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2013年7月 6日 (土曜日)

選択について考える

選挙の季節である。

選挙は選択だと云われることもある。

民主主義とは、自ら信じる主義や思想を選択できるシステムである。

政治や社会は、凄く大雑把にいうと、その目標は同じでも、目標に到達するプロセスや方法が違っているだけだと信じられていた。

2大政党でも独裁政権でも、社会の目標は人民(国民や民衆)の幸福を目標として政治を行う。そうでない政党や政権は歴史の中では消滅してきた。

そして、政治的な選択は、正しい情報と公平な条件によって行われなければならないと考えられる。

選択をするための土台が違っては方向性さえ違ってしまう。

しかし、権力を持った人たちは選択の土台である情報や条件をいじるろうとする。

憲法や選挙制度の問題も論点を変えることであいまいになるが、それよりも、基地や原発の問題が大きいと思っている。

憲法や選挙制度は国民としてどこに住んでいても同じような条件で論議することができる。しかし、基地や原発はそうだろうか。

基地は沖縄の問題であり、原発や放射能は福島の問題なのだろうか。

そうじゃないと多くの人は話すが、基地や原発を東京に誘致しようとはしない。放射性廃棄物だって自分の隣に置くのは嫌なのだ。

それでも、あなたが選択をしたのだから、あなたの責任だという。

そうした状況を変えようとする動きはある。

いま何が起きているのかを知り、自分の問題として考えることだろう。

昨日、ジェネラルドクターと云われる人が、「救急医療では毎日迷う、しかし、目の前にいつ患者が自分の家族(最愛の人という意味だろう)だと思えれば、最善の処置ができる」といっていた。

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