2017年3月 2日 (木曜日)

自分の怒った顔は見たくない

久しぶりにサイコドラマに参加した。
自分の モヤモヤを取り上げもたった。
それは、わかっている課題であるが、わかっていると合理化しているだけのことも分かっていた。
ただ、ドラマの中でどんな事が起きるのかに強い関心を持った。
僕の自我に誰を選び、クライエント役を誰に頼むのか、それは、すでに決まっていた。
クライエントに言わせたいセルフもできていた。すべは用意されている。
ドラマは、僕の想像どうりに進んんだ。それを期待していたわけではなく、分かっていた。
分かっていても認知されていないことは多い。
調和された世界の中で、生きている。それに納得しているか、そうでもないのか、その辺が問題となっている。
納得できないことは多い。それを納得するには、時間とそれを演じてくれる人が必要だ。
僕の代わりの人は少し怒っていた。その顔は、確かに怒っているように見えた。

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2017年2月24日 (金曜日)

旅先で思い出すこと

新潟に来ている。
40年ぶりです。信濃川を眺めていると、突然、その時食べたおいしいお米の味を思い出した。
兄が新潟市に赴任し、学生だった僕は、兄を訪ねて来た。
それほど仲良くなかった。というより、苦手意識があったのだろう。
何をしたか、なにを話したかは、全く思い出せないが、お米の味だけは忘れない。その艶や、色合いははっきりと浮かんでくる。おいて、大きな川。

川といえば、タイのカンチャナブリの川を思い出した。
季節は春、いや同じ2月。

でも、泳いでいる。
子どもと一緒に、プロレス技をかけるような格好で、川に飛び込んだ。
凄く暑くて、なんとなく虚しくて。

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2017年2月 4日 (土曜日)

ワーカーのリジリアンス

困難さを感じるワーカーのリジリアンスはどのように発揮されるのだろうか。
困難な状況を感じるのは、クライエントのせいばかりではなく、ワーカーの感受性も大きく影響を与えている。
そのツボをクライエントは心得ている。
弱さの中にいるクライエントにとって、弱さを使うこと、弱さに漬け込むことは得意技である。
相手が傷つくであろう言動を駆使して、世を渡る。それはクライエントのリジリアンスである。
しかし、それはワーカーの傷になる。
この辺が面白い。いい事は二つない。誰かが喜んでいる影で誰かが泣いているのである。
そうすると、傷つかないでいるという事は大事である。感受性が鈍いということも、ワーカーのリジリアンスになる。
何を考えているか分からない仙人のような人に相談に乗ってもらう。何にもならないと思いつつ話をし、結局何にもならないと悟り、その場を去る。
そこに行くことができたのであるから、去ることも出来る。
まあ、なんとかなりそうだと思う。
これは、ワーカーにとっても必要な処理方法だと感じる。
困難さを受けつつ、それを放出する。
それは、家族の関係でも言えるだろう。
親からせっかく自立したと思ったら、親の介護を背負う。
背負いながらその重さを軽くするには、沢山で背負うか、重荷を下ろすか。
そのどちらもできない人は逃げる。
逃げる事は恥でないと原さんも言っている。

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2017年2月 3日 (金曜日)

自己決定の機会を失わない事

援助により自己決定の機会を失くさない事が大切である。
しかし、援助をすることは、時に、クライエントの力を少なくしている。

生活の実感を感じたいと訴えるAさんは、いつも不満をぶつける。
権利擁護や効率を考えると、手を打つことが求められる。

その時、クライエントは、うわべだけの優しさや、自分の世界に土足で入られることに無力感を感じる。

うまくできないかも知れないが、自分の足で歩いたり、銀行に行ったりしたい。
できないかもしれないが、やりたいと言う。

どこまで待てるか。安全が侵されない限り、財産が大きく侵害されない限り?

援助したいと思うこと自体が負担と感じるクライエントに何が出来るか。

それでも関わり続けること。
と、電話をかけている。

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クライエントのリジリアンスを見つける

なんども試みるが失敗の連続だったケースが動き始めた。
そもそも、動かそうとする思いが強すぎ、それが硬直した状況を生むだけでなく、疑いを生じさせた。
その他の例にもれず、始めは関係の調整作用から接近する。いい感じで調子に乗らないだけの余裕はあったが、時間の経過とともに気持ちの変化と環境が変わった。

この辺の読みが甘かった。

期待は疑いを生む。
こんなに親切にしてくれるのは怪しい。
管理されることで安全は保証されるが、実感は薄くなる。

クライエントのリジリアンスを考えなかった訳でもないが、真直ぐに回復しないことを予想できなかった。

関係を調整するために生活に感情を戻す必要がある。
実感を作り出す事を始める。そのために時間を共有した。

そうする事で、前よりは良くなる。

観念的な表現である事は分かっている。
そもそも、クライエントの実感が曖昧なものであり、その曖昧さをそのままにしながらリジリアンスを見つける。

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2016年12月18日 (日曜日)

イツノマニカ

パソコンが壊れそうになり、データが失われる前に新しいPCに買い換えた。

その取り扱いに慣れるまで、何度も電話で相談し、やっと使えるようになりました。
そんな一ヶ月が過ぎた。
そしたら誕生日が過ぎていた。

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2016年11月 8日 (火曜日)

不機嫌な私

不機嫌な人が短にいると不機嫌になると思いながら、不機嫌な過去を観る。
彼女、二階堂ふみは不機嫌だ。それでいて、積極的に関わろうとする。この関わりと、不機嫌さはリンクしている。
不機嫌な人は、空白を嫌う。隙間がある事が不機嫌の原因である事が多い。だから、時間や仕事や人間関係を埋める。それは必要だからではなく、空いているからだ。
爆弾は手段ではない。さらに、目的でもない。
目的はありそうで、ない。機嫌をよくすることは目的ではないし、そもそも目的があって生きているわけでもない。
とにかく不機嫌なだけである。
でも、それでいいと思えば、周りの人にも救いがある。
まあ、そういう人がいる事を見るような、見ないような、なんとなく関係を持とう。
というわけで、やたらあれ?それ?が多い映画だった。

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2016年11月 6日 (日曜日)

スタバで

スタバでお茶を注文する。
どうして高いコーヒーを飲むのか?
まあ、ムードであるという言い訳と、少年との繋がりからだろうか。
スタバのカードを一年前に貰った関係から、カードでお茶を飲んでいる。注文の仕方が難しいので、目に付いたメニューを上から順番に注文している、か、店員にオススメを聞く。
店員は少年との同世代であるから楽しい。
子どもや高齢者と話す機会は多いが、中間の二十代の青年と話すことは少ない。まあ、それが普通だろうから。
当然、注文に時間がかかり、後ろの人を待たせるが、高いコーヒーなのだからいいかな。

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2016年11月 1日 (火曜日)

その話を聞きましょう

子どもの声を聞く。

子どもだった私は、子どもの気持ちが少し分かるような気がする。
傷ついた子どもの傷に触れない事が、大人の嗜みだと思われている。すると、当たり障りのない事しか話せなくなる。大人の場合なら、色々事情があり、マア、なんとか、ぶつぶつ、と、いい加減な事を言っていても、話にならなくても、その場の雰囲気で過ごせる。
でも、子どもは、自分に起きている事の重要性や大切さや、意味や価値がわからない。だって、初めて自分に起きた事だし、映画や芝居や、ドラマや小説をたくさん見ている訳でも、人の噂や世間話を嫌ってほど聞いている訳でもないから。
そこのところを誰かに聞きたい。でも、聞いちゃいけないとなんとなく感じる。それは大人の雰囲気から。
自分が傷つけられたのに、また、親切な大人からも傷つけられることになる。

だから、誰かがきちんと話を、そのドラマを聞いてあげないといけない。そして、その意味を伝える事が重要だと思ったんだ。

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2016年10月30日 (日曜日)

若い気になる

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久しぶりに遊んだ。
遊ぶには気力、体力、好奇心が必要で、その力がだんだん落ちていると感じていた。
静かに遊ぶことはできても、思い切り遊ぶことがこれほど大切だとは思わなかった。
ありがとう。


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