« 私の敵は私の中に住んでいる | トップページ | 医療的説明 »

2014年4月20日 (日曜日)

時間と共感の関係

どんなに話をしても共通理解ができないAさんと私。

話せば分かるというのは嘘である。分かるように話さなければ相手の理解は進まない。また、理解したいと思わない人にも言葉は伝わらない。

Aさんも、Aさんなりの物語を持っている。そのストーリーの世界に入れない僕には、Aさんの世界が理解できない。ついていけない。

だから、解釈する。解釈は僕の世界中の理屈である。

理解できなければ、どうすることもできないと思っていた。

効率的にとか、合理的にとか、そんことを考えてアプローチしたが無駄だった。

もうどうしたらいいかわからなくなり、Aさんの話をぼーとして聞いていた。ただ、時間だけが過ぎて行った。

話は何時もの通りである。いつものように、怒りが高まり、不満が爆発し、嘆きの言葉で終わる。そう、終わるはずであった。
しかし、今日は終わらない。
時間が残っているから、話は続く。Aさんは、自分で話終えることがなく、中断されることで殆ど終わっていたの。

それが、無理に続けると、いつものパターンと違うストーリーが展開しはじめた。
この辺から話は面白くなってきた。

そうなると何時ものようには終わらない。
こちらの都合のいいようには終わらないが、それでも物語が動き出す気配が見えるようだった。

|

« 私の敵は私の中に住んでいる | トップページ | 医療的説明 »

ゆれる」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 私の敵は私の中に住んでいる | トップページ | 医療的説明 »