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2015年7月19日 (日曜日)

ふつう を考えると

子どもにインタビューをする機会が年に何度もある。

最近何を聞いても「ふつう」と返事する子どもが多い。

まあ、いぜんなら「べつに」だったから、それほど変わりはないが。
この「ふつう」は「普通」ではない。

「べつに」の方は、こちらを拒否する気持ちや、関係を切るために使っていた感じがするが、「ふつう」にはそれを感じない。
強いて言えば、「わからない」に近い。
その問題を深く考えたくないから、もう聞かないでよ、と言っているように聞こえる。それでいて、関わりを拒否はしない。

人を避けることはよくないと思っているし、自分の避けられたくない。
気分を害さない程度に関係を持つ方法としての「ふつう」なのだろう。

この言い方は、店員の「・・・の方はよろしいでしょうか ?」や「していただいてよろしいでしょうか?」などと同じような使い方だと思う。

要は、はっきり言わない。相手を傷つけない。

アベさんも同じ言い方をする。もっとずるいやり方で。
好戦的な法律を平和を守るためにつくるといい、放射能のゴミを処理できなくても、すべてコントロールされているといい、沖縄の人がどんなに苦しんでいても、沖縄のために基地は必要ですという。

全く矛盾している言葉を力ずよく話す総理を見て子どもたちは、「ふつう」だというのだろう。

この「ふつう」はもはや普通ではない。

前回の病気のあと、アベ氏は養護施設を訪れ子どもたちに未来を語っていた。

その未来を信じられるものにするために、ホントウノ話をしてほしい。

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