2017年6月25日 (日曜日)

独立して生きる意味

子どもが18歳になると親元から離れて独立する(一人暮らしを始める)国は多い。これは文化や宗教の関係から日本と比較することは難しいかもしれないが、子どもが18歳で一人暮らしを始める意味は大きい。

デンマークでも同様に、国民学校を卒業する頃になると一人暮らしをすることを若者に要求するようだ。(最近ではそれが遅くなる傾向がある)
これが障害を持った若者にも同様に行われるところが徹底している。これは、合理的な理由がない限り皆を平等に考えるという人権思想があるからだろうか。
日本の場合は、障害者が一人に暮らせるだけの社会的条件(環境)がないから、一人暮らしをして危険な目に合わせたくない、親元で安心して暮らした方がいい、となり、親が障害の子どもを抱え込み、福祉サービスを利用しながら生活をする。その後、親の支援が限界になる時に、施設に収容する。
一方の国では、成人とは一人で暮らす人と意識され、教育も一人で暮らせるだけの知識と技能を身につけるものと認識される。したがって、一人前の人になるように教育してきたのだから、18歳になれば当然独立することを期待する。そして、障害があることがそのことを妨げることはない。
そう考えると、一人暮らしの障害者に対する十分なサービスを考えなくてなならない。この辺が理念先行の国と、感情先行の国の違いであろう。
障害者のアパートをどうするか。生活支援サービスをどうするか、訪問サービス、通所サービス、そのための送迎をどうするかを考え、在宅一人暮らしができるための新しいサービスを作り出しそのシステムを作る。もちろん、そのための法律も作る。
では、施設サービスはどう考えるか?施設サービスはある、しかし、収容型の施設サービスは極力作らない。それは、収容することに対するアレルギーだと感じる。収容型のサービスは、ナチの収容所を連想させる。つまり、収容することは人権を奪うことにつながると考える。
この辺は日本でも同様である。身体拘束を考えた場合、認知症の人を拘束することが人権侵害だと言われるようになった。しかし、認知症の人が外に出られないように鍵をかけることは安全対策だと言われるが、もちろん、これも身体拘束である。
でも、外に出たら危険だと対応の正当性を主張する。人権より安全性をとね。
これは人権に対する思想の未成熟さからきていると感じる。
認知症の人が一人で外出しても安全な国を作ることが重要であるが、行なっていることは、危険が起きないように収容することである。
話がそれるが、30年前、児童養護施設の研修でオーストラリアを訪問した際、同じようなことがあった。
虐待等の子どもの権利侵害に対して日本では早期介、入親子分離、そして、施設収容が重要だと主張したのに対して、オーストラリアの担当者は、施設収容は法律で禁止されているといった。
なので、家庭に問題があるのなら家庭を治療することが必要であり、家族間の交流をモニタリングし必要に応じて修正するプログラムが必要であるといった。日本の関係者が、それでは時間がかかり、家庭内で起きる現象を見ることができないのではないかと質問すると、できると答えた。それは、観察できる家を作り、問題家庭の家族をそこに住まわせマジックミラーでモニタリングし、その家から会社に、学校に、地域に出かければいいと話した。
このギャップはとても大きい。
話を戻す。
18歳になると子どもが自立する社会では、親の自立も進む。様々なサービスが開発される。女性の社会参加も進む。
これは、高齢化社会を考える上では大きい。末子が18歳になる頃は、親世代は40代から50代である。残りの人生を考えると、まだまだ働くこともでき、遊ぶためのお金を使うこともできる。こうした人生サイクルを作り出し、就労環境や余暇環境を大きく変えたのがデンマークだ。

| | コメント (0)

2017年6月13日 (火曜日)

スタディツアー

デンマーク訪問で一番の収穫は、来年スタディツアーを企画できそうになったこと。
デンマークの福祉理念を専門家との共に学ぶツアーを企画したい。

今回の訪問で、現場とのコンタクトを持つことが可能であり、手作りのスタディツアーができそうだ。
現時点での構想は。
1.参加者は事前研修に参加し、デンマークの福祉理念、システムを頭に入れる。
2.デンマークに関する文献を読み、自分なりの疑問点を整理する。
3.研修のテーマを持ち、テーマに応じた施設、機関、人のリクエストを作る。
4.テーマに即した発表の機会を持つ。
というような、よく行われている視察とは違う、参加型、テーマを深める、あるいは、個人研究を進めるスタディツアーにしたい。
また、研修中の宿泊はホイスコーレという、デンマークの成人教育施設に泊まり、交流が期待できる。この場で、各自の実践報告を行うことや、ワークショップを企画したい。

日程は、2018年6月
期間は、土曜日集合、次の日曜日解散の1週間
募集人数は、最低5人、最大10人
6人から8人ぐらいがベスト
参加費は、宿泊、食事、研修、移動を含めて15万位かな
オプションとして、ヘルシンキ、タリンを訪れることができる。今回、回ってみて、楽しさは伝わったと思いますが。

デンマークの福祉、教育、医療を学ぶことが、協力社会、福祉社会を考える上で大きな意味があると感じた。それは、システムとしてだけでなく、むしろ、理念を考えることや、人生を考えることにつながります。あなたの人生をもう一度問い直すために、一緒にデンマークにを行こう。会社なんか休んでしまえ。

関心のある人はメール下さい。

| | コメント (0)

2017年6月11日 (日曜日)

他者と個人

他者の気持ちをいつも考えている。

この状況で、何をすることが正しいか(日本的妥当性)を判断して行動する。
行動するときは、なるべく一人では動かず、集団行動をとり、集団の動きに合わせていることが集団の安定につながる。
ビールが飲みたくても、他者の大多数がコーヒーを飲む場面では、「私もそれで」とコーヒーを飲む。
汚れは食器が置いてあれば、自分のやりたいことがあっても、まず、食器を洗い片付ける。横で、パソコンをしている仲間がいれば、「気が利かないやつ」と睨むが言葉では言わない。
講義の後に、質問をしない。メモを取り、素晴らしい言葉に赤丸をつける。しかし、その実践を自分が行うことはない。
他のメンバーとコミュニケーションが足りなかったと注文を出す。しかし、自分が積極的に行動しなかったことを思い出さない。誰かがプログラムを組んでくれなかったことが原因だと主張する。
こうした忖度社会の私たちが、自己主張することで成り立つ社会システムを理解することはできない。自己主張することは、他者の存在ややり方を認めることにつながる。それは、合理的であり、経済的である。
税率が50%かかっていても、バランスの良い社会を作ろうとする。
自分たちの問題を話し合い、政治に参画し、法律を作る。小さな国を運営するためには、個人が出来ることを最大限に行うことが大切になる。
黙っていては何もはじまらない。

| | コメント (0)

フォレスコーレという実験

P6090555

デンマークのフォレスコーレは、社会的実践だと感じた。

18歳以上の人なら誰でも入れる社会教育、連帯実践、人間教育の場が与えれれるデンマークでは、低料金で、人生を学べる場が用意されている。しかし、それは、政府がお膳立てした施設でも、機関でもなく、参加者の民主的自治により運営される。

フォレスコーレのプログラムは、哲学、心理学、音楽、体育、演劇、など、感覚に刺激を与えるもの、価値観を問うもの、本質を考えること、国の将来を議論すること、自分の夢を見つけること、私を主張することを学ぶ。

つまり、日本の夜明けを議論した「・・塾」に似ているように感じる。また、第二時大戦後若者が集まり独自の文化を作り将来の行く末を議論したコミューンにも似ている。また、組織教育キャンプにも、北海道家庭学校の実践にもつながるものを感じた。これは、個人的な体験が大きく関わっていると思う。

| | コメント (0)

2017年5月29日 (月曜日)

美しい星

火星人や水星人が隣にいてもわからない。

その人が、いや、その宇宙人がどんな顔をしてるのか知らないから。
僕らだって、宇宙に住んでいるんだから宇宙人だ。だから、他の星の人がいてもおかしくない。
地球人という概念で物事を考えると色々な問題は消えることはよく言われる。
同じ星に生きているのだから、争いをしなくてもいいだろうと、他の星の宇宙人は思っているだろう。
宇宙人と交渉する地球人は、もちろん宇宙人総理だ。

| | コメント (0)

2017年5月28日 (日曜日)

スローな生活③

夕方が好きだ。

この時間のために1日草を刈り、畑に出る。

夕日を見ている。

「一人一人に必ず与えられていると信ずる固有の命を重んじ、互いに協力することによって個ではできない、さらに価値ある社会を作ろうと願う」(宮嶋真一郎)

そんな社会が来るような気がする。

Img_1406

| | コメント (0)

スローなスローな生活2

 

Img_1397















スローな生活は楽しい。けれど、厳しい。

競争原理をできるだけ拒む生活は、人間の本質を目覚めさせてくれる。しかし、きれい・便利・安全・安心・優しい暮らしではない。

それぞれに持っている個性や特徴がぶつかる。優しいとは、本性を隠しいいとこ取り特性があるとしたら、スローな生活は、様々な人たちの本性がぶつかり合う暮らしである。

理解できないような行動をとる人がいる。自分勝手に見える人がいる。何を考えているか分かりにくい人がいる。そうした多様性がある。

人との距離をとり、自分に危害を加えない人を選んで付き合う社会とは違う。一つ屋根の下でプライバシーをぶつけ合いながら、距離感を探る。

民主主義が時間をかけ、知恵を出し合い合意を取るように。スローな社会、協力社会は、時間をかけ、他者との距離(もちろん自然との距離も)を探る。

一見分かり合えないように見える人とどうしたら一緒に暮らせるかを探す。経済的に成り立たない暮らしを、どうしたら維持できるかを祈る。

それは合理的には、効率的には、管理的にはできな。そもそもできないことに挑んでいる生活だから。

そうした不可能な暮らしをしているところが一番の魅力である。

| | コメント (0)

スローな生活①

真木に通い35年

そんなに経ったのかと思う反面、やっと馴染んできたと感じる。

メンバーでない、そこに住んでいない僕が、真木に馴染むためにはそれぐらいの時間が必要だった。

スローな生活は、経済性・効率性・合理性がなく、非管理的で平等性が高いと感じる。何しろ、山を2時間近く登り、夜になると写真の茅葺屋敷以外に光はない。

何もないように見える場所であるが、時間だけはたっぷりある。そのたっぷりある時間に対話をする。動物と山々と、光や水の音と。そして自分自身と。

こんなに自分と向き合う時間は普段持てない。

35年の人生を振り返る。

それも一つ一つ。

何もしてこなかったこととを反省し。それでも生きてきたことを喜ぶ。

Img_1377

| | コメント (0)

2017年5月17日 (水曜日)

平均的な面接

すごく上手くいく面接は少ない。
それでもいい感じだったと思う事もたまにある。
しかし、いい感じだった面接の後に、悪い事も起こる。すると、どうしてだろうという気持ちになる。だって、うなく行ったのにとかんじているからね。
いい感じだと思っているのは僕であり、僕の気持ちを相手を巻き込んで終わっっているのかもしれない。
その点、平均的で普通の、なんの感動もない面接が一番いい。

| | コメント (0)

2017年4月 9日 (日曜日)

立会いが大事

どうも医者と意見が合わない事が多い。
そうでなくても頭が硬くなっているので、相手の言う事が理解できないと、何度も質問するので嫌な顔をされる。
病気に関する認知が決定的に違っている。
僕は生活に支障がない状態を病気とは思わないが、彼らは、多くの場合男性、数値で正常と異常の、病気と元気の区別をする。
そもそも病院を訪れた人を病人扱いをする。
そうである場合もあるが、病気かどうかを求めている訳ではない。

では、何を求めて病院に行くかといえば、双方向の語りである。
そんな時間がないので、すぐに 物言いになる。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧