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2015年12月 9日 (水曜日)

知ると知らせる

多くを知ると、多くを引き受けなければならない。
ガンの告知を考えた場合、その後の人生をどう生きるかを考えなければならない。今まで生きてきたように、このままでいいのだろうかと自分に問いはじめる。
僕のような未熟な人間の場合、家族が「この人はそこまで人間が出来ていないから、ムリ」と判断し、本人への告知をしないようにするだろう。すると、僕の人生を引き受けるのは家族になる。
まあ、大した人生でもないから良いのだが、自分の人生を誰かに引く受けてもらった僕は楽であるが、少し寂しいと感じる。
Dr.も、死に向かう病気を重く感じているので、説明がどうしても重くなる。そうした気分が伝わる。
だから、患者にとって告知は、その事実より、先生や家族の感情の方が伝わり「はい、真面目に考えます」という気分になる。
そういう重たい気分をあ感じさせず楽にさせる先生がいた。
僕が中学生の頃、ノイローゼになった僕の話を聞いてくれた人だ。先生は「そんな事は僕にもあるよ」と言った。その言葉の意味にではなく先生のどっしりした態度に感動した。ああ、大丈夫なのだ、と確信した。
何が大丈夫か分からないし、漠然としたものであるが、確かにそこには安心という雲が浮かんでいた。その中に包まれる感覚があった。

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