カテゴリー「成年後見」の137件の記事

2009年12月16日 (水曜日)

誕生日

山田さん(仮名)の誕生会によばれたのでケーキを持って駆けつけた。

山田さんは、一人暮らしだ。

それでも寂しくない。毎日ヘルパーが冗談を言いながらご飯を食べさせてくれる。先生が血圧を測ってくれる。マッサージをされながら昼寝もできる。歯だって磨いてくれる。

今日は、誕生日。

大好きなお寿司を食べさせてもらい、お世辞を言ってもらい、居眠りをした。

ところでいくつになったの?

誰かが聞く。

「さあね」と、答える。

ヘルパーを選んで、歳をごまかす。

少しでも若く見られたいと思う山田さんは大正4年生まれだ。

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2009年9月17日 (木曜日)

不在の確認

家には居ないだろうということを確認するために電話をする。

呼び出し音が3回、6回、10回。

やっぱり居なかったとホッとする。

家に居ないということは、どこかに行っているということ。

それが仕事であったり、学校であったり、集会であったり。

居ないことで「よかった」と思うことも変であるが、やはり、出かける所にちゃんと行くことは大事だ。

だから、行きたいのに何処にもいけないことは苦痛である。

その気持ちはよくわかる。

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2009年9月 8日 (火曜日)

口笛

マンドリンを持って訪問。

一軒目。

黙って聞いてくれる。

2軒目。

うっとり聞いてくれ、途中から寝ている。

3軒目。

みんなでうたを歌い、盛り上がる。

マンドリンという楽器は、リラックスする効果があると感じる。時々、演奏している本人も眠くなる。

愛子さん(仮名)は、訪問中、殆どの時間、おしゃべりをしている。誰かが話を聞いているかどうかが問題ではなく、目の前に人がいるかどうかが重要。

その愛子さんが静かになった。

横を見ると寝ている。

しかし、途中から目を覚まし、口笛を吹き始める。その口笛が上手い。

「上手いですね」

「子どもの頃から吹いているからね」と、よりダイナッミクな音になる。

演奏と口笛がシンクロしてくると、もう眠くならない。

演奏が終わると、「久しぶりに口笛を吹いて気持ちよかったわ」と感想を述べた。

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2009年8月25日 (火曜日)

その笑い声が好きです

友子さん(仮名*若い名前にしました)の笑い声は、どこかハスキーだ。

笑っているようで、少しだけ悲しみが隠れている。

今日も、電話をしながら笑い、それでいて声が寂しそうだった。

友子さんは、話をしている人を覚えていない。

覚えているのは、30年前、40年前に仕事をしていた友人や同僚のことだ。

だから、僕は同僚の小林さん。

「小林さん、最近すこし太ったわね」と、会うたびに云う。

そう云われると、そんな感じがしてくる。

「小林さん、今日の仕事は上手くいったの。契約取れなかったでしょ。だめね」

そういわれると、上手くいかなかったような気になる。

「小林さん。早く結婚しないといけないわよ」

そういわれると、結婚しようかと思う。

ぼくは、友子さんの笑い声が好きだ。

だから、何とか笑わせようと冗談をいう。

すると、

「小林さんは、相変わらず冗談ばかりなんだから」という。

そういわれると、30年も冗談ばかり云っているような気がする。

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2009年6月 3日 (水曜日)

値切る

見積もりがでると、とりあえず値切る。

すると、相手が値段の必要性を説明する。

その説明を聞いて価値を認識する。

それから、別の所を探し、削れるか聞く。

すると、相手が、削った場合には後で余計に経費がかさむと説得にかかる。

その説得に負ける。

それならと、こうした場合はどうなるか質問する。

すると、その場合はこうなるといわれる。

最後に、それで、全体でどれだけまけられるか問う。

それなら、これだけにしましょうといわれ。

合点する。

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2009年5月27日 (水曜日)

思うようにならない自分

Aさんが思うようにならないと感じているBさん自身の気持ちも思うようにならない。

かといって、AさんがBさんの思うような行動をとったとしても、それはそれで気分のいいものでないことをBさんは知っている。

思うようにしたい訳ではなく、思うようにならない自分に対してイライラする。

毎週土曜日に丸くなった集団ができる。

その集団は順番に自由に話をする。自由に話をするとはなんて不自由なんだろうと2週目くらいに感じてきた。3週目になると辛くなり、4週目になると諦めの気持ち。

それでも休まず土曜日の朝を迎え、会場に足を向けるのは、その不自由さが気持ちいいからだ。

自分の話をすることくらい面白くないことはない。

誰かが聞いてくれるから話をするのであって、聞かれていないのに話をするとホントウのことをつい言ってしまい後悔する。

そう、毎週後悔ばかりして終末を迎える。

後悔は引きずる。

それでも生きてゆけるのは、だれも他人の話を聞いてはいないからだ。

みんな自分の話の後悔で精一杯になっている。

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2009年5月12日 (火曜日)

おいしい

右手に漆のフォーク、左手に匙を持ち、はじめは寒天をつついていた。

しかし、まどろっこしくなったのか、匙ですくいはじめた。

鶴さん(仮名)とおしるこ屋に入ってクリームあんみつを注文した。

鶴さんは、さっきから嬉しそうに喋りっぱなしである。

「こんな美味しいものは生まれて初めて食べた」と何度も繰り返す。

そして、「あんたも食べなさい」というが、アイスクリームとあずきを混ぜるのに集中しているので、顔は下を向いたままだ。

こんなに幸せな人はいないんじゃないかという顔をして食べることに集中し、それでも喋ることをやめない。

しまいには、器を持ち上げ、最後の一滴まですくいあげた。

鶴さんが美味しそうに食べるのを見ていた。

ずっと、一言も喋らず見ていた。

見ていて全く飽きなかった。

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2009年5月11日 (月曜日)

クライエントとの距離

ロジャーズの自伝を読んでいる。

クライエントという言葉を遣い、その力を信じていたロジャーズだったが、一番信じて欲しかったのは自分の可能性だったようだ。

厳格な家庭で育ったことが彼の人生に与えた影響は大きかった。

家庭や親の影響により人との距離の取り方が違ってくると思う。

特に、困難な関係であった人と和解したり、その人が近寄ってきたりすると、距離感を掴めず揺らいでしまう。

今日も、クライエントから依頼の電話があった。

電話を掛けること自体勇気のいる仕事だということを知っているので驚いた。依頼内容は大きなことではない。すぐにでもできることであり、誰がしてもいいようなことだった。

クライエントは云う、「すぐに来て欲しい」と。

さてどうしよう?

厳格でない家庭で育った僕にとって親との距離の取り方はそれはそれで結構難しい。

それに期待を受けて育ってこなかった子どもの特性として、深い関係を結ぶことができない。用がなければ親にも会いにいかない。

先日、クライエントの関係者に電話をした。

他人だから冷静に話せることもあり、家庭内の関係調整をすることがある。

何年、何十年という時間が流れていたりする。

大きな溝があり、近づくことさえできない場合もある。

それでも、距離がどんなに遠くてもたどり着けないことはない。また、どんなに近づいても0より近づくことはできない。

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2009年4月27日 (月曜日)

初対面

被後見の関係者と電話で、あるいは面接をすることがある。

当然、初対面の相手である。

面接や電話がうまく進むかどうかは、初めから予想がつく場合と、全く予想できない場合がある。

悪いほうの予想はつきやすい。

本人とのそれまでの関係や人生歴から大体の成り行きは想像できる。

しかし、本人が長年連絡を取っていない場合は、相手の気持ちがつかめない。

そのため、電話などは、連絡をした要件を初めに伝える。

突然の電話を詫び、本人との関係を伝え、要旨を伝える。

何のために電話し、電話をしなければならなかった目的をまず伝える。

それからは、相手の話を受け止める。

あまり長い説明をせず、相手の出かたを確認する。

関りたくない場合には、終了する。

しかし、できれば、A又はBを選択する可能性はないかを確認する。

この、A又はBについては、電話する前に選択可能な点を探しておく。

そう事前の準備が大切であり、準備しだいで可能性も広がったり狭まったりする。

それに、相手にいい印象を持て貰うために、電話をしっかり持ちお辞儀を丁寧にする。

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2009年4月24日 (金曜日)

利用者の交えない担当者会議

利用者の交えない担当者会議の出席を断りました。

後見人は利用者本人だと云われます。

実際は本人にはなれないので、本人のように振舞うだけですが。

それでも、本人に代わって担当者会議に出席したりします。

でも、参加しないこともあります。

担当者会議の目的がどこにあるのかを確認し、会議の開催が必要かどうかによります。

しかし、参加しないことの後ろめたさは感じます。

会議というのは、目的が明確である場合でも、次第に、会議をすることが目的になります。

情報の共有をするためということもあり、とりあえず集まって確認することもあります。

それらを否定するつもりはありませんが、会議の中心議題が自分ということになると話は別です。

自分のことを話し合うために人びとが集まるというのなら、その目的が明らかでないと不安です。

ほっといて欲しいと思うこともあります。

また、プランを決める会議を開いて、その後、「こうなりましたので宜しく」といわれましても、「そうですか」とは云いたくありません。

そんなの自分のプランじゃないと思います。

そう思うほうが当然です。

反対したり、否定したり、自己主張したりすることが難しい日本です。

主張する中に、その人の本音があります。

それを汲み取って欲しいのです。

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