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2013年5月 6日 (月曜日)

リアリティー

ナポリで魚屋を営むルチャーノの物語。

ルチャーノは、子どもを可愛がり、家族を大切にしながら商売に励んでいた。子どもの頼みを聞き素人参加の人気テレビ番組「ビッグ・ブラザー」の一次オーディションに合格してしまう。

番組に出演さえすれば、有名になり金持ちになれると信じ、街を歩けばテレビ局の人が調査に来ていると思うようになり、商売も手につかない。

妄想はどんどん膨らみ、テレビ局にいいところを見せたいと浮浪者に食事をご馳走し、家財さえ貧しい人に分け与えててしまう。

こうなると家族は崩壊、子どものことも見えない。

そして、リアルな家庭や仕事を失い、虚構に生きるようになる。

さて、ルチアーノの妄想はリアルではないのか?貧しい人に家財を分け与えて自らが貧しくなるのは虚構ののか。

イタリアのアッシジの聖人フランチェスコは、戦争という超リアルな世界から戻ると、家財を窓から捨てはじめ、最後には、着ている服さえも脱ぎしてて裸になった。

彼を見た街の人は、気がおかしくなったフランチェスコと言ったが、今日では、聖人と言われる。清貧の聖人。

映画の中で、カソリックの聖堂が登場する。

神父の話を熱心に聞き入る信者達は、豪華な教会の中でリアルの信仰を築いているのだろうか。

フランチェスコ流に云うと、そこには神はいない。むしろ、教会の外の貧しい街の食事も食べられない子どもと共にいる。

さて、どちらがリアルな世界なのだろう。

今日、村上春樹氏が講演したことがニュースになっていた。しかし、テレビに映る村上氏の顔や洋服にはリアリティーはない。彼のリアルな世界は、彼の書く小説の中にある。それも、二つに分かれた物語に。

物語は、まるで現実的ではない。羊が話したり、一角獣が登場したり、穴の中から100年前の外国にトリップしたり。

だから、物語であり、だから、現実的である。

日常の世界は、一見リアルに見えて、それこそが虚構なのかもしれない。

そして、僕らの世界は一つではない。もう一つの世界とこの世界は繋がり、時にクロスしてしまう。

イタリア映画の面白いところは、人間のもう一つの世界を真面目に描くとことだ。泥棒が登場し、浮気や愛欲が渦巻き、マフィアが教会と癒着し、貧困、腐敗などなど、あらゆる人間的なリアルな物語が語られる。

さて、どっちがリアルな世界なのか。

そうすると、お金が無くなって家人が盗ったと主張するAさんの世界は嘘の世界なのだろうか。

僕たちはそれを妄想だとか、虚構だとか、嘘だと決めつけている。

しかし、僕たちのいる世界こそが嘘の世界なのかもしれない。

嘘の世界に生き続けていると、リアルな世界が怖くなる。

本当の自分に向き合うということは恐ろしいことだと知っているから、リアリティーあるつまらない日常で我慢してしまう。

でも、それでは、ビックブラッザーには出演できないけどね。

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