2013年5月11日 (土曜日)

明らかにしたいこと

何を明らかにしたいか、それは研究目標あるいは研究目的と呼ばれる。

研究することは、問題意識を持つことから始まる。

それはどうして起きるのだろうか?これとあれは、どんなことろが違うのか?これの意味はなんだろう?これの価値をもっと高めたいので調査したい?

などなど、見すごかしてしまいそうなことを、目を開いて見つける。

この疑問{?}に対して専門概念で捉えることから研修は始まる。

それは、なんだろう?という疑問に対して、今までどのように考えられてきたかを調べることが、文献研究になる。

研究は、広がりのある野原から新しい(オリジナルな)石を探すようなものである。

明らかになっていないことを明らかにするだけではだめで、独創的であること、オリジナルでなければならない。

そこに、科学的な方法論によって現象を捕まえていることが求められる。

さてここまで話を進めると、とってもめんどくさい作業だということが分かる。

そもそも、そこまで細かくすることにどんな意味があるのかが問題となるが、その細かさの中にこそ、研究の神髄がある。

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2012年10月27日 (土曜日)

ドラゴンスピーチを買う

テープ起こしが進まない。

聞いていると、その時の場面が思い出されたり、いろいろ考えたりするので仕方がないけど、30分聞いて、文章にしても1ページ進むのがやっとである。

聞くだけでなく、概念を考えたり、意味を掴んだりするから仕方がないのだが。

このままでは、一本で1か月くらいかかりそうだと気が付き、ドラゴンスピーチ11を買う。

このソフトは以前も使ったことがあったが、より進化していると宮台さんが言っていたので、最新ソフトを購入した。

で、どうなったからは次回のお楽しみ。

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2012年5月19日 (土曜日)

風に揺れるレースのカーテン

長谷川きよしを久しぶりにテレビで見た。

もちろんきよしさんは僕を見ていない。

これはとても面白いことだと思う。

同じように、レースのカーテン越しに芝生を見ている。

芝生は見られているとは知らずに青く息を吸っている。

カーテン越しにそっと見るのがいい。なんでもそっとというのがいい。

長谷川さんは、黙って鳥の声を聞いている。ほんとは結構おしゃべりなのを知っているけど。

鳥はその声を聞いている人を知らないけれど、いつものように啼いている。

カーテンの向こうの方で鳥が啼いている。

僕だって泣きたいけれど黙っている。

そっとしているほうがいい。

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2012年3月31日 (土曜日)

大学

なぜか落ち着く場所。

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ドラマを見る

増野教授の最終講義に参加する。

講義は、先生の人生をドラマにしたもので、歌あり踊りありのミュージカル仕立てに構成されていた。

サイコドラマの第一人者であり、実践を通じた理論を患者にささげた人生であった。

ドラマに登場する歴史上の人たちがフロアに座っているのも凄い。

最終講義は、2部に渡り、13時半から始まったドラマは休憩をはさみ4時まで続く。しかし、全く飽きることもなく、どんどん増野ワールドに引き込まれていった。

日本人のミュージカルはちょっとと思っている人でも、これなら笑いながら泣いてしまうこと間違いない。

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2011年12月 3日 (土曜日)

仕事の山

今年の6月に東京郊外の団地調査に参加した。

その、データ集計が終わり、中間報告を聞きに出かけた。

団地には、団地の悩みがあり、団地の楽しさがある。

そして、ふと、僕の住んでいる所も団地のような機能を持っていることに気づいた。

日本の団地は、住宅問題の解決策として昭和30年代頃から作られた。

僕が、小学校の頃、学校の近くに団地があり、友達が家の鍵を自慢そうに持っていた。小さな子どもが、カギを持っているなんて、それは羨ましいことだった。鍵を持っている子どもを「かぎっ子」といった。

それだけでなく、団地には風呂があった。

銭湯に行く家庭が多かった時代、テーブルに座って食事をし、ユニットバスがある家は凄いことだった。

話を戻して。

そう、ココ(今住んでいるマンション群)も30年前は、子どもが多く、街の中に小学校と中学校ができた。スーパーと病院も用意されていた。

それが、時代とともに子どもが減り、世代が代わった。

その結果、小中学校が閉校され、跡地に大学や福祉施設が作られ、スーパーマーケットが閉じた。

そうした団地の再生が今回のテーマである。

団地を一つの生き物と考えれば、成長期もあれば中年期もある、そして、老年期、最後に死が待っている。

しかし、団地の場合、外見は同じでも中身が変わることがある。

世代が上手く変わることで、その身体の血液もきれいになり、再び流れ始める。

そうした世代の変化やニーズの変化に、身体としての地域や建物が対応しているだろうかと考える。

団地の再生は、地域の再生である。

このテーマは、東北の街の再生であり、日本の再生である。つまり、今のままでは、血液が滞ってしまい、朽ち果てるのを待つだけである。

でも、団地には様々な資源もあり、人という力を内包している。

それは、仕事も沢山あるということでもある。

それも、SWができる仕事が山のように待っている。

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2011年7月20日 (水曜日)

ミュージカルのような空間

ああ楽しい一日だった。

ある大学教授の生涯をドラマにし、それを教え子、仲間、友人、同僚たちが演じた。

場所は、横浜開港記念館。

ドラマはミュージカルであるからときどき歌が入る。

それも突然に。

教授の人生のように突然場面は変わるから、見ている方もハラハラドキドキする。

ドラマは、ヒットラーの演説から始まった。

日本が戦争に突進する時代、昭和三陸大津波の年に教授は生まれる。

精神科医として、生活に根差した治療法として開放病棟のに取り組み、患者とともに歩む教授。彼は、映画、ミュージカルに没頭し、自作のミュージカルまで上演してしまう。

教授の人生はミュージカルのようなものなのだろう。

笑いあり、涙あり、踊りあり、冗談もあり。

最後の授業で演じているのは、彼の人生と彼にかかわった人たちの人生。

このドラマのすごいところは、歴史上の人物(フィクション)が登場し、その同じ舞台に、歴史上の本人が登場するところだ。本人は、本人の役を演じている。

さらに、ドラマは突然止まり、フロアで見学していた元患者や元看護婦、元医師が当時の想い出を語りだす。

なんて自由なミュージカルなんだろう。

これは、治療の一環として演じられているのだろうか。

だとしてら、僕自身の治療は進んでいるのだろか。

劇は2時間ゆったりと演じられた。

ああ、一人の人間の生涯をこんな形でみられる幸せを感じながら涙が流れるのはどうしてだろう。

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2011年6月12日 (日曜日)

変化への戦略

マダネスによると、

解雇を心配している父親が帰宅すると、妻が彼を励まし、心配する行動をとる。

すると、そこにいた、子どもが発作を起こす。

すると、それを心配した父親が、子どもに薬を与え慰めたり世話をする。

この瞬間、父親は、職を失うことを恐れる男ではなく、子どもとの関係において心配する父親、成熟した大人となる。

また、母親は、父親を慰める役割を失う。

子どもが、自分に必要なものを獲得したいと願うとき、家族システムに働きかけ、力動が変化する。

それは、相互システムだけでなく、それぞれのサブシステムからの影響によっても関係に変化が生じる。

相互関係における連鎖は、2者の関係だけでなく、家族システムに変化を生じさせる。

その場合に影響力のあるメンバーは、子どもである。

子どもは、変化に対して影響を受ける存在であると同時に、システムを変化させるスター的な役割を演じる。

その子どもに巻き込まれると、大人は右往左往することになる。

*クロエ・マダネス 2000 戦略的セラピーの技法 金剛出版

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2011年6月 7日 (火曜日)

本を差し上げます

岩間先生の本を2冊買ってしまったので、欲しい方に差し上げます。

メールでお知らせください。

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2011年5月14日 (土曜日)

失う

Grief work from a life review point of view.

という話を聞いた。

グリーフ・ワークは、ターミナル期だけに訪れるのではなく、今の日本の状態は、それぞれがレベルの違うグリーフ・ワークを行っているというアンベッケン先生の言葉は印象に残った。

喪失は、本人がそれに気づかないことが多い。

そのため、その傷は深くなる。

何かを失ったことが目に見える場合もあるが、多くの場合見えない。

特に、複合的な喪失感は、様々な要因が絡み合っているので、日常とは違う動きや感じ方をしてしまう。

普通でいられないと感じた場合には何か自分が自分らしくいられないものを失ってしまっているのかもしれない。

それに、失ったものは足すことだけでは満たされない。

失ったものは、失ったこと自体に意味があり、その意味を自分の力で掴み取ること以外には救われない。

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