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2015年4月21日 (火曜日)

入院する友達へ

入院は、病院に入ることである。

入るとは、出ることが前提である。

ほとんどの入院は人生の休憩である。休めばいい。
目的のない旅が辛いように、先が見えない入院んほど辛いものはない。
考えてみれば、夜が来てベッドに入る時、朝が来れば起きると思っている。
たいていの場合は、朝が来る。しかし、よく考えれば、起きられないことだってある訳だ。

朝飯を食べ、会社に行く。そして、夜になれば家に帰ってくると思っている。
しかし、事故があって帰れない場合だってあるかもしれない。

生きることは不確実な連続である。それでも、生き続けることを信じているから、生活ができる。
信じるということは、相手の意思に従う自由のことだ。

神を信じるとは、神がいるかいないかを問うことではなく、その意思を存在を感じることである。
私がここにいることは、これまでの流れの連続であり、これからも生を感じることだ。

そうした感性を磨くためには、入院という環境は望ましい。
何しろ考えることしかできない空間だから。

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