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2017年6月11日 (日曜日)

他者と個人

他者の気持ちをいつも考えている。

この状況で、何をすることが正しいか(日本的妥当性)を判断して行動する。
行動するときは、なるべく一人では動かず、集団行動をとり、集団の動きに合わせていることが集団の安定につながる。
ビールが飲みたくても、他者の大多数がコーヒーを飲む場面では、「私もそれで」とコーヒーを飲む。
汚れは食器が置いてあれば、自分のやりたいことがあっても、まず、食器を洗い片付ける。横で、パソコンをしている仲間がいれば、「気が利かないやつ」と睨むが言葉では言わない。
講義の後に、質問をしない。メモを取り、素晴らしい言葉に赤丸をつける。しかし、その実践を自分が行うことはない。
他のメンバーとコミュニケーションが足りなかったと注文を出す。しかし、自分が積極的に行動しなかったことを思い出さない。誰かがプログラムを組んでくれなかったことが原因だと主張する。
こうした忖度社会の私たちが、自己主張することで成り立つ社会システムを理解することはできない。自己主張することは、他者の存在ややり方を認めることにつながる。それは、合理的であり、経済的である。
税率が50%かかっていても、バランスの良い社会を作ろうとする。
自分たちの問題を話し合い、政治に参画し、法律を作る。小さな国を運営するためには、個人が出来ることを最大限に行うことが大切になる。
黙っていては何もはじまらない。

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