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2017年3月

2017年3月31日 (金曜日)

はっきりさせようとすることは、混乱を生んだりする

先週退院したAさんが、今週再入院した。

Aさんに何が起きたのかはわからない。Aさん自身にもわからないかもしれない。
普通な暮らしをするためには、誰かの手助けが必要なのかもしれない。
しかし、一人で暮らすことを考えたら、誰かは、いつもそばにいるわけではない。
それは、少年の場合も同様である。
自立するためには、一人で生きていかなければならない。もちろん二人でもいいんだけれど。
でも一人で生きていくには、それなりのリスクがある。自分をコントロールするということに関して。
自分をコントロールする力があればそれでいいのだが、そうでない場合は誰かと暮らすことを選択する。
それは、母親の場合も同様である。
高齢であるというだけでなく、暮らしを考えるとき、生活力や関係調整のスキルが必要になり、それが衰えただけで一人暮らしは難しくなる。
そうした難しさを病院などの施設に収容することで解決できるのか?解決しているような気分になっていいんだろうか。
一人暮らしか施設かの選択でない多様な暮らし方を探したい。
そこで問題となるのが、専門家のアプローチかもしれない。
「問題」を明らかにすると、それを分類することになる。専門性を高めると分類は細かくなる。「問題」を見ないでも暮らすことはできる。
見ること、見つけることで、余計に苦しくなることがあるように、「まあそんなものよ」と薄眼で捉えることも必要だと思う。

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2017年3月30日 (木曜日)

手帳を買う

12月と3月に手帳を買う。
昨年は、スケジュール管理をpcでしていたので手帳を買わず、3月になり、やはり手書きがいいと思い立ち、4月始まりの手帳を買う。しかも二冊。
この繰り返しを毎年しているが、一向に決定的な方向性は決まらず。
忘れる事が怖いわ歳になったのだろうか。

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2017年3月 2日 (木曜日)

自分の怒った顔は見たくない

久しぶりにサイコドラマに参加した。
自分の モヤモヤを取り上げもたった。
それは、わかっている課題であるが、わかっていると合理化しているだけのことも分かっていた。
ただ、ドラマの中でどんな事が起きるのかに強い関心を持った。
僕の自我に誰を選び、クライエント役を誰に頼むのか、それは、すでに決まっていた。
クライエントに言わせたいセルフもできていた。すべは用意されている。
ドラマは、僕の想像どうりに進んんだ。それを期待していたわけではなく、分かっていた。
分かっていても認知されていないことは多い。
調和された世界の中で、生きている。それに納得しているか、そうでもないのか、その辺が問題となっている。
納得できないことは多い。それを納得するには、時間とそれを演じてくれる人が必要だ。
僕の代わりの人は少し怒っていた。その顔は、確かに怒っているように見えた。

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