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2018年3月

2018年3月12日 (月曜日)

加藤和彦の話をする北山修

繋がらないように思える話が、実はというふうに、繋がり始める事に気付いたのは歳のせいだけではなく、経験が大きく関わっていると知ったのは最近だ。

彼がすることが無意味だとお思っていたのは、私の人生にいう意味を見出せなかったからかもしれない。

しかし、北山は心に無意識があるという。
彼の行動を、演技と捉えた場合、
彼は演出家の命じるまま、お茶を飲み、昼寝をし、サザエさんを見る。
それは、とてもうまい演技である。
誰も真似できない。それどころか、彼以外にそれをできる者はいない。

無意識が、それをさせている。
しかし、無意識をコントロールする、演出家がいる。

それは誰なのか、彼は知らない。
自分ではわからない。

分からないからこそ自然に振る舞える。
その意味を価値づける事を僕はしているのだろうか。
むしろ価値を下げている。

そう、僕は、僕の無意識をコントロールできない。

でも、彼は彼の世界に今朝も、古い靴を履いて出かけていった。

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動く

動く事を大切にしている。
動かなくてもできる事を、動くという事は、時間の無駄、お金の無駄のようにいう人もいる。
でも、動かないと分からない事は多い。
動くという事は、場所の移動、空間の共有、出会いの不思議さ、気持ちの変化がある。
人が行動するためには、動機が重要だと感じる。
動機とは、動くためのキッカケである。
だらだらしている気持ちに喝を入れるようなものである。

対人認知において、他人が知り合いになるきっかけは、出会いである。

今まで知らなかった人、出逢うことのなかった人との会話は、種類ではできない。
相手の表情の微妙な変化があってこそ、彼女の声の震えによって感じる、僕の変化が大切になる。
動かされるのは僕である。

この仕事の醍醐味は、どんどん変わっていく私の面白さである。
環境を変えるでもなく、相手を変えるでもなく、僕たちの時代がどんどん変わっている事に気づく事である。
昨日の私ではないのは、あの国の人も同様なのだ。

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