともある。薬も飲む。その手配や支払いをすることになる。
介護サービスを利用している。それも、あちこちと。
税金も払っている。年金も受け取っている。税金が返ってくることもある。申請や廃止の手続きをする。
家の管理をする。鍵をかける。火の元を確かめる。元気でいるか見守る。
そうしたこまごましたことを誰かがやっていた。
一つひとと数えてみると沢山の経済行為をしている。
沢山の人の世話になっていることがわかる。
契約でやっていることもあれば、長年の慣習でやっていることも、地域のしきたりや隣近所だからということもある。
それらを調整し、その人らしい暮らしを支えることが後見人の仕事になる。
特養で暮らす安田さん(仮名)は、殆どベッドの上で生活している。
安田さんのベッドには柵が四方を囲んでいる。
いわゆる身体拘束である。
安田さんは、ベッドから落ちるかも知れないから「柵で落下を守る」というわけである。
拘束ゼロを目指して、ベッドをやめて床にマットレスを敷いている施設もある。
しかし、どこに寝かせるかという問題や、転落防止のために柵をすることが問題ではない。
根本的な問題は施設の人手不足である。
安田さんに限らず、殆どの利用者は一人で安全に移動することはできない。、人手が少なくなれば当然、オムツ交換も定時、水分補給も定時、食事も定時と、一日数回の移動以外はベッドの上に寝かされる。
安全が最優先されるというのが施設の論理。
(障害児の施設で、子どもがいつ転んでもいいように、全ての床材をクッション性のいいものに変更して事故をなくした施設があった)
国は身体拘束は人権侵害だというが、こんな少ない職員で特養を運営させることが人権侵害ではないのか。
(しかも、募集しても人が集まらない)
施設を利用している人の生活について後見人は何ができるのだろうか?
少なくとも、本人の財産を本人のために活用することはできると思う。
施設の職員ができない、介護保険ではできない、その人の希望を叶える特別のサービスを依頼することを、いま考えている。
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後見業務の報告は家庭裁判所から求められた時に行う。
通常は、受任した時の財産目録等の提出、1年目の財産並びに状況報告を行う。その後は、2,3年後に報告となるようだ。
一方、報酬付与の申立てについても、家裁への報告に併せて行うことが多いようだが、大きな業務をしたり、変化があったときに申立てをすることもある。
職業後見人の場合には、毎年報告並びに報酬付与の申立てを行うことが多いようで、裁判所も、それに併せて報告を求めるといっている。
しかし、現実には、1年を過ぎても何も言ってこない裁判所が多い。相当に忙しいのだろう。
そこで、1年が経過したころあいに、後見人の方から、後見報告並びに報酬付与の申立てを行うようにしている。
先日も、報告書を提出した所、「丁度、報告をお願いしようかと思っていたところでした」と言われた。(だいたいそういいます)
さらに、「電話ですいませんが」と、いくつか確認された。
報酬の方については、80円切手を送ってくださいと言われました。
報酬の申立てには、返信用の切手を同封するのを忘れないようにしましょう。
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開業2年目になり、後見報告を毎月行うようになっている。
裁判所から報告を求められる事もあれば、新規受任の初回報告、首長申立ての場合の報酬費助成報告、ぱあとなあへの報告などである。
報告書がしっかり書ければ一人前なのであろう。自分が行ってきた業務を自らが評価し、「どうですこんなに仕事をしましたよ」と胸を張る。
しかし、実際は、ずいぶん忙しそうだったけれど、書くことが少ないなと感じる。
物を動かしたり、大きなものを売ったり買ったり、又は、借りたり貸したりすれば書くことも多いのだが、生活を見守りましたというのではね。
どうしても、「安定しています」と書くと、それだけで終わってしまう。
まあ、ものは考えようで、何もなく平凡な1年であったことは喜ばしいことなのかもしれない。
とはいっても、報告書は大切だから、もっと時間をかけて作成しないといけないと思っているが、何故か、さっさと作成して、次ぎの仕事にとりかかっているのが実際です。
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東京近郊の家庭裁判所に大雨のなか出かけた。
裁判所というところはどこも、味気がない。さっぱりしすぎていると感じるが、その方がいいのかもしれない。ささっと帰りたくなるから。
本日の用件は、調停の申し立て。
調停とは、裁判所で話し合うということ。話合うといっても、「さあどうぞ」という訳には行かず、「まあ、1ヶ月後に会いましょう」という具合に、気の長い話である。
どうして話合うのかといえば、話がまとまらないからである。しかし、今回の調停は話がまとまらないのではなく、話し合いが持てないことが原因である。そんな場合もまず、「調停」ということになる。
話し合いができない理由があるのだから、たとえ「調停」を開いても当事者が集まることはない。それでも開くことに意味がある。
「話し合いをしましたよ」、「話し合いに出てくるようにお知らせはしましたよ」ということを公に宣言するようなものだろう。
調停が不調に終わった場合には「審判」や「裁判」なる。
遺産相続の場合など、裁判官が事情を聴取して強制的に(最良の)判断を下します。そして、相続人に「これこれに決まりましたけど、よろしいですか」と文書でお知らせする。
そこでまとまる場合もあれば、裁判になることもあるようだ。
審判では、2週間以内に意義申し立てがなければ、確定判決と同一の効果がある、つまり、有効な決定となる。
さて、これから長い道のりである。
話は違うが、家庭裁判所に半日も居ると、社会の動きがよくわかる。
みんな、「大変なんだね」と思ってしまうことばかりだ。
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後見人として銀行に後見届けをしたとき、銀行により名義を変更するかどうかの扱いが違う。A銀行の場合、被後見人の名義は変わらない。つまり、通帳の名前は変わらない。しかし、本人の印鑑は使えないから、後見人の印鑑を届ける。
通帳の取り扱いについては、窓口で後見人を確認するので、問題なく取引が行える。
しかし、役所等の支払い(受け取り)口座を指定する際に、申込書に、「名義」と「印鑑」を正式に記載すると、銀行のセンターで、「名義と印鑑の不一致」していると書類が戻される。
銀行の窓口にいき確認をすると、なんともあいまいな答えしか返ってこない。
A銀行の扱いに問題があり、名義を「○○○○成年後見人××××」とするべきだと感じている。
ちなみにA銀行は、どこの窓口でも取引ができる(カードの発行はできない)。
正式な手続きをしているにもかかわらず、取引に支障が生じることに大きな疑問を感じる。
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独立してから財布に現金が入っている。
突然、被後見人が入院しましたとなり、病院に行くと、「入院保証金15万円お願いします」と言われる。
そんな時、まず言うことは、
「すこしまけてもらえませんか」だ。
何でもまけてもらおうと考える。
取りあえず言ってみる。すると、結構まけてくれるものだ。
ものの値段や、約束事は、状況により変わる。
こちらができないと分かると、相手が変わってくれることがある。
具体的なことはここでは書けないけどね。
それ以外にも突然の支払いを求められることがある。
そんな時、「持ち合わせがありません」となると、後で振り込んだり、再度訪問したりすることになるから、支払いは現金払いがいい。
ちなみに、入院保証金はまけてくれない。
追記)保証金をまけてもらいました。3分の1程に。
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裁判所の調査官が本人面接をするため、後見候補者として立ち会った。
あくまで候補者である。審判の結果、選任されないかもしれない。
本人はそんなことを分からない。だから、「よろしくお願いします」と頭を下げる。こちらも、同じくらい頭をさげ「こちらこそ、よろしくお願いします」と挨拶を交わす。
第一印象は大事である。
印象は、相手に合う前に決まっていることがある。
その時の気分や、体調や、相手に対する心構えによって印象が出来上がっていることがある。
会って「思ったとおり」という印象を持つ。
だから、「この人いい人ね」と思われるようになるためには、ホントにいい人になるか、事前にいい印象を与えるような情報を流してもらうことがいい。
そのためにも、普段からいい人にならなければならない。
気が抜けない。
疲れるから、適当にちょい悪ぐらいで勘弁してもらおう。
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遺言の検認申立てを行なった。
自筆遺言の場合は、遺言の有効性を確定するために家庭裁判所において、遺言の検認を行う必要がある。
遺言を発見した人(又は保管者)は、発見した状態で保管し、裁判所において検認を受ける。遺言書に封がされている場合は、開封せずに保管し、検認の祭に開封する。
検認の申立てを行なう前に、相続人を確定する必要がある。
相続人は、戸籍を追いながら確定するため、亡くなっている相続人についても、亡くなっていることを戸籍で確認したり、亡くなっている相続人の子どもに相続権がある場合には、子どもを一人ずつ追いかける。
戸籍を追いかけると親族が知らなかった事実が出てきたりする場合がある。
妻の父が亡くなったときも、今まで知らなかった父親の過去が出てきて「へー」と家族で顔を見合わせた。
この先、書類の確認を行い、相続人に検認のお知らせを出し、裁判所に呼ばれて検認になる。
「約、一ヶ月ぐらいかかりますね」と、言われた。
有効・無効を判断する手続ではありません。
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リバースモーゲージの融資を受けようと銀行に出かけた。
商品として取り扱っている主な金融機関は2店ほど。
1店は、年齢の点で断られた。80歳を越えている場合は融資できないという理由。その根拠を聞いても明確な回答はなく、「そうなっていますから」と言うだけ。
高齢社会で、商品としての価値が高まっていることを考えると、検討の余地はあるように感じる。担当者も、そう感じているが、「いかんせん・・・」と口ごもってしまった。
もう一つの銀行に行く。
①自己名義の戸建に住んでいる単身、あるいは高齢夫婦。
②契約時に60歳以上である。
その他の融資条件はクリアしているが、
③契約時に判断能力を有している。
という項目に該当しない。
判断能力がないことで成年後見人が付いており、後見人が本人の財産を処分することも(必要があり、裁判所の決定があれば)法的に問題はない。
判断能力がないことにより、本人に代わり契約行為を後見人が行なう社会にあって、こうした条項を変更しない銀行の姿勢が問題である。
担当者に、「物件の価値があり、支払いや契約になんら問題がなく、銀行としてもそれなりの利益がある。更に、銀行の社会貢献事業としても位置づけられ、マスコミに取り上げられたり、宣伝効果も期待できるんじゃないの」と言ってみたが、担当の若いお兄さんには銀行を変えようとする野心はないようだ。
「銀行マンとして、新しい商品を開発し、市民のニーズを掘り起こし、さらに、社会のためになる仕事をするってことは、一番の醍醐味じゃない」と言ってみたが、無駄だった。
「あなたの、お父さんやお婆さんが、一人で暮らしていて、年金の額が少なく必要な介護が受けられない。しかし、資産価値のある土地がある場合、それを有効に活用したいと思わない。心情的にはそう思うでしょ」と、だんだんおじさんの愚痴にようになってきた。
「まあ、心情的にはそうですが」と、大人の回答が返ってきた。
大きな組織のなかで歯車のようにしか動けない苦しさがあるんだろうが、何かを変えていこうとする前向きの力は出てこなかった。
完敗であった。
追記)銀行マンに。「・・銀行の理念はなに?」と聞いてみたが、「・・・・」と回答なし。
銀行は理念も持って事業を行っていないのだろうか。なにか、理想をもって仕事をしていないのか?
なんとなく寂しい気持ちになった。
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郵便局に行った。
番号は11番待ち。
局内では、クレジットカードの勧誘を行っていた。普段気にならないが、用を済ませて帰って行くおばあさんを捉まえて、「便利なカードがあるんですよ。年会費はかからないし、今日はお土産を用意させていただいていますから」と、優しくていねいに説明している。
「便利なものは危ないよ」と僕が口を挟む。
勧誘の優しいお姉さんは、顔が変わり「そんなことはありません、病院での支払いや、何かと便利に使っている方がいますよ」
「カードを使いすぎて破産する方もいますよ」
変なおじさんと、優しいお姉さんの口論を聞いて、おばあさんは帰ってしまった。
どう見ても80を越えたおばあさんにそんなにカードが必要だろうか。(これは偏見です。もちろん90を越えようと100歳を越えようと個人が欲しいものを契約する自由はあることは分かっている)しかし、便利なものの危険性を説明する必要はないのだろうか。
年会費が掛からないからという理由で、すぐにカード契約をさせようとする勧誘の危うさを感じる。
一方、周りの人は、変なおじさんの危うさを感じていたんだろうと思うけどね。
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施設で暮らす被後見人の美子さん(仮名。どうしても昔の名前しか思いつかない)とデパートに行った。
僕が行くのを待っていたようで、車椅子に座り、お出かけの用意はすでに整っていた。
「はよ、行きましょ」と催促され、美子さんを助手席に抱き上げる。すこし重くなった身体を抱き上げると眩暈がする。立位が取れない美子さんは、助手席に座っても全く動かないので、奥に押し込む。
デパートの駐車場に着き、今度は、一度足を床に付いてもらい、ズボンの後ろを持ち上げるように車椅子に移乗する。今度は上手くいった。
まずは、婦人服売り場に向かう。
自分の母親の洋服を買ったこともないので、「お願いします」と、店員を呼ぶ。現われた店員は、「自分の母親が90で、先日田舎に介護に行って来た」と話し始める気さくな女性。店内は空いているので、もう一人の店員も現われ、4人で話をしながらブラウスを選ぶ。
いつもは、財布の紐をしっかり押さえている美子さんだが、気に入った高価なブラウスを着せてもらうと、脱ごうとしない。「ほんとに、よくお似合いです」といわれ、その気になり、「顔の感じからこの色が似合っているよ」と、僕もコメントを付け加えた。
買ったブラウスを着て、優しい店員に「さよなら」をいい、別の階に向かう。
こうなったら、帽子も買おうと、いい気分で車椅子を押す。
再び店員を呼び、「どれが似合いますかね」と相談する。相談されると、俄然張り切る店員が、色々な帽子を持ってきてくれる。着せ替え人形のように、次からつぎに頭の上に帽子がのり、鏡を見ては「これは大きいわ」、「これは色が悪い」と、いいたいことをいう美子さん。
結局、最後に被った帽子に落ちつき、これを被って店内を移動。
そして、本日のメインの靴売り場に向かう。
足が浮腫み変形しているので、左右の大きさが違う美子さん。普通の靴では入らない。施設で靴のカタログを見ているだけでは気に入らないので自分の目で見て、履いてみたいというのが今回の買い物の目的。
係りの人が何足も履かせてくれるが今ひとつ足に合わない。最後に出された室内シューズが気に入り、これも履いて行くことにする。
足の先から、頭の先まですっかり着替えた美子さんが「お菓子が欲しい」というので、地下一階の食品売り場に向かう。お土産と自分用のアンコを買い、やっと車に戻る。
いつの間にか、3時間。施設に着くと、ニコニコしている美子さんの隣りの僕はぐったり。
「また、連れてってね」と言われ。
「はい、ご主人様」と返事をした。
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Sさんの資料が袋一杯届いた。
Sさんは認知症。
昔のことを聞いても同じ話を何度も楽しそうにするが、一向に先には進まない。
「お仕事していたんですか」と大きな声で聞く。
「そんなには食べられません」と返事。
「保険に入っていましたか」
「そこの箪笥を片付けてください」と、そんな調子。
とにかく、こちらの予想に反する答えを絶妙なタイミングでする。まるで、プロの漫才師のようだ。
本人に質問をすることを諦め、家に帰ってから書類を読む。
大事にしていた書類と、破られた書類。それらを一つひとつ読みながらSさんの昔を想像する。破られている物に特別の意味が含まれていることもある。何しろ、破ってあるのに残っている。
そうした作業もくり返すうちにコツがつかめる。
90歳のおばあさんも、生まれていきなり90歳になった訳ではなく、毎年1歳づつ年を取ってきた。恋もしただろうし、苦労もしただろう。
そんな人生が見えてくるとSさんの顔が、ちがって見えてくるから不思議だ。
「苦労したんだね」
「そんなことないよ」
今度はまともな答えが返ってきた。
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3月26日の記事に、生命保険の高度機能障害の申請を行ったことを書いたが、今日、生保会社から連絡があり用件を満たしてるとして全額支払われることになった。
このケースの場合は、死亡保険金と同額の支払いを受けることができる。
後見類型が全てにおいて高度機能障害になるかどうかはケースによる所だと思われるが、生前に保険金を受け取れることは、高齢者の生活を支える上では大きい。
また、保険の特約を結んでいる場合には、医療保障等が付くケースがある。契約内容については、保険会社の担当者でも、判断できないくらい複雑になっているので、粘り強く確認することが必要だろう。
高度機能障害については、過去の記事をご覧ください。
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土地の評価を不動産屋に依頼した。
評価報告書を作成してもらうのであるから、それなりの費用を覚悟してたら、「無料です」と言われた。
「ただ」というのも今の世の中怖いものがあるが、お願いした。
数日たって、「できました」と連絡を貰い事務所に伺う。
報告書には、土地の評価に当たって、環境評価、売買実績、土地そのものの条件などが書き込まれ、総合評価として売買予想金額が提示されていた。
土地の売買を業者に頼むと、手数料として売買価格の3%に消費税、その他雑費が掛かる。
1億円で300万円、3000万円の土地だと、90万円になる。
この3%というのは、法律で決めた最高価格。つまり、これ以上手数料をとると違法になるというもの。貸し金業の最高金利のようなものだろう。
しかし、業者の中には、「法律で3%に決まっていますから」なんていうところもある。
「結構儲かりますね」と聞いてみた。
営業のお兄さん曰く、
「個人売買の場合は、手数料は掛かりませんが、それなりの金額に収まってしまいますが、当方のような専門業者が介入することで、最高金額で取引を行なうことができ、結果としてお客様にとって有利な条件で売買ができると考えております」と、流暢に説明した。
関係がないが、営業スピーチには、「。」がない。最初から最後まで流れるように話が進み、「そうだな」と思ってしまう。
その業者からの帰り道、近くの不動産屋により、「土地の評価をお願いします」と、依頼をした。
担当の方は、牛丼屋のお兄さんのように
「よろこんで」と大きな声で返事をしてくれた。
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明夫さん(60歳・独居)は、一人で食事を作ることができる。もちろん買い物もいける。
掃除や洗濯も得意で、部屋の中はとても綺麗だ。同年齢の男性に比べると自立していると自分でも感じ、人からも「明夫さんは何でもできるのね」と、よく言われる。
そうした日常の生活では何にも困らないのに、何かを決めようとすると考えられなくなる。日常のルーチンはできるのに、新しいことを決めようとすると頭が一杯になって脳の活動が止まってしまう気分に襲われる。
それも、酷くできないときと、少しならできるときがあるから厄介だ。
もう、「何にもできない」と感じる日があるかと思うと、「できそうだ」と思える日もある。
できない日だけ、できない部分だけ助けてもらえば生活できるのに、そうした制度はない。
出来ない人は、何でもできないと思われ、定時で介助や支援をお願いしないといけない。
できる日に、サービスを断ると、「それならできるんですね」と言われるから、出来ても「できないフリ」をしている。
明夫さんは、そんな嘘をつく自分が許せないから、サービスを使わない。使わないと、状態が悪くなる。
そんなジレンマを感じているが、どうしようもないと思ってしまう。
「これが僕なんだし、僕はぼくを受け入れるしかない」
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後見監督人、保佐監督人、補助監督人の仕事は、後見人等の業務を監督(支援)すること以外に、保佐・補助であれば後見・保佐への申し立てをすることも含まれる。
判断能力が固定した状態ということでなければ、補助・保佐で審判が下り、時間の経過と共に状態の変化が現れることがある。
そうした場合は、監督人が申立て申請をすることができる。
これは、あくまで「できる」という規定であり、変更することが利用者にとって望ましい場合に行うことがいいと考える。
ちなみに、保佐で審判が下り、状態の変化から後見相当と判断される利用者が居るが、代理権の範囲としても変更することを必要としないと申立てを行っていないケースもある。(もちろん裁判所と相談して)
一方、変更しないと本人の今後の生活に不利益と考えられる場合には、保佐人、補助人と相談して保佐開始の申立て、後見開始の申立てを行うことが望ましい。
この場合も、一般の申立てと同じように進めることを家裁は想定している。
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日本の三大生命保険会社(の2つ)に行く機会があった。
生保会社というところはシビアな会社だと感じる。
受け付けから見える場所に堂々と社員の成績が張り出してあり、「達成おめでとう」と言う言葉が金文字で踊っている。
○○さんが頑張って契約を取ったんだと誰が見ても分かるようになっている。また、訪問するお客さんにも「この会社は頑張っているんだからね」と強く訴えてくる。
また、応接室でお茶を飲んでいると、隣りで先輩職員が新人職員に激を飛ばしている声が聞こえてくる。「あんた営業ってもんはね・・・」とか、「そこんとこは、・・・しなくちゃだめじゃない」とか。
お茶を飲見んでいても、耳だけは右の方を向いてしまう。
こんなに分かりやすい会社も今時珍しい。
しかし、支払いになると急にトーンが落ちる。
「それは、本部に確認してみないとなんとも・・・」とか
「特約の契約書には・・・となっていますから、それはどんなものでしょうか」と
急に歯切れが悪くなる。
こちらが請求しなければ決して、「いい忘れましたが、これも請求できますよ」とか、「これを合わせて請求すると特ですよ」とは言ってくれない。
それに、先輩のベテランお姉さんは堂々としている。これが堂々人生としての生保レディーの生き方なんだろう。
お茶をすすりながら、上目遣いで見てしまった。
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生前に葬儀の契約をするこが出来るか問い合わせをした。
まず、会場選び。
本人に縁があり、関係者が集まりやすい会場がいい。もちろん、予算も大事。
会場については予約は出来ないが、前金を預けることとができ、後日、日程を打ち合わせることで問題は解決できる。
葬儀についても、葬儀社と詳細を打ち合わせることで式の内容を確認でき、やはり前金を預けて約束することは出来る。毎年、確認を行なっておくことでその時の物価の変動や内容の変更にも対応できる。
互助会に入ることも出来るが、むしろ詳細を検討したほうが現実的だと感じた。
ここに、被後見人(本人)も参加できないかと考えている。自分の葬式を自分のイメージで行なえたらいいんじゃないかと思ったりするが、不謹慎かな。
特に身寄りのないひとり暮らしの人の場合は必要だと思う。
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司法書士に仕事を依頼した。
相続関係の書類の取り寄せと登記を依頼した。
裁判所で担当官と話をしているうちに、「専門家に依頼するほうがいいわよ」と言われたことで、気が楽になった。
何をすればいいのかを知っていることは大事だと思うが、全てひとりで行なうことがいい訳ではない。専門化が行なった方がいいことは、財産的に許せば、依頼する道を探すこともいいのではないか。
別件で、弁護士に仕事を依頼したいと考えている。
ただ、弁護士に依頼する時は、どこまでやることがいいのかが問題になる。課題が全て解決することを目指すべきなのか、大きな課題はそのままにして当面の問題を解決するようにするか。または、何もしないかなど。
こう書いても何のことか分からないと思う。そうなんだよね、実際の問題は生きているから説明が難しい。
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成年後見制度の話や、相続の話を他所ですることがある。
しかし、実際の場面が起きると、話とは違ってしまうのが現実。
では、どうするかといえば、現実に即して動き回る。
いつも現実の方が先を行く。それに、現実は予定どうりには進まない。
予定どうりに進めようとする自分に対して、現実は「そうは行かないよ」と教えてくれる。
臨機応変なんていっても、現実の前では立ち止まってしまう。思考が停止してしまう。だから、頭を使わずに身体が動くように練習をする。
フィギュアスケートの選手は、練習を重ね、自分が3回転するイメージをしっかり作っている。
さて、3回転できない僕はどうしたらいいのか。
怖がらずに飛び込むことかな。
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利用者と深大寺に出かけた。
前からの約束であり、楽しみに待っていてくれた。
風は冷たいが、陽だまりは暖かく、気持ちのいい日和だった。
砂利道や石畳は、車椅子の乗り心地が悪いので、少し押しては休憩をとる。
甘酒を飲み、お土産のねこの置物を買い、茶屋の前に置かれた椅子に座り話し込む。外に出るだけで気分が変わるが、なかなか外出はできない。
風が出てきたので、蕎麦屋に入り昼食。
出てきた、蕎麦を「おいしい」と食べるが、半分ほど残す。
抱きかかえるように車に乗せて帰り道となる。
ほんの2時間ほどの外出だった。
デイサービスで働いていたとき、年に2回ほど外出を企画した。外に出ると、いつも飲まないビールをがぶがぶ飲む人がいた。お土産を買って帰れると、袋にどんどん詰め込む人もいた。「たまにはいいわよね」と、油をたっぷり使った料理を注文する人など、いつもなら我慢することを、その日は特別と言い聞かせていた。
特にお金を使うことが嬉しいようだった。お金を持っていても使うことがないというのは、辛いことであるらしい。
そう考えると、施設での生活は無駄なものを買わない生活。無駄なものを買わない生活はストレスが溜まりやすい生活かもしれない。
そうした視点で見ると、家に居るときは散らかった部屋で生活していた人が、施設に入った瞬間から片付いた部屋で生活するのも良し悪しだと感じる。
先日訪問した老人施設は、部屋に荷物を沢山持ち込んでいる人が多くいた。施設の職員もそれを歓迎している様子があり、雑然とした空間がホッとさせてくれる。
生活をしていると荷物は増えるんだよね。
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車で銀行めぐり。
後見届けや各種届けをするために5行を回る。
都心と違い、郊外の場合は銀行が駅からかなり離れている。そんなときには車が便利。
市役所により、障害者控除の認定を貰い、市民税の申告を行い、確定申告を提出。
利用者との面談を行い、家裁に確認の電話を入れる。
お昼は、役所の駐車場で弁当を食べる。
家に帰ってきたのは、3時過ぎ。
かなり仕事をこなしても効率よく動くことができた。
これから、書類の整理と講座の準備をする予定。
自宅のデスク(食堂のテーブルで仕事をする)から見える庭の桜は、だいぶ蕾が膨らんできた。
来週には、家に居ながらお花見ができそうだ。
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確定申告の控除の中で障害者控除が受けられる場合がある。
障害者手帳を交付されていなくても、介護保険を受け、要介護認定を受けている場合には、自治体により障害者控除の対象と認定される。
特に、「常に精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く状態にある人は、特別障害者に該当する」(国税庁)という基準を定めている。
つまり、被後見人は、特別障害者に該当すると思われる。
また、認定の基準は自治体により違い、A市の場合は、要介護1から該当する場合があるという。
障害控除は、27万円。特別障害者控除は40万円。それぞれ所得から差し引かれることになる。特別障害者控除は、基礎控除(37万)より多い。
審査には、介護保険認定調査等を用い、要介護度、生活自立度(寝たきり度)、認知度などの指標を参考にすると担当者は言っていた。
確定申告は15日までです。
お早めに申告しましょう。
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郵便局に後見人等の届けを出しに行った。
保佐人の交代に対して、前任者の保佐人の署名・捺印を求められ、議論となった。
郵便センターの話によると、マニュアルで保佐人の交代に当たっては、住所・氏名等の変更に当たると解釈するので、前任者の署名・捺印を必要とすると言い張る。
理論的には、前保佐人と現保佐人の関係(つながり)は無く、前保佐人を特定する手立てはない。また、登記事項証明書から住所が判明したとしても、前保佐人に署名・捺印を求めるという行為は、その根拠が明確でなく到底受け入れられない旨を主張した。さらに、保佐人が、遠方にいた場合(外国にいる場合)には現実には署名・捺印は不可能であり、場合によっては、病気・死亡というケースも考えられると伝えた。
それに対して、遠方等の場合は、特別の事由に当たると解釈し、その旨を記入することで対応したいという。しかし、あくまで内規で決まっているので署名・捺印の必要性を主張する。
郵便局長は、「現場はお客様と真剣に対応しているのに、まったく物分りが悪い。必要というのなら、根拠を明確にしなさい」と僕以上に怒っているので、こちらが冷静になってしまった。
今日は、時間があるので2時間を掛けて有意義な議論ができたと思う。
結論は、局長の判断で、通帳の変更を行い、前任者の署名・捺印はしなかった。
ちなみに、前回も保佐人の交代による後見人等の届けを郵便局に出したが、すんなりOKだった。郵便センター係員により解釈が違うのか、局の裁量でやっているのかわからないが、対応のいい局ですんなりやるもの良し、すったもんだとするものまた楽しい。
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畳を替え、襖と壁を綺麗にした山田さん(仮名)の家を訪問した。新しい畳の香りが気持ちいい。
後見人が付く前には、できなかったことが少しづつできるようになった。それでも、変化は少なく、今までの生活スタイルは変えないようにしている。
山田さんは腰痛があり、ベッドの方が楽だとケアマネは言う。
しかし、「ベッドじゃねえ、寝た気がしないよね」と山田さんは譲らない。
そこで、スノコを作って敷いて、その上にマットを置くのはどうだろうかと提案してみた。すると、「スノコはいいね。それなら作れるよ」と、すっかり自分で作る気分になっている。
山田さんは大工仕事が好きで、家中のあちこちに山田作の工作がある。マットレスのためのスノコではなく、スノコ作りで頭が一杯になっている。
そこに、昔勤めていた会社の人が尋ねてきた。会社時代の写真とイチゴをお土産に持ってきてくれた。写真を見ては、「これが・・で、こっちが・・だよ」と、ひとり一人の顔と名前を思い出しては話が弾む。
会社の人が、「ベッドがいいよ」と言ってくれたが、山田さんは「ベッドはね、寝た気がしないよ」と、スノコの話も何も忘れている。
会社の人が帰ってから、イチゴを食べながら、「イチゴは上手いね。誰が持ってきたんだっけ」という山田さん。
さて、スノコはどうなるやら。
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相続の関係で、役所、裁判所、銀行を回った。
そこで分かったことは、遺言書があるとないとでは大違いだということ。
例えば、高齢夫婦のどちらかが亡くなり、両親はすでに亡く、子どもがいない場合。
配偶者と亡くなった方のきょうだいに相続権が発生する。その、きょうだいが亡くなっている場合は、きょうだいの子どもが代襲相続人となる。
遺留分は存在しないが、法定相続分は4分の1存在する。
例えば、きょうだいが7人いて、それぞれに子どもが3人いたとすると、相続権がある子どもたちが6×3=18人となる。(本人を除くときょうだいは6人)
遺言が無い場合。
法定相続人を確定するために本人の生まれたから亡くなるまでの戸籍を追いかける。さらに、子ども両親がいない(亡くなっている)ことを確定し、きょうだいを確認する。
もし、亡くなっている場合は亡くなっていることが確認できる戸籍をとる。さらに、代襲相続権がある子どもの戸籍をとる。
ケースの場合は、本人の生まれたからの戸籍の他、6人のきょうだいの戸籍と18人の子どもの戸籍が必要となる。
また、銀行の相続に関する手続きとして、相続人全員の自筆の署名と実印、印鑑証明が必要になる。
遺言書があれば。
法定相続人の確定をするための戸籍謄本については同じであるが、銀行関係の書類は簡素化できる。
それは、遺言で、たとえば「すべて妻に贈与する」とあれば、きょうだいには相続権はなく、遺留分も無いため相続は決定でき、相続人についてのみの書類が求められる。
遺言書が無いため、法定相続権通り遺産として72分1の財産があるからといって、ひとり一人署名と印鑑証明を貰うのは大変な作業である。
ちなみに、1千万の財産の場合、配偶者は750万。ケースのきょうだいの子ども一人に付き、約13万8千円となる。
さらに、財産は分けあえる現金だけとは限らない、土地や家のような不動産がある場合は、話は更にややこしくなる。
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「後見人がついたら、よけいにやり難くなった」と、親族から言われることがある。
後見人は、本人の生活や財産管理のために仕事をするが、親族にとっては、上手に財産を管理したいが為に申請することもある。
「後見人が付いたら、家と土地を売ろうと思っていたのに出来なくなった」ということがある。
不動産を処分するために、父親名義の土地を売却しようとしたら、判断能力が低下している父親に後見人が必要だと言われた。
長男は、自分が後見人になれると信じて申立てを行なったが、裁判所は、第三者後見人を選任した。
長男は、選任された後見人に土地を売りたいと申し出たが、「その必要がない」と言われ、なんの為に後見人をつけたか分からないと、不満が爆発。
施設に入所することになり、契約能力がないから後見人が必要といわれ、長女が後見人になろうと裁判所に申立てを行なった。しかし、裁判所は、第三者後見人を選任。その後見人が、家で暮らしたいと本人が考えているので、施設に入所するのを先延ばしにしたいと言い出した。
長女は、そんなことになるんなら後見人を立てなければ良かったという。
その上、長女が管理していた通帳や現金を後見人が管理することになった。
後見人は、本人の生活を関係者と相談して最善の道を探す使命がある。本人の利益と家族の利益が一致すれば一番いいのだが、時に相反することがある。その時には、本人の利益を優先することになる。
しかし、家族にとっては不満な結果となる。
そうした利益相反が疑われる場合、裁判所は後見人を第三者(専門後見人)にすることで、本人の利益を守ろうとする。
成年後見制度は、権利を守るシステムであって、本人の権利を制限するためのシステムではない。
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NHKに恨みはない。
しかし、NHKを解約しようとすることには困難を伴う。
被後見人が施設に入ったり、何らかの事情で自宅の生活ができなくなったときに様々な解約をする。電気、ガス、電話、新聞・・・。
それらは契約を打ち切る場合の手続きが決まっている。
しかし、NHKだけは、契約が終了するという考えを持っていない。
契約を終了することを前提には話し合いが成立しない。
例え住んでいないと言っても、「誰かがいるだろう」という。また、どこかに行ったのであれば転居先を教えろという話になる。NHKは日本のどこに行っても受信機があれば受信料を払う義務があると担当者は言いたいのであろう。
NHKの職員と話をしたら、自宅にテレビがあれば解約はできない。パソコン、携帯電話でもテレビが見られる状態のものであれば、NHK受信料を払うのは義務だという。
これは中々しぶとい。
住んでいないことを納得してもらうためには、個別集金にするしかない。
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新規クライアントの面接。
契約を明確に結ぶことができないまま始まることもある。
困っていても、何が困っているか分かるうちは、何とかなる。何が困るのか、どこまで出来るのかわからないから、どうしていいかも分からない。
支援をお願いしていても、自分の気持ちにギャップを感じるので、人を上手く受け入れることができない。
そんな状況でも関係を持つことになる。何かが始まろうとしている。そう考えることにしている。
後見監督の審判書を受け取る。
監督人としての初めての仕事が来た。監督することを裁判所が期待しているのではなく、こちらも関係を持ち続けることが期待されている。
早速アポイントを入れる。
「お会いすることで、お互い安心できるといいですね」と伝える。
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家裁の地下でカレーを食べて後見センターに上る。
カレーは安くて美味しかった。もうすこし辛いともっといい。(アイステーも付いている)
調査官から依頼の事件の説明を受け、資料の読み込みを行う。
その後、区役所に戻り、認定調査書を提出、事務所に戻る。
郵便受けから後見人に送られてきた書類を取り、分類しファイルに閉じこむ。すぐに提出する書類は記入しポストに。
関係者とケアマネに連絡をいれ、状況を確認して指示を出す。担当者会議の依頼と施設で被後見人のサービス状況を確認する日程と打ち合わせる。
コーヒーを淹れ、区役所からの帰りに買ってきたイチゴのケーキを取り出していただく。
カレーよりケーキの方が高かった。
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施設を訪問。
年末の施設は静かだ。
鶴さん(仮名)は、こだわりの人である。
美味しいものが食べたいと言う。甘いものが食べたいと言う。そっと買ってきてくれと頼まれた。職員に見つかると叱られるから、きっと怒られるという。”太るとお風呂に入れてもらう時大変だろう”と、職員に気づかっているが、施設の食事だけでは物足りない。
何が食べたいんですかと聞く。
”カロリーメイト”と答えが返ってきた。
もっと美味しいお菓子があるんじゃないかと、いろいろなお菓子の名前をあげるが、やはり、カロリーメイトだという。
それも、フルーツ味がいいという。チョコレート味は、甘すぎるから、甘さ押さえめのフルーツ味が一番だと譲らない。
鶴さんが太ってもいいのならそっと買ってきますよという。今日のお土産は、日本の四季のカレンダーと月間テレビガイド。
テレビにもうるさい鶴さんは、テレビガイドをみながら、好きな番組を探すことが一番の楽しみのようす。
正月に着る洋服がないから困っているのよと別れ際にいう。
今日は職員と洋服の整理をしていたが、気に入った洋服が見つからなかったようだ。
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認知症と思われる被後見人の義男さん(仮名)には、「わたしのラバさん」と声をかける。
すると、義男さんは、
「酋長の娘。色は黒いが南洋じゃ美人」と応える。
義男さんはいつも眠そうな顔をしているが、南陽の話になると目が輝く。
「義男さんは、どこにいたんです?」と聞く。
「テニアン島だよ。マルポにいた」と、はっきりとした口調になる。
テニアン島は、サイパンの南にある島。チャモロ人がのんびり暮らしていたが、西洋人が島に来てからは島民の生活は一変した。1944年には、日本人が15700人に対してチャモロ人が26人となった。
ドイツの占領後、1920年から日本の統治となる。南洋興発株式会社が砂糖の生産の為に日本からの移民を募集した。義男さんのお父様もその時家族とテニアン島に渡る。
義男さんは小さな子どもだったようだ。
突然義男さんが、「吉岡美子先生はパンツを穿いていなかった」という。
それから、どうして先生がパンツを穿いていなかったかを詳しく話しはじめる。
「ライオン岩があってね」と、ライオン岩の話を始める。
いつの間にか義男さんの顔が若者の顔になっている。
テニアン島のことを調べていたら、太平洋戦争でB29が日本に向けて出撃した基地だったことが分かった。そして、広島、長崎に原爆を落とした飛行機はテニアン島から飛び立った。
テニアン島には今なお日本兵の遺骨がたくさん眠っている。
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M市後見人連絡会に出席した。
M市は後見に対して積極的な姿勢で取り組み、首長申し立てが40件を数え、財産が少ない被後見人に代わって行政が報酬付与の支援を行なっている。
僕も、M市の後見等を2件、申し立て中の案件が1件、その他の支援1件を抱えて、いろいろ担当者にはお世話になっている。
行政が積極的だと、担当者も理解があり、業務を進める上で心強い。
今日は、M市の市長申立てにより後見等を受任している弁護士、行政書士、社会福祉士等が出席して情報交換を行なった。みな、被後見人の生活を豊かにしようと頑張っている専門家であり、同じ気持ちで取り組んでいる仲間がいるだけで安心できる。
その中で感じたことは、成年後見制度はこれから成熟する制度だということだ。世の中が高齢化に向かい、契約社会ではどうしても必要な制度であることは認識されてきた。また、この制度は、財産を管理だけが期待されている訳でなく、本人の豊かな生活の保障が期待されている。
つまり、ほんとうの「豊かさ」とは何かが問われている。
安倍さんが、「美しい日本」というとき、「うつくしさ」とは何かが問われるように、今の日本で「豊かな生活とはなにか」が問われていると感じる。
それは、被後見人だけの問題ではなく、私達が豊かに暮らしているかが問われている。
そう感じた。
そうして見た場合、成年後見の課題は私たちの課題でもある。消費者被害の問題も、いじめの問題も、家族の問題も、格差社会の問題も、ニートも、少子化も、環境問題も、今の社会の問題が成年後見の課題とクロスする。
私達の社会が豊かでないのに、被後見人の生活が豊かになることはない。
そう考えて見ると、銀行が硬直化しているのもうなづける。
施設での生活は理想の生活でない。
銀行や企業は、人を見ていない、お金を見ている。それも、競争に勝てる人の金を。
施設は、生活の場所ではない。箱である。
どうしたら施設から被後見人を社会に返せるだろうか。それが後見人の一番の課題だと思っている。だって、施設に入りたい人が5パーセントもいない時代に、後見人を施設に入れるのは問題がある。しかし、一方で、施設の順番を待っている人が何万人もいるのが日本の現実である。
それが、今の日本の「豊かさ」なのだろう。
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成年後見人の仕事の範囲は、本人の財産管理と身上配慮だといわれている。
つまり、判断能力がなくなった本人の生活と財産を守ることが仕事である。
財産を守るとは、お金を使わないで残すことではない。本人の自己実現の為に有効に財産を活用することである。そうはいっても、意思能力が低下している本人の意思をどのように確認すればいいのだろう。判断能力が落ちているから、本人が「やりたい」と言っていることをそのままおこなっていい訳でもない。
後見人としては悩むところだ。
その時によく言われるのは常識的であるかどうかだという。しかし、毎月100万円使う人の常識と、5万円使う人の常識は違う。それに、拘りについてはもっと難しい。食べるものを切り詰めても毎日美容院に行きたい人だっている。
本人の生活だけでなく、家族の生活についても配慮しないといけない。
後見人の業務でないからやらないというわけにもいかない事がある。本人には親がいる場合がある。子どもがいることがある。そうした親族を扶養している場合もある。それを経済的な面だけで支えるとは割り切れない。
つまり、どこまでという範囲は決まっているようで、決まっていない部分が多い。
決まっていないから難しいのだが、決まっていないからやりがいがあるともいえる。
そんな時、客観的な判断を求めたり、議論したり、悩んだりするプロセスが大切だと感じる。時間がかかる仕事です。
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任意後見とは、判断能力があるうちに、自分で判断ができなくなったときのことを想定して、予め自分らしい生活を支えてくれる人を決めておく制度だ。
これだけ読むとよく分からない。どうして分からないかというと。現時点では自分の生活を自分で決めることができる人が、そうでなくなったときのことを考えるからだ。
自分が判断能力がなくなった時のことは上手く考えられない。それは、自分が死んだときどうなるのかを考えるようなものだからだ。
だから、任意後見は難しい。
将来を考えると、自分がボケてしまったとき、誰かが支援してくれて、それまでの生活に近い自分らしい生活をすることができればいいと考える。
しかし、現実には、今は困っていない。今、困っていない人が「困ったとき」のことを考えるのはすごい想像力が必要になる。
それに、もしそうなったら、自分は今の自分が考えるようなことを望むのだろうか。そんな疑問が湧いてくる。
それに、本当に任意後見人は自分が望むことを実現できるのだろうかと考える。
そうなると先には進めない。
普通、私達は分かっていることを決める。それなのに、任意後見制度は将来の分からないことを決める。分からないことを決めるのは大変だ。
どうなるのか分からないことを、分かっているときに判断するのだから、考えると判断できなくなるというパラドックスに陥る。
契約を結ぶときに必要なことは、契約の内容ではなく、その人を信用できるかどうかだと感じる。信じるとは、目に見えないのもが見えることだからだ。
一人の人を信じられるようになるには時間が必要になる。
あるいは直感が。
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「宝くじは買わない」を歌いながら銀行を回った。
銀行員の対応は、印鑑をとっても重要に扱う。そして、マニュアルによって動く。
これを、逆手にとって付き合うのが、上手な銀行員とのお付き合いだと感じる。
その①貸金庫を借りている被後見人の場合。
銀行員Aさん「後見人が付いたら貸金庫は終了することになっています」
僕「はい分かりました。その旨が明記してある契約書を見せてください」
銀行員A「いま。契約書を持ってきます」
貸金庫規定書を持参し、探し始める。(後見人が付いたら同時に契約が終了するなんてところがあるはずがない)
僕「ないようですね」
銀行員A「そのようです」
僕「では、貸金庫を継続して利用しますから、書類を出してください」
銀行員A「かしこまりました」
その②銀行カードを作る場合
銀行員B「カードは、本人の住所地に送る決まりになっております」
僕「知っています。でも、この方の場合住所地にいないので後見人の住所に送ってください。別の支店では、このような内規により可能だと処理されています。」
銀行員B「それを見せてください」
内規をコピーに裏に回る。しばらくして現れ、
「では、後見人の住所に送ります」
その③どうしても本人の印鑑を押したいと言う銀行員。
「書類上、本人様の印鑑が必要になりますので、・・・」
言い方は丁寧であるが、印鑑を押さないと先には進まないからね、という信念が感じられる。
僕「分かりました。でも、どの印鑑か特定できないのでどうしますか」
銀行員C「全ての印鑑をここに押してください」と紙を出す。
僕が印鑑を8本取り出し、一つ一つ押すと、印影の確認に走る。
銀行員C「分かりました、3本目です。」すごく嬉しそうな顔をする。
目が血走っている銀行員には逆らわない、なにせ凄い給料を貰っているのだから。
追記)銀行の生態でおかしいのは。初めに男性が登場して「こうなってますから」と説明をする。そして、自分の用が済んだら女性に代わる。
自分が間違っていても、そのことは訂正せずに、女性が謝る係りになっている。
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施設利用をしている被後見人の医療について、アンケートのようなものを貰った。
①本人が体調の悪い場合には電話連絡を希望するか?命に関わる場合には連絡を希望するか?と聞いている。
②病院の受診について。本人に異常があったときに、病院に受診するか?生活に支障をきたしたときに病院に受診するか?命に関わる異常の場合、病院の受診を希望するか?と聞いている。
③病院受診の決定は誰がするか?
「えっ」と思った。(率直な感想)
そんな時代になったのかと思った。
体調が悪いのは本人であり、家族でない。体調が悪い人がいたら、その人にとって最善のケア、医療を保障するために努力すると考えるのではなく、「どうしますか」と聞く時代になったのか。
また、家族が望まない場合は、連絡を希望しない場合は「電話をしない」のだろうか。
そこには、家族の希望・要望は反映するかも知れないが、本人の希望・要望、または、施設としての願望は無いのだろうか。
施設は物を預かっているわけではない。
生きている人をケアしているのだから、生きている人に聞いて欲しい。生きている人は、たとえ、言葉を発しなくても自分の意思を持っている。ミンデルは、死に行く人と交流が持てると言っている。
そうした方法の検討や、家族との和解、誰に見守られて生きていくか、そういう議論にどうしてならないのだろうかと思う。
連続して3つの記事を書きました。特定の施設の話しではありません。
今の日本の現状だと感じています。
もちろん、施設の職員や関係者は献身的に仕事をしていることも知っています。それでも、高齢者施設が向かっている方向は利用者本位、利用者の自己決定権を保障していないように思えます。
ご意見をお寄せください。
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施設に入っている被後見人にヘルパーを自費で依頼することを考えている。
施設では十分なサービスが受けられないから、ヘルパーを依頼するのだが。よく考えるとおかしい話だ。
レストランに行って、料理が拙いから別の店から出前を取るようなものだ。
または、ホテルに行って、ベッドの具合が悪いからレンタルベッドを自費で頼むような話である。
しかし、今の介護保険制度の下では、理念としては「個別プランを立て、原則個室でその人らしい生活を送れます」といっても、職員不足、職員のスキル不足等により十分なケアが実現できないことを施設の職員自らが認めている。
人件費削減の為に外国人ヘルパーを採用することが現実の問題として施設で話されているとも聞く。
まったく、国や政治家は高齢者の生活の質が落ちていることを知っているのだろうか。知っていて政策を決定しているのだろう。
話は戻って。
被後見人の個別ケアを保障するためにはどうすればいいのだろうか。
色々は人の意見を聞いて見たいと思っている。
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特養で生活している人の担当者会議に参加。
ケアプラン(原案)を見ながら説明を受ける。
後見人として意見を求められたので、要望を伝えた。
ケアプランとは、プレゼンのようなものだと思う。つまり、お客様に受け入れてもらえるようなプレゼント(プレゼンス)をする。プレゼンとは、ある意味プレゼント(お土産)だ。
お客様(特養にあっては、毎月30万から40万の利用料を黙って払ってくれるお客様だと思うんだけど)とその家族に対するプレゼントは、分かりやすく、お客様が満足してもらえるような工夫が必要。
目標には、この先「こんな風にして差し上げます」というような言葉が書いてあるとうれしい。また、短期目標は、その具体性と、達成が確認できるような項目であることが必要。なぜなら、評価(次回の会議で)したとき、「ほら、この目標は達成されましたよ。私達がこんなに努力した結果ですよ」と自慢できるし、家族だって、「お陰さまで、目標が達成できました。ありがとうございます」といえる。
さらに、プランは、何をしてくれるのか、そうすることで本人のどの能力が維持できるのか、本人がどんなにうれしくなるのかが分かるものであるといい。
だから、紙を渡すより、パソコンやパワーポイントを使うといい。
何しろ時代はビジュアルだ。
そんな風にお土産を沢山貰って帰れるような担当者会議に参加したい。
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安男さん(仮名・73歳)は冒険をしたいと考えている。
安男さんは、安い男という名前の通り、安定した生活を送ってきた。定年後、妻と安定した老後を送っていたが、3年前に突然妻を亡くした。
心配した息子達が、一人で生活するのは無理だからと、有料老人ホームに申し込んでくれ、2年前から暮らしている。
当初は、妻を亡くしたショックもあり、身の回りの世話をしてくれるヘルパーさんがいてくれるホームの生活を有難いと思っていた。しかし、最近、同居の利用者との生活にストレスを感じるようになっている自分に気づいた。
息子にそのことを言うと、「あんないい施設はない。それに、入居金として1千万円を納めており、今から退去すると殆ど帰ってこないから我慢しろ」と言う。息子は同居することを全く考えていないし、安男さんも息子の家に行く気はない。
実は、ホームを退去して一人で暮らしてみようと考えている。それに、今ならお金もあるし、体力もあるから何とかなると思っている。それに、冒険することは若者の特権ではないだろうと思う。
しかし、そのことを誰に言っても理解してもらえない。
それではと、自分で色々と下調べをしている。
いい物件が見つかったら、契約して息子をびっくりさせてやろうと思っている。
年寄りだって、冒険したい時がある。
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被後見人関係者と打ち合わせの後、ケアマネジャーから相談を受ける。
一人ケアマネのその人は、一所懸命にケアマネ業務を行っている。
ところが、研修会で会った同業のケアマネから、「私なんか、訪問も行ってないわよ」的な話を聞き、ショックを受けたという。
まじめにやっている者がバカをみる社会というのはおかしいと、彼女は綺麗な目で問いかけてき。
僕には何も言ってあげられることはない。
ただ、被後見人に関する全ての責任は後見人の僕にあるので、今後は、そのところだけは安心してくださいと伝えた。
被後見人が在宅生活を維持するために、ケアマネジャーは無くてはならない存在である。
そのケアマネジャーが力を発揮できるために、役割分担を明確にし、責任の所在を確認することが後見人の仕事だ。
今後ともよろしくお願いします。
郵便局で成年後見人届を出した。
キャッシュカードを作る際、「カードは被後見人住所の所に送ることが決まりとなっている」という窓口の人といつももめる。
被後見人は、判断能力がなく、紛失したり、破いたり、捨てたりする恐れがあるので、後見人の住所地または、窓口受け取りができないかと依頼した。
事務所の近くの郵便局では、「できない」という回答。また、通帳の一つが、「本人確認」ができていないので、本人が確認できる免許者か健康保険証等の公的機関から発行された書類を見せて欲しいともいわれた。
普通預金通帳に「本人確認」の判が押してあるので、済んでいると思っていたので持参していなかった。出直すことにした。
午後、出先の郵便局で再度、後見届けを提出。
今度は、本人確認については何も言われない。
また、キャッシュカードの送付については郵便センターに確認を依頼する。
30分ほど待たされ、「成年後見人等に送付できます」と回答がある。
その、根拠を伺うと。
郵便事務取り扱い説明書(たぶん)
第10条の2第2項(成年被後見人の郵便貯金への成年後見人等の設定)
(4)成年後見人等への説明
「成年後見人等(任意後見人及び郵便貯金の取り扱いに関して代理権を有する保佐人又は補助人を含む。以下同じ。)に、「成年後見人(被保佐人又は被補助人)の当該貯金については、すべて成年後見人等が預払い等の取り扱いを行っていただくとともに、当該貯金に係る各種の案内や、通帳(貯金証書)の再交付請求等があった場合の再発行の通帳(貯金証書)は、成年後見人等に送付させていただく。」旨を説明。
一見落着
在宅の被後見人がいる。
毎日ヘルパーが援助をしている、その確認を誰がどのようにするかが課題になっていた。
後見人が、毎月まとめて確認印を押すのもどうだろうと、行政に相談ししてみることをお願いしてみた。
その回答があった。
結論として、行政は週1回は訪問や電話でサービスの確認をする。(抜き打ち)また、確認印は行政の担当者が押す。さらに、全ての確認はできないので、その旨を行政が事業者に文書を出すということになる。
議論をした上での結論だと感じる。こうした実績で運用が変更されていくのだろうと感じた。
これからも宜しくお願いします。
有料ホームで暮らす百恵さん(仮名77歳)はアパートを借りようと考えている。
ホームの人に話すと「ここの方が安心でいいわよ」と言われる。でも、ホントウの気持ちは言わない。言わないほうがいいと感じる。
それに、あたしの気持ちを理解していないと思う。ホームが嫌で出て行きたいのではない。一人で自由に暮らしたいだけなのだ。その気持ちが分かってもらえない。
ホームでお世話をする人は家庭を持っていたり、一人暮らしだ。しかし、年をとった老人が一人暮らしをすることに反対する。自分がやっていても、老人には無理だという。
それほど年が変わらない人だっているのに、私にはできないと決め付けていることが悔しい。
それに、「あと何年かすると自分のこともできなくなるわよ」といいたそうな口である。何年かすると人のお世話になるかも知れないから、自分のことができるうちの2年でも3年でも一人で暮らしたいのに、分かっていない。
「何不自由ない生活の何処が不満なの」と妹はいう。「あたしなんか、同居していて気疲れが多いのわよ」という。
ああ、あたしの気持ちは妹でさえ理解してくれない。
今できることをしたいだけなのに。
車椅子のフィティングをした。
被保佐人が車椅子を購入することになり、業者に車椅子を2台持ってきていただきフィティングをした。
中古の車椅子であるが、殆ど新品である。それに、タイヤを交換したり、オーダーメイド的に利用する人に合わせた注文もできる(すこしお金は掛かるが)。
車椅子は、本当は移動用の道具で、移動しない時には椅子に移乗するのがいい。椅子についても、用途に応じて色々あるのがいいといわれる。テレビを見る椅子と、お茶を飲む時に座る椅子と、くつろぐ時に座る椅子は違うといいのだが。実際は、そうはいかない。
それに、施設での生活は、移乗回数も少なく、車椅子に乗っている時間が長くなる。それだけに、車椅子は自分のからだに合ったものを使いたい。
後は、車椅子様のクッション。車椅子と同じくらいクッションは大事。
さっそく、気に入った車椅子に乗り、颯爽と漕いでいった。
軽量でリムが細いタイヤなので早い。
株券の後見人届けを出す。
株券を紛失している場合は、紛失届けを、住所が変わっていれば住所変更届けが必要になる。
担当者から、書類には本人(株主)の署名と届け印を押すようにいわれた。
しかし、後見登記されたときから印鑑の有効性はなくなり、本人だってサインできない場合が多い。
それでも担当者は、「規則でそうなっていますから」と言い張る。あくまで例外はないという。
そうした場合、こちらが弱みを見せると(自信なさそうな態度だったりすると)相手は、余計に強く出る。
ハッキリ、きっぱり主張するところは主張する。
すると、相手が妥協案を出してくる。「後見人の実印を本人の所に押してください」なんて言われた。
それも、「できません」というと。「ちょっと待ってください」と奥に引っ込み相談している。
暫く待たされ、「空欄でいいです」となる。
交渉事は難しい、引くことも大切だが、時に押さなければならない。引いてばかりいては、事は進まない。押してばかりだと揉め事が多くなる。
今週は、不動産屋との交渉が待っている。
さて、どんな作戦を立てようか。
ちなみに、株券が見つからないときには、再発行に1年の猶予がかかる。その間に、誰かが売却することもあると証券担当者は言う。株券は、名義人以外が保有している場合が多いらしい。また、2009年には、株券の電子化がはじまる。
株式にも大きな変化が起こっているようである。
急に仕事が増えてきた。
今日は予定がない日で、のんびりしようと思っていると、依頼の電話が3本入った。
先日も、「求めるものは去って行き、待つものはやってくる」と、誰かの名言のような話をしたら、そうなっている。
財政的に意味のある仕事が増えてきて安定してくるのは嬉しいが、忙しくなるのは困ってしまう。
そういえば、何日か前に、「死んだ気になって働け」とお告げのような言葉を貰ったことを思い出した。
求められているうちが花です。
明日は、ソーシャルワーカー講座です。
新人さんもお待ちしています。
被後見人宅に10,000,000の支払い小切手が発行されるかも知れないという手紙が、カナダから来た。(発行は香港)
手紙には、「監査」、「公式」という文字が並び、裏面には、懸賞事業の概要やプライバシーポリシーに関する項目まで印字されている。
そして、ダイヤをあげるから2,000円を振り込めと書いてあり、クレジット番号を記入させようと誘導する。
こうした詐欺メールを信じる人がいる。
こんな時、インターネットで検索すると、大体の商売のからくりが理解できる。
しかし、情報社会の難しいところは、逆もありうるというところ。
インターネットで、それは「とてもいい」と書いてある、説明してある、それも複数の書き込みがあると、信じてしまう。
ネット社会の反応は早い。一時的に、ある方向に振れることだってありうる。
多くの情報は判断材料となるが、情報だけを判断材料にすると間違った判断をすることにもなってしまう。
最後は、自分の感性を信じるしかない。
それにしても、ダイヤモンドなんかいらない。
後見業務をして1年経過したケースの報告を家裁に行った。
同時に、報酬付与申立を行った。
この、ケースは、首長申立てであり行政にも報告書を提出し、報酬についての助成制度が利用できる。
こうした制度をすべての自治体が整備して安心した後見業務の実施ができることを希望したい。
しかし、自治体にとっては、これから増加するであろう後見人に対して毎年報酬助成をするだけの予算がないという。今回の決定についても、次年度はどうなるか分からないという不安はある。
後見制度が財産のある人だけの制度にならないためにも、国による支援の取組みと地方への財政的な支援を期待したい。
追記)報酬助成制度が利用できるケースは、自治体によって違う。概ね、市長村長申立であり、本人に報酬を支払うだけの財産がないケースである。
施設情報の開示について担当者と話をした。
家族や後見人は毎日施設を訪問できず、施設での生活の様子や、サービスがどのように行われているかを知りたい。
実際のサービスについては、記録として残されているので、記録を閲覧することがもっとも簡単な手立てとなる。
施設としても、積極的に情報を開示することが施設の社会化に繋がると思われ、いくつかの施設では積極的にサービス情報記録を提供している。
施設の情報開示規定を読むと、本人に対しては、個人情報開示に応じる(応じるという文言があまり見せたくないという気持ちが出ている)としている。しかし、本人以外が情報を利用する場合は、開示請求を受けて15日以内に回答をするとなっている。しかも、費用として300円。コピーする場合は別途費用請求。
これでは、記録を見たいという気持ちにならない。面会に行って、情報開示書に記入し、回答を待つようなことを進んでするのは後見人ぐらいしかいないと想像する。
個人情報保護規定は、個人情報を保護すると共に、情報を有意義に利用しなくては意味がない。せっかくの情報が隠されいて、信頼感が生まれるだろうか。
個人情報保護規定が、どうかすると、組織の守りとして使われる場面がいくつか見られる。
「個人情報だから見せられません」という前に、情報は誰のために作成されるのかを考えて欲しい。
また、後見人は本人の代理として働くとすると、本人に代わって閲覧できると思われるが、どうなんだろう。その意味では、家族とも違い、包括的な代理権が与えられていると思われる。
リーガルサポート主催、「全国一斉無料成年後見相談会」のお手伝いに四谷の司法書士会館に出かけた。
司法書士と税理士、それに社会福祉士が無料で成年後見の相談を受ける企画であり、僕は2年目の参加。
ブースにそれぞれの専門職が並んで座り、相談にのる。
相談はいろいろであるが、相談を受け方も様々である。人の相談を聞いているのはとても勉強になる。司法書士は、手続きについて詳しく、税理士はお金のことに詳しく、社会福祉士は対人関係について、また、福祉について詳しく話をする。
介護保険の担当者会議で医療、福祉の連携が云われているが、成年後見に於いても、弁護士、司法書士、税理士、社会福祉士の連携が重要だと感じる。
相互協力関係を作りたいと思う。
そうしたら、杉並で開業している税理士の方がいたので、休憩時間に、無料で税務相談を受けた。(昨年は、独立の時の経理の話を聞いた)
話を聞いていたら、我が事務所の決定的な問題が明らかになってしまった。
あまりに大きな問題なのでめまいがした。
落ち着くためにも、終わってから仲間とお茶を飲んだ。
メールアドレスが変わりました。
後見人としてケアマネジャーと会う。
ケアマネジャーの仕事をしているだけにその苦労は理解しているつもりである。また、仕事を理解しているだけに、ケースに巻き込まれやすい特質も分かっている。
ケアマネは、契約によって利用者と繋がっている。介護保険のケアマネジャーであるからには介護保険の上での約束事にのっとって仕事をすることが義務付けられている。
しかし、良心的なケアマネージャーほど、利用者の立場に立って仕事をするから、「こうした方いいんじゃないかしら」と一人で考えてプランを作ってしまう。
これは悪いことではないかもしれないが、後見人から見ると違って見える。
それは、契約と違うと感じる。依頼主との契約に則って仕事をすることが仕事であり、ケアマネの気持ちでするのは仕事ではない。当たり前のようであるが当たり前ではないのが福祉業界だ。
「だって、困っていることは分かっているじゃない」と云われてしまう。
「在宅は無理ですよ」と決め付けられてしまう。
経験からいってそうかもしれないが、そういう約束はしていない。
契約書を取り交わしているのに、重要事項説明を受けているのに、契約内容を履行できない。
ケアマネを責めているのではない。
そういうふうに巻き込まれていることを理解して仕事をして欲しいだけだ。誰が決定するかというプロセスを大切にしてほしい。
決定できないことも含めて、その家族は決定しているということを理解してほしい。
家裁から後見審判書が届く。
異議申し立てがなければ2週間ほどで発効する。
首長申し立てのケースであり、担当者との会議を予定している。
最近、行政の後見センターや担当部署の取り組みが進み、ケースの取り扱いがスムーズである。特に、担当者の後見制度への理解が深く、関係者との連携が取りやすい。
しかし、自治体により違いが大きく出ていることも実感する。申し立てについてはどの自治体も首長申し立てに取り組むようになっているが、その後の支援、また、受任者への報酬補助制度の点となると大きな開きがある。
後見人としては、いい実践を行い行政からの信頼を得ることも大切だと考える。「社会福祉士に任せてよかった」と感じていただくことが、後に続く受任者への責任でもある。
施設入所している被後見人の記録を見せて欲しいとお願いしたところ施設から回答があった。
担当者によると、個人情報保護の点から開示請求書を出して欲しいという。その上で検討したいと回答があった。
後見人は本人の代理人として、本人の生活を見守り、適切な介護を受けていることを確認する義務を負っている。個人情報とは、個人の情報を適切に扱い、第三者が情報を無断で取り扱うことを制限するなど、個人の情報管理の規定するために作られたと理解している。
その点から言えば、後見人が被後見人の情報を閲覧、コピーすることは当然認められていると解釈している。
担当者と話をした。
情報の開示は、施設のオープンさを表す指標であり、開示を制限するのではなく、積極的に開示することが求められるのではないかと伝えた。情報の開示は、職員の接遇向上にも繋がると話をした。
実際、積極的にケースレコードをコピーして送ってくれる施設もあり、施設の中での様子を掴む上で役立っている。
施設との話し合いの中で、一つのケースとして開示をするのではなく、開かれた施設になるために積極的に情報の開示を行って欲しいと願う。
後見人の不祥事が続いている。
後見人候補者となる際に、家庭裁判所に後見人の財産を申告する。
つまり、後見人は被後見人の財産を管理する仕事であり、後見人自身が安定した経済状況であることが求められる。
住宅ローンや民間のローンで苦しんでいる人は後見人には相応しくないと家庭裁判所は考えている。これもリスクマネジメントであろう。
孟子曰く「恒産なくして恒心なし」と。清貧でいるだけでは、後見人になれないということ。
今日の新聞に、準看護士が患者のキャッシュカードを持ち出し、「現金300万円を引き出す」と載っていた。容疑者は、「住宅ローンを抱えて生活が苦しかった」と容疑を認めた。
被後見人の財産を預かる後見人には厳しいモラルが要求されている。それだけに、安定した経済を維持することもその役目でもある。
住宅ローンの残高を早く少なくしたいと考えるこのごろですが、なかなか減りません。
クライアントから緊急な電話が掛かってきた。
すぐに駆けつけ、対応する。
ケアマネと後見人等の一番の違いは、判断の根拠を何処においているかということじゃないかと思う。
ケアマネは介護保険でできることかどうかを判断の根拠にする。そして、保険外のことだと躊躇することになる。
後見人等に於いても、できることとできないことがある。しかし、根拠は本人の意思と判断能力だ。
判断能力があるクライアントの場合なら、本人に確認しながら大体のことはできる。どうすればいいのかは本人が一番知っているといえる。
クライアントを支援する上でケアマネも後見人等も変わらない役割が取れるのに、実際には大きな違いが出るのはなぜだろう。
代理権や取消権、同意権が与えられているというが、それらの権利を行使する場面はそれほど多くはない。それに、それらの権利を行使しないでも支援できることが一番いい援助だといえる。
僕は両方の業務をしているが、一番の違いは、クライアントとその家族が期待するところの違いであるように感じる。
ケアマネに、期待するところと、後見人等に期待するところが違う。
そうしたスタンスの違いが、お互いの関係の違いを生んでいる。
それだけに、後見人等に期待されている重さを感じる。
ニューヨークの裁判官の話を聞いた。
ニューヨーカー(この場合、WASPをいう。つまり、アングロサクソン系の白人でプロテスタント)は、人生の決定についてシビアだ。
成年後見制度はアメリカにもあり、やはり裁判所が後見人の決定権を持っている。日本と一番違うと感じたところは、人生に対する考え方だろう。
離婚率も高く(再婚率も高い)、子どもは成人する前から独立する社会にあって、一人暮らし高齢者は多い。その人たちが一番大切にするものは、自分の生き方(つまり信条、信仰といってもいい)。
成年後見制度についても、自分の権利を守るために使うと考える。具体的には、判断能力がなくなったときに、施設に入れられたりしないようにしたい。自宅で支援者やヘルパーによる支援を受けながら生活することを希望する。
また、終末期になったときには、自分の意思を代弁する人を指名し、延命措置をする、しないを事前に決めたいと考える。
自分のことを医師に任せるなんてとんでもないという国だ。
この生命と人権については政治問題になっており、州によっても意見が分かられ。中絶についても大きな問題になっており、その問題はまだ解決していない。
どちらがいいかなんて云えないけれど、施設に関しては日本とは大きな違いが出ている。
日本では必要悪なんて云われていても、何処かで容認している所がある。一方、集団で生活することに関してはアレルギー的に反応するニューヨーカーの姿がある。
そんなところに入るなら死んだ方がましだと考えているんじゃないだろうか。
自分の信条をそのまま実現しようとする社会というのはかなりハードな社会だと思う。そんなにハードなら、適当に妥協しようというところが日本的社会なのか。
しかし、その日本的社会も随分変わって来ているようである。
施設に入所している被後見人の担当者会議に出席した。
ケアプラン、サービス計画、ケアチェックなどを確認しながら話を聞いた。
出席者は、栄養士、看護師、フロア担当などであった。プランを作る大変さは分かっているので、しっかりしたプランを立てて貰ってありがたい。また、入所者の介護度が上がっているので集団での活動ができなくなっていることや、交代制の勤務の限界もある。
少し気になったことがあった。
プランが施設生活の都合に沿って立てられていることだ。水分摂取、排泄、入浴介助、口腔ケアに整容・・・
普通に生活していると聞きなれない言葉であり、そんなことを気にしている人は少ないだろう。施設生活では当たり前のことが、普通の生活では一般ではない。
楽しく健康で過ごせればいいと考えている人にとっては、管理されているように感じられる。栄養についても、数値が平均からは少ない、カロリーは・・と言われても、美味しく食事が食べれらればいいと思ってしまう。
本人が望んでいることを最大限の関わりで把握してそれを叶えて欲しいと伝えた。
施設で生活する被後見人の後見業務は少ないと言う人がいるが、基本的には同じだと思っている。少ないと考える人は、施設にお任せできるからいいじゃないかと考えているんだろうけど、そうはいかない。
判断能力に欠ける人の生活は誰かが代弁する必要があり、施設の職員に対する啓蒙的な仕事もあるように感じる。
はっきりと分からないからこそ、一緒に考え、判断の根拠を見つけることが必要だ。
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後見業務について家裁への報告書を作成した。
1年間の業務を振り返り記録を整理する。詳しく記録しているようでも、いざ纏めてみると内容が書ききれていないことに気づく。苦労したことも一行で書いてしまうとあっけない。
それに身上配慮的なことは報告しなくてもいいことになっているので、少し悔しい気分になる。
今回のケースは首長申立てであり、行政への報告書を作成し、条件が合えば報酬助成が受けられる。
こうした制度を全ての自治体で行えれば、経済的に裕福でない方の後見人が増えると思われる。そして、後見人の生活も安定するだろう。
ちなみに、後見人はその後見活動を家庭裁判所が業務量に応じて認定し、被後見人の財産から報酬として支払いを許可することになっている。
つまり、財産が少ない被後見人からは、殆ど報酬が見込めない。財産が少なく、後見事務が複雑はケースは引き受けてがなくなる。
権利としての成年後見制度であるが、経済的なものは如何ともならない。だからこそ、行政の助成が必要になると思われる。
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被後見人の介護保険負担者限度額申請が却下された。
役所に問い合わせると。
住民税非課税制度が変わり、老年者非課税制度が全廃されたのに伴い、住民税が発生した。それに伴い、住民税課税世帯は、介護保険負担限度額の対象から外れたと説明を受けた。
介護保険限度額は、施設入所者の食費・居住費に関係がある。
被後見人が生活する自治体の場合、食費がおおよそ650円から1750円に上がる(一日につき)。上がるのはこればかりではない、もちろん住民税も課税される。さらに、介護保険料の所得段階も上がった。
一方、年金は下がり、健康保険の保険料は上がる。
政府は、高齢者から取れるだけ取ろうというのか。
高齢者、障害者、そして、若者から取ろうとしている。
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行政が中心となり後見センターを作り法人後見を始めている。
後見制度の必要があるが、財産がないために後見人の引き受けてがないから後見センターが法人後見を行なうという。
しかし、何処かが違うような気がする。(法人後見がいけないと考えているのではない)
後見制度は財産が有る無しに関わりなく全ての人に等しく利用できる制度であるべきで、財産によって法人後見となるような制度ではない。
行政として、専門後見人に一定の報酬助成を行なっている所もあり、そちらの方が整合性があっていると思う。
それに、法人後見の運営やしスタッフには税金やそれに近い費用が掛かっていることを考えれば、何かをすれば費用がかかるという経済の原則からして、只ということはない。
これは、ボランティア後見にもいえる。
ボランティアはお金が掛からないから利用しやすいと考えているが、ボランティアとは、制度を維持するためのものではない。
せっかく介護保険で契約社会になったのだから、何かをするにはお金が掛かるということや、約束をすることで同等の責任と義務を負うという関係がうまれことの意味を大事にしたい。
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成年後見の届けをするために郵便局に行った。
11時半に出かけ、2時までかかった。途中から応接室に通されて待たされ。生年月日の欄に誰の情報をを書くかで30分待たされる。30センチあるマニュアルを見ながら対応するがそれでも間違えるから余計に時間がかかる。
本人確認できる公的書類必要であるという。確かにそうだと思う。しかし、書類さえ整っていることばかりを大事にしていると、余計にだまされやすいと思うんだが、向こうは書類の連呼。
一番頭に来るのは、通帳や金銭の管理できなくなり、または詐欺に遭うようなことがあり、成年後見人が付いたのに、本人確認のために本人の住所に通帳を送るという。
在宅の認知症の高齢者の実情に全くあっていない。5歳の子どもにが分かるように説明しても、決まりだからという。
通帳を本人のところに送ってトラブルになったら責任を取ってくれるだろうか。
何かというと、公平に、平等に取り扱っていますという。平等というのは、状況に応じて個別に判断することだ。決まりを人間の合わせて、状況に合わせて取り扱うことが本当の平等であり、運用というんじゃないの、郵便局さん。
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成年後見の審判待ちが2件。
成年後見の仕事が他の仕事と一番違うことは、待ち時間があること。
「お願いします」「はい分かりました」とはならない。とにかく待つことになる。その間は何もできない。また、してはいけない。
この間が長い場合は半年以上となる。
半年過ぎるということは、状況が変わっている。相手も変わるがこちらも変わる。
そして、「審判が下りました」と言われてもバリバリ仕事ができるわけではない。そこから始まると思ったほうがいい。始まりは、どんな場合でもゆっくり。焦ってはいけない、とにかく手探りで少しずつ動き出す。
判断能力は無くなりかけているといえども、その人らしく生きることを手伝うことが後見人の仕事。
その人らしい生活ってどんな生活?
それが分かるには何十年もかかる。分からないときは分かるように努力する。努力するにはそれなりの時間がかかる。
とにかく時間がかかる。それが仕事。
しかし、急がないといけないことがあるからややこしい。
落ち着いて急ぐようなもの。なかなか難しい。
待ってる間に何もできないから、忘れないようにする。
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在宅生活が難しくなると福祉関係者は福祉施設や、病院を紹介する。
ネットワークが沢山あり、施設に顔が利くソーシャルワーカーは「できる」ワーカーと言われる。できるワーカーが、そのネットワークを駆使して施設入所に持って行く。すると、家族や関係者から「ありがとう」と言われる。
さて、在宅生活が難しくなった高齢者等が施設利用になったことが「めでたい」事なのであろうか。
ここで難しい状況は、被後見人の場合、自らの判断ができないということ、それに伴い、生活面でのさまざまな問題が生じていることである。
近所の住民も役所の担当も、自立した生活を送れないのでは、在宅生活はできないと「当然」のように考える。そして、後見人を立て、後見人が施設契約を結ぶ。
これでは、勝手には施設に入れられないから、成年後見制度を使っているようなものだ。
実際は、いろいろな状況があり、様々な事情がある。ここで書けないことも沢山あることは重々周知している。それでも、僕自身の被後見人のことを考えても、施設生活がいいのかどうか分からない。分からなくても、最善でないかも知れなくても、考えられるだけ考えて判断した。
ただ、在宅生活ができないから施設と、=で結ばないようにしたい。
理想ばかり言ってもしょうがないじゃないかと言われるかもしれない。それでも、在宅で生活できる人が一人でも多くなることが理想ではないかと感じている。
話は変わるが、児童養護施設で働いていた時、施設は必要悪かという問題があった。施設があるから子どもが入所する。施設を無くして地域で受け入れられないかという理想が話し合われた。
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午前中、成年後見人にできること、できないことと云うテーマで話すレジメを作っていた。
話をする時に、一方的に話をすることは苦手だ。また、黙って話を聞くと眠くなってしまう。
先日サッカーの番組を見ていたら、指導者は選手の能力を生かすためにさまざまな工夫を凝らす。練習では、何も教えないのもいけないが、教えすぎてしまうのもいけない。選手の能力を見極めて、少し上辺りに目標を置いて、絶えずチャレンジできる練習メニューを用意する。(勝手に解釈しているかもしれないけど、こんなことを言っていた)
つまり、相手が飽きるような話はいけない。また、説明調のようなのもだめ。自分で考えて、少しでも身につくようなものがいいということだろう。そう言うのは簡単だが、実際に行うことは、なかなか難しい。
そんな訳で、参加者が考えながら学習できるレジメを用意した。
それに、そのほうが意見が沢山出てくるので、司会者のようにまとめるだけでいいという、楽な面もある。
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わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人
赤道直下 マーシャル諸島 椰子の木陰で テクテク踊る
踊れ踊れ どぶろく飲んで 明日は嬉しい 首の祭り
午後から、被後見人が暮らす特養を訪問。
先月からマンドリンを持参しており、童謡や古賀政男の曲を大きな声で歌う。やはり、マンドリンの音を聞くと僕らの周りを徘徊するおじいさんが増える。今日は近くに来て、一緒に歌をうたうおばあさんと友達になった。
いくつですと聞くと、95に昨日なったという。それはめでたいともう一曲アンコールに応えた。
おばあさんと二人で話していたら、被後見人が突然うたを歌いだした。わたしのラバさん・・・・
とても上手に歌う。2番も歌う。
「ラバさんて、なんですか」と聞くと、
「ラバーだよ」と英語訛りで教えてくれる。貿易で南洋に行っていただけあって発音がいい。「ラバーって、恋人ですね」というと、深く頷く。
じゃあ「首祭り」って何ですか。首狩りの習慣がある人なんでかと聞くと、
黙って、「わたしのラバさん・・・」をくり返している。
そういえば、僕の親父(オヤジ)も軍歌が好きで、よくラバウル小唄や、酋長の娘を歌っていた。テレビに南洋の人が出てくると「土人、土人」と差別的な発言を繰り返した。
「南洋じゃ持てたんじゃないですか」と、聞いてみた。
「・・・・」
鼻歌を歌ってごまかされた。
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後見人の業務は、財産管理と身上監護だ。
後見を引き受けると、契約等被後見人に代わって行なうことになるが、在宅の場合など本人や家族、または、関係者が今まで行なっていたとこを誰が行なうかについて迷うことがある。
後見人が付いたことで、「じゃあ後見人にお願いします」と、大変な仕事からやっと下りられると安心する方もいる。一方、後見人も、代理権を行使していろいろと仕事をこなさないといけないと張り切る。
ここで考えることは、被後見人やその人を取り巻く人たちで出来ていたことを、ある日突然裁判所の審判が下りたからといって、後見人が代わって行なった方がいいのかどうかということだ。
なかなか難しい問題である。
長い期間で行なわれたことは、時間をかけて少しづつ変化することがいいと思う。(緊急性がない問題は)
また、被後見人との人間関係の中で築かれたものは、なるべく崩さずにしておきたい。
一人で決めた方が早いことがあるが、後見業務は、すばやい対応と、慎重な視点を大事にしたいと思う。
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午後から、成年後見センター設立記念講演・演奏会に出かけた。
会場は、6月にオープンした杉並公会堂。新しい施設で、いい感じ。小ホールは200席ほどの空間。講演会には丁度いい広さだ。
講演の前に、早稲田大学交響楽団弦楽五重奏の演奏を聴いた。モーツアルトの調べにあわせ、すっかり寝てしまった。なぜか、モーツアルトは眠くなる。それもいい眠りである。不眠症にはモーツアルトがいいという理由がよく分かる。
講演が終わり、ロビーで冷たく甘い飲み物を飲む。名前はイタリア語なのですぐに忘れた。
後見センターの理事の方と話し込み、事務所に戻ると後見関係の書類と社会保険事務所からの書類が届いている。
6月というのは、役所関係の届出書類が多い月であり、一つひとつ処理する。
夜は、キックオフオフィスの親睦会に参加します。
後見センターから後見の紹介を受けた。
成年後見の仕事は、依頼から実際の業務開始まで数ヶ月かかる。さらに、報酬付与までに、1年以上もかかる。気を長くして付き合わないといけない。
依頼を受けたといっても、そのまま後見人になるとは限らない。後見人候補者となるだけであり、審判がおり、後見登記が済むまでは法的な力は全くない。
しかし、社会福祉士は担当すようなケースの場合、申立ての手伝い以外にも多くのことをする必要が出てくる場合がある。介護保険や、障害関係の手続きをすすめることがあり、病院に受診や診断をすすめることがある。
これらは、あくまで勧めるのである。
生活面での困難な状況や改善を図るために、情報を提示し、申請の手伝いをし、相談に乗る。
これは、ボランティアである。
すでに後見的な事務を行っているように見えるが、ボランティアなのである。
そうした意識でいないと、自分の立場を忘れてしまう。あくまで、後見人候補者であるという立場を忘れないようにしないといけない。
施設で暮らす被後見人を訪問する。
今日はマンドリンを持参した。
古賀メロディーが好きな被後見人。「影を慕いて」では、口を動かしている。
気に入った曲になると身体を乗り出して聞いてくれる。
マンドリンの音を聞きつけて何人かの入所者が近くにやってきた。はいかい中の方が、はいかいのコースを変えて、近くをぐるぐる回っている。椅子を勧めたが、リハビリ中の様子で椅子には座らず、歩き続けている。それでいて、古賀メロディーは気に入っている様子。
「もう少し練習をしてきます」と言い、今日の個人演奏家は30分程で終了した。
次回は太鼓を持参したいが、迷惑だろうな。
成年後見センター運営委員を引き受けた。
後見センターは、成年後見の周知、普及を目的に、市民の権利擁護を推進する機関である。その目的の中でも、特に、権利擁護の必要性は高いが報酬支払能力のない市民に対する支援と法人後見が大きな役割だ。
その意味でも、後見センターが行政に対して市区町村長申立ての必要性を訴えることで、今以上に行政の責任として、市民の権利が擁護されると思われ、期待する。
もう一つ期待したいとこがある。
後見センターが法人後見を行うことで、低所得者等の後見受任件数は増えると思われる。しかし、後見センターのスタッフには限りがあり、必要十分な受任は出来ないものと想像できる。
であれば、行政による報酬補助事業の展開を期待したい。一定の条件をつけることによって、報酬付与が期待できない後見人に対して、その後見活動に見合った報酬補助事業を実施して欲しい。
財源としては、税金だけでなく、基金の創設など、財政的システムを作ることで、成年後見事業が拡大すると思われる。
また、地域包括支援センターに対する支援を進めたい。相互が協力関係を持つというよりも、後見センターにサポート機関としての役割や連携を期待する。そのためにも、それぞれの機関の役割や仕事の分担を決めることが必要であろう。
新しい組織の創設期に参加できる嬉しさを感じている。
午前中に特養で暮らす被後見人を訪問した。
事務的な手続きを済ますと、看護師に呼ばれた。最近状態が悪く、転倒の危険性がある。施設では医療的な処置は出来ないがどうするか聞かれた。
また、一人で歩行することは危険性があり、車椅子で食堂に連れて行きたいがいいか。
危険性が高くなったら、車椅子から転落しないようにベルトをしたいが、いいか。
そうした判断は難しい。どうしたらいいか判らない。施設の職員としても判断しづらいことだろう。近くの医師に見てもらったが検査をしないと何とも言えないという。医師にも判断できない。
まず、検査をした場合、異常が見つかる可能性がある。異常が見つかれば、入院するかどうかの判断を求められる。また、治療するかどうかの判断をしなければならない。服薬をすることになるかも知れない。
入院した場合、生活の制限が大きくなる、経済的な負担もある、今の安定した生活が送れなくなる。しかし、治療することで、もしかしたら状態が改善するかもしれない。どちらも選べない。
しかも、現在、本人には大きな変化はない。年齢相応の状態と言ってもいい。
検査するべきかどうか、判断は難しい。
また、歩き回ることで精神のバランスを取っていた人にとって、ベッドに4点柵をつけられることは自由を失った気持ちになる。危ないからと、車椅子に縛られることは苦痛だろう。だからといって、転倒した場合には、大きな怪我になる可能性も高い。
施設でリハビリを依頼したいが、リハビリは出来ない。施設には、常勤の理学療法士はいない。また、職員体制も充分とは言えない。一人ひとりのニーズに応じるには、今の職員の倍以上のスタッフが必要だと思われる。
どうしたらいいのだろう。
「判断は難しいですね」と答える。
本人の今までの暮らしぶりを話した。そして、どんなときに、楽しそうにしているかを聞いて見た。
「少しでも本人らしい生活が送れるように、考えながら、専門の医師の意見を聞きながら、様子を見ながら・・・」と、わかったような、分からないような答えをしていた。
後見人が利用している施設から電話や文書が届く。
契約書の内容が変わったから署名押印をしてほしい。担当者会議があるから出席するかしないか、連絡をくれ。病院で検査をするかしないかを判断してほしい・・・
個人情報保護法ができ、介護保険制度の改正があったので、連絡は多い。
施設としては、家族にその意向を確認することを実施しているのであろうが、電話の内容は、施設の責任回避のように聞こえる場合がある。
ケアプランを作成する会議を開いてほしいと要望した。すると、年に1度期間を決め開催しているので、個人的な要望には答えられないと言う。
施設の都合で通帳を作り、通帳を施設が預かり、確認のうえ利用料が引き落とされていた。しかし、銀行からの指導で、できなくなったので、通帳を返すから、振込みにしてほしいと言う。
後見人が体調を悪くした。そのことがあって、電話で、もしもの時には、病院に搬送するか、施設で見取るか「どうしますか」と言う。
忙しいのも分かる、仕事が多いのも分かる、しかし、一人のひとの重要な決定を電話一本ですることはできない。決定に至るプロセスを大切にしたい。
そこのところをわかってほしい。
成年後見には、判断能力の違いにより、補助、保佐、後見と三つの類型がある。
従来の禁治産、準禁治産の制度に比べ、利用しやすい制度にするために、3つの類型に分け、補助類型という新しい制度を作った。
補助類型は、後見、保佐に至らない程度に軽度の状態の者を対象にする。保佐は、精神上の障害により著しく不十分な者と規定され、後見は、「判断能力を欠く常況に在る者」とされている。
申し立てをする際には、被後見人の状態に応じた申し立てをしなければならない。後見の申し立てをするのか、保佐の申し立てをするのかにより、書類が違ってくる。
申し立て後に、裁判官の判断や鑑定書により類型が変わることがあるが、申し立てをどの類型にするかはいつも迷う。
研修などでは、後見人が動きやすいからと、「後見類型にしたい」という研修生がいるが、実際はそう簡単ではない。
そもそも判断能力は、一定ではない。考えてみれば当たり前であるが、その日により、気分により、体調により、記憶や判断能力は違ってくる。それに、申し立ての時に、判断能力があった場合でも、3ヵ月後、半年後は違っていることがある。再び、類型の変更申し立をするには被後見人に更なる負担が掛かる。
医師に判断をしてもらうにも、補助や保佐の方の多くは、精神科の受診がない。また、医師といえども、それほど深く付き合っていることがなければ判断を躊躇する。
考えると悩む。
それに時間がどんどん過ぎていく。
つまり、成年後見制度は、これでいいなんて思える判断はなく、時間をかけて、最善と思える判断をすることが求められていることを改めて思い知らせれる。そして、判断の根拠を明確にしなければならない。
特養に入所している被後見人を訪問する。
特養に入るときに口座を作ってもらいたいと依頼された。その口座から、利用料や日用品の購入をしてもらっていた。
しかし、銀行から、本人以外の人(特養のスタッフ)が、施設利用者の口座から、預金を引き出すことが出来なくなったと通知があり、4月から口座振替に変更になった。厳密に考えれば当たり前のことであるが、施設の都合(また、家族の都合)で日常的に行なわれてきたことである。
こうした、銀行の本人確認の取り扱いが最近厳しくなり、被保佐人の口座を作ろうとすると、被保佐人を連れてこないと口座は出来ないと窓口の人から言われることもある。
確かに、預金者本人の財産を守る始点からすれば当たり前であるが、預金者の利便性を考えない、銀行のご都合主義であるようにも感じる。
被後見人と会い、しばらく話をする。暖かくなったので、お墓参りに外出したいということ、サイパンのテニアン島のライオン岩のことなどを話す。最近のことは言葉少ないが、戦争中の話は沢山出てくる。
来月は、マンドリンを持ってきて弾きたいと伝える。フロアの他の利用者にも、良ければ演奏をしたいとスタッフに話をする。
練習をしてレパートリーを増やさなければ。
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認知症介護研究・研修センターの永田先生の話を聞いた。
認知症のマネジメントではなく、成年後見人として、被後見人の療養監護計画を立てるという視点で話を聞いてみると、その重要性を十分に自覚できる。
視点として大切にしていることを5つあげている。
1、その人らしいあり方
2、その人の安心・快
3、暮らしのなかでの心身の力の発揮
4、その人にとっての安全・健やかさ
5、なじみの暮らしの継続(環境・関係・生活)
先生の話の中心は、認知症を状態や病気として捉えるのではなく、ひとりの「人」が抱えるその人らしさとして捕まえている視点のすごさを感じた。
認知症は、発症してから、10年と言われている。その10年をどのように、その人らしく暮らし、その暮らしを保障できるのかが問われているという。
よく、考えれば、認知症であるなしに関わらず、「あなたたちの残りの人生を、どのように暮らせば自分らしく暮らせるかを考えなさい」と、永田先生から言われているようであった。
その人らしさを保障するためには、しっかりしたアセスメントの必要性がある。認知症研究センターでは、センター方式シートを作成し、その普及に努めている。
基本情報、暮らしの情報、心身の情報、焦点情報(私ができること・私ができないことシート、私がわかること・分からないことシート、生活のリズム・パターンシート、24時間生活変化シート、私が求めるかかわり方シートなど)、ケアプラン導入シートがある。
これらのシートをすべて使わずとも、一部でも活用することで、その人の姿を捉えなおすことができる。
被成年後見人の状態を把握するためにも、暮らしの情報シートや、焦点情報シートは有効に活用できる。
少しずつでもシートを活用してみたいと感じた。
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家裁から事務報告の指示があった。
家庭裁判所から封書が届くと、子どもが、「裁判所から出頭命令が来てるよ」と冗談をいう。
「家庭裁判所ってどんなことをするか知ってる」と聞いてくる。なにしろ、最近、国会議事堂と最高裁判所に見学に行ったから、やたらとうるさい。
「家庭の問題を裁判するんだよ」という。「なにか問題でもあるの」と聞かれたら、なんて答えようかと考えていたら、あっちへ行ってしまった。
僕が担当している成年後見ケースの事務報告を求める書類が入っている。事務報告、財産目録および収支状況報告を期限までに送付するよう指示がある。
後見事務はその都度記録をしているから、記録を起こせばすぐに報告書は作成できる。しかし、どこまで書くか、その按配が難しい。あまり詳しすぎてもいけないし、書かないのもよくない。どうしようかと迷っていると。
子どもが戻ってきた。
「なに、悩んでいるの」と、
なんでも知っているような口を利く。
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立川の総合福祉センターにいった。
成年後見制度市民後見人養成講座の講師を引き受けた。立川から、昭和記念公園に向かい歩く。天気もよく気持ちがいい。
講座には、ケアマネジャー、看護士、支援センター職員、主婦、サラリーマンなどが集まり熱心に後見制度を学んでいた。
僕の講義がどうだったかは分からないが、こちらは学ぶ事が多くあった。
人に話をするということは、事前に学習をする。当然、色々と構想を練る。どうしたら楽しく理解してもらえるかを考える。作戦を立てる。
今日は、ケースを追って、事件が起きたり、事実が明らかになるというストーリー。考えていた事が、「やっぱり」であったり、「そうだったのか」になったり、「そんなばかな」と言われたりすることを期待していた。
そうしたプロセスを通じて理解が深まることを期待した。
しかし、今日は作戦の立てすぎ、盛り込みすぎたかな、というのが講師の反省。
でも、終わって、会場の参加者の顔が明るかったので、ほっとした。
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成年後見講座のチューターとして参加した。
創作ケースを元に参加者がケースを検討した。
成年後見制度は、判断能力の不足により、生活に支障を起こした人を支える制度である。
判断能力は、突然なくなるわけではない。むしろ、普通の状態でも、状況によっては正しい判断ができない事がある。また、認知症であっても、判断能力がなくなっている訳ではないことは誰でも分かる。
しかし、高齢者が、被害にあったり、問題行動を起こしたときには、判断能力がなくなってきたから何とかしてあげたいと考えてしまう。
これは、高齢者が能力を喪失する存在と考えられているからだろう。
しかし、判断能力が衰えた高齢者は保護されるだけの存在なのだろうか。
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成年後見人は、被成年後見人を見守り、必要に応じて支援する。
この見守りとは一体何だろう。
この言葉には、一緒に生活したり、介護したりしませんよという意味と、かといって、何か起きた時に知らないでは済まされませんよ、という意味を含んでいる。
被後見人が、どんなことができ、どんなことができないか、アセスメントがしっかりできている。また、何か起きた時にそれを察知できるネットワーク(殆どの場合は近隣の協力)を作っておくことが大切だ。
しかし、思いもよらないことは起こるものだ。
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パートナーとオアシスの合同勉強会に参加した。
テーマは個人情報保護のポイント。
個人情報保護については、その取り扱いが適用される事業者は、5千人分の個人情報を取り扱う事業者と規定されている。
しかし、プライバシーを保護し、人権を守る立場にある社会福祉士としては、個人情報の取り扱いに関しては細心の注意義務が課せられる。
個人情報とは、「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報を容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む)をいう。」個人情報の保護に関する法律第2条①より。
つまり、個人が特定される情報だけではなく、個人が推測されやすい情報も個人情報ということになる。
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