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2013年12月 8日 (日曜日)

それは必要だったのか

百田さんの物語では、裏切りと復習が繰り返される。
まるで、キリストを裏切ったユダのように。
ユダは裏切り者だったのだろうか。それではなく、彼の信じる人がその物語を成就するために必要だったのだとも感じる。
又三もまた、家族を友人を、そして恋人を裏切る。しかもその意味に気づかないまま、また、傷を深める。
又三は、裏切る家族を,友を、恋人を本当に必要としていた。しかし、その行動は全く反対に動く。
私たちは、本当に欲しいものを拒み、必要でないものを受け取る。

先日、サイコドラマの輪に加わった。
ドラマは、物語だ。自分を語る言葉は、その物語の中で一番必要な言葉ではなく、自分の苛立ちから出てくる。だから、演じた後で必ず後悔する。
それは、後悔するために演じるような物語となっている。

何度も裏切り何度も裏切られるなかで、又三は信じようともがいている。信じようとするがゆえにそれとは反対の行動をとってしまう又三が愛おしい。

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