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2016年6月

2016年6月29日 (水曜日)

無題

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山本さんだ。
山本さんと6歳違いだと初めて知った。僕が24の時だから、山本さんは30か。その時すでにおじさんだった。貫禄があった。世界中を旅をし、いろいろな人に会い写真をたくさん見せてくれた。
得体の知れない雰囲気があった。それは今も変わらない。何を考えているのかわからない。
日本を捨てて、その時すでに8年が過ぎていたのか。
何も捨てられない僕は、何かを拾いにブリラムにいった。もちろん落ちているものは何もなく、山本さんに出会った。
それから10年が過ぎ、養護施設に勤め、研修という名目でカンチャナブリの子どもの村に行った。そこに山本さんがいると聞いていた。山本さんはいた、相変わらずよくわからない雰囲気を出し、意味を考えても無意味だよという顔をしていた。

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2016年6月28日 (火曜日)

彼の中に見えた私

「万馬券が当たったから、夕飯を外で食べよう、肉を食おう」と、公衆電話で話してるおじさんがいた。よほど嬉しかったのだろうか、声が大きく、上ずっていた。
しかし、次第にトーンが落ち、「そうかい」と言ったきり言葉が出ない。どうも、妻に電話している様子で、妻は気乗りしない声で何かを言っており、お父さんは黙ってそれを聴いている。うな垂れ、急に身体が小さくなった。
気がつくと受話器を置き、もう、向こうの方に歩いている。
その後ろ姿に自分を見た。
お父さんの肩を抱き、一緒に焼き鳥でも食べまに行こうぜと言いたくなった。勿論、万馬券で。

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2016年6月27日 (月曜日)

引っ越し

引っ越しをするとモノの多さに驚く。
並んでいると綺麗なモノも、かたずけ出すとゴミに見える。その差はどの辺か?
同じようなものがある。半分だけつかって、そのままのモノがある。この中でホントに必要なものは少ないことは分かっていてもモノは増えていく。

読まないのに本が増える。それでいて、読みたい本が見つからない。
捨ててしまって後悔したモノは、殆どない。それなのに、モノが減らない。

これは人間としてのモノにも言えるのか?
僕がいなくなっても後悔する人はいないだろう。もっとも僕も後悔できないし。

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2016年6月26日 (日曜日)

風呂に入れるか問題

酒を飲んでいた。

隣の人が、夫が見知らぬ人を家に連れてくる。夜はいいが、朝になると、見知らぬ人と妻=隣の人の二人になる。
その時、妻は「お風呂にしますか、食事にしますか?」と見知らぬ人に尋ねるという。
その話を聞いた、反対側のご婦人が「えっ、そんなの信じられない」と叫んだ。ここから、隣人を風呂に入れるか問題が始まった。投票はイギリスのように2分するかと思ったら、圧倒的に「入れない派」が優勢である。
「まあ、夫と一緒に飲んでいるまでは許せるけど、朝、風呂に入れるのはね」
「顔を洗ったあと、タオルを貸すまでならね」
「夜のうちに、タクシーで帰ってもらいたいわね」
「とんでもない、家になんか入れないわよ」
と、「風呂入れない派の強硬意見がでる。
これは、あなたにとって隣人は誰か?という難しい問なのかもしれない。もしかしたら、夫よりすごい人かもしれない。夫と別れて隣人とその後の人生を暮らす可能性だってある。
それから、どんな人だったら風呂に入れるかに話は移った。
嵐だったらね、という話になった。
「それなら、一緒に入るわよ」という意見も出た。
そんなものか。

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赤ちTシャツ


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どうでもいいことの中にLIFE=生命・生活・生きていること、があると岸政彦はいう。たぶん。

僕にとって、今気に入っていることは、赤いTシャツを着て、腹を触ることだ。

Tシャツは赤でなければならない。たぶん、一番さわり心地がいいだけなのだが。クルマを運転している時がいい。無心に進んでいるときに、無心に柔らかく弾力性のいい腹をもんでいる。これ以上太くても、これ以上細くてもだめ。ちょうどいい感覚にうっとりする。

それは、猫を撫でている感覚に近い。適当に気持ちよさを感じ、それでいて、飽きるとサッと逃げていくヤツに似ている。

この脂肪というヤツは、嫌われ者だが、コ奴がいないと生きていけないから厄介である。必要がないように見えて、実は大切なものが沢山ある。

私は必要なんでしょうか?なんて質問を受けることがある。そのとき、この話をしようと思っている。

 

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