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2014年4月29日 (火曜日)

曖昧な事実と確信的なフィクション

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ローマである。

その歴史が数千年あるのだから、沢山の人達が生き、死んでいった。

それをカメラで捉えれば、撮る監督の目がそこに存在する。

私たちは、世界を観ていると同時に、世界から見られている。見られる僕見は、人生を演じているのではなく、人生からの見えない力で動かされている。

それは、映画の中の人達も同じだろう。

彼らは、ヤシの木と話をするのと同じように僕らに話しかけている。

話しかける彼は、考えて話しをするのではなく、行為の中の知により唇が動いている。その動きがあまりに美しい。

「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」

ジャンフランコ・ロージ監督

監督はお喋りだ。作品が寡黙であるので余計に彼はそれを説明する。その話は、作品の解説ではなく監督の人生の話である。

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