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2017年2月

2017年2月 4日 (土曜日)

ワーカーのリジリアンス

困難さを感じるワーカーのリジリアンスはどのように発揮されるのだろうか。
困難な状況を感じるのは、クライエントのせいばかりではなく、ワーカーの感受性も大きく影響を与えている。
そのツボをクライエントは心得ている。
弱さの中にいるクライエントにとって、弱さを使うこと、弱さに漬け込むことは得意技である。
相手が傷つくであろう言動を駆使して、世を渡る。それはクライエントのリジリアンスである。
しかし、それはワーカーの傷になる。
この辺が面白い。いい事は二つない。誰かが喜んでいる影で誰かが泣いているのである。
そうすると、傷つかないでいるという事は大事である。感受性が鈍いということも、ワーカーのリジリアンスになる。
何を考えているか分からない仙人のような人に相談に乗ってもらう。何にもならないと思いつつ話をし、結局何にもならないと悟り、その場を去る。
そこに行くことができたのであるから、去ることも出来る。
まあ、なんとかなりそうだと思う。
これは、ワーカーにとっても必要な処理方法だと感じる。
困難さを受けつつ、それを放出する。
それは、家族の関係でも言えるだろう。
親からせっかく自立したと思ったら、親の介護を背負う。
背負いながらその重さを軽くするには、沢山で背負うか、重荷を下ろすか。
そのどちらもできない人は逃げる。
逃げる事は恥でないと原さんも言っている。

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2017年2月 3日 (金曜日)

自己決定の機会を失わない事

援助により自己決定の機会を失くさない事が大切である。
しかし、援助をすることは、時に、クライエントの力を少なくしている。

生活の実感を感じたいと訴えるAさんは、いつも不満をぶつける。
権利擁護や効率を考えると、手を打つことが求められる。

その時、クライエントは、うわべだけの優しさや、自分の世界に土足で入られることに無力感を感じる。

うまくできないかも知れないが、自分の足で歩いたり、銀行に行ったりしたい。
できないかもしれないが、やりたいと言う。

どこまで待てるか。安全が侵されない限り、財産が大きく侵害されない限り?

援助したいと思うこと自体が負担と感じるクライエントに何が出来るか。

それでも関わり続けること。
と、電話をかけている。

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クライエントのリジリアンスを見つける

なんども試みるが失敗の連続だったケースが動き始めた。
そもそも、動かそうとする思いが強すぎ、それが硬直した状況を生むだけでなく、疑いを生じさせた。
その他の例にもれず、始めは関係の調整作用から接近する。いい感じで調子に乗らないだけの余裕はあったが、時間の経過とともに気持ちの変化と環境が変わった。

この辺の読みが甘かった。

期待は疑いを生む。
こんなに親切にしてくれるのは怪しい。
管理されることで安全は保証されるが、実感は薄くなる。

クライエントのリジリアンスを考えなかった訳でもないが、真直ぐに回復しないことを予想できなかった。

関係を調整するために生活に感情を戻す必要がある。
実感を作り出す事を始める。そのために時間を共有した。

そうする事で、前よりは良くなる。

観念的な表現である事は分かっている。
そもそも、クライエントの実感が曖昧なものであり、その曖昧さをそのままにしながらリジリアンスを見つける。

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