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2018年7月

2018年7月 8日 (日曜日)

分かりにくさ

分かりやすいことは楽である。物事に白黒つければ、自分の立ち位置を決めやすい。
オウムが出始めた30年前に、教会でオウムの話をしていた。教会でと言うところが肝である。
話をしている人たちは、宗教家が迫害の歴史を辿ってきたことを知っている人たちである。彼ら、オウム信者は、僕たちと同年代の若者であり、僕らも当時若かった。
マスコミは、今も、悪い集団というレッテルを貼り、彼らを区別、差別した。
しかし、差別されることは、教義にとってマイナスではないことは分かっていた。むしろ集団を強化する働きを果たしたことは歴史が証明している。
事件の教訓はどこにあるのだろう。
分かりやすさを求めることに急ぎ過ぎた結果ではなかったのか。そうした世間の風潮は相変わらず、ハリウッド映画のような演出を好む。
分かりやすさは対立を生みやすい。
人間のことを 僕たちはどれほどの分かっているのか。
動的平衡という考えで言えば、何かが出現することにはそれなりの意味があり、バランスを取る機能を果たしている。日本の分かりにくに社会を誤魔化すように政策を進めれば、また、分かりやすい集団が生まれるだろう。彼らにとって、自らの教義、信仰こそが分かりやすいのであるから。
混沌としたものの中で生命は生まれたのだとしたら、全てを包み込む思想が必要だと思う。
多様な民族を、多様な言葉を、多様な宗教を、考え方を受け入れることこそが、この事件から学んだ教訓だと感じる。

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2018年7月 2日 (月曜日)

デンマーク研修報告1

デンマークの小学校を訪問した。小学校は、0年生から10年生まである。学校は、子どもが社会の一員として社会に溶け込め税金を納めて社会人として権利と義務を果たすことを目的としている。そして、人生を楽しむための教育を受ける。0年生は、小学校1年生になるための準備の年、訪問した学校にはその前の学年、多分5歳の子どもがいた。つまりマイナス1年生。ちなみに、10年生は、9年生で社会に出るのに少し時間が必要な子どもが通う。この学校に10年生はいたのかどうかは分からない。目的のために制度を工夫するのがデンマーク風である。この辺りは学校毎、地域毎の裁量があるのだろう。

 校門はない。学校らしさもない。学校らしさとは、ステレオタイプのイメージである。僕たちが感じる「らしさ」を壊す様々な出来事に出会うことになる。

小学校の基本理念は、自由と規律のようだった。

学校のリーダーはもちろん校長先生。しかし校長生成は、ジーンズを履き、若々しい中年だった。楽しそうにクラスを周り、出会う子ども全てに声をかける。名前を呼び、冗談を行ったり注意をしたり。100名以上の全生徒の名前を知り、子どもからの信頼が厚い。

 授業は、小さなグループで行われ、そのグループを二つに分けることもある。pciPadを使い、電子黒板を活用している。一見、授業をしているのか遊んでいるのか分からない。授業には規律も必要だが、それ以上に効率的であることが優先するように感じる。インターネット環境がいいし、なんでも使えるものは活用するのがデンマーク流であるようだ。

 学校の大きな役割として、子どもの自発性、自立性を伸ばすことに力を入れている。18歳で家を出て、社会の一員として自立するデンマークでは、子どものうちから、自分で考える準備をしているように見える。自主・独立は、教育の中心的な目的であることはどこの国も同じだと思うが、国の制度が、この理念と一致しているのが日本と大きく違うのだろう。理念が立派でも、制度やシステムがそれに合わないのでは何にもならない。自立的に物事を考え行動すると住みにくい社会は、社会を変えるべきでるかもね。

 

 

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