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2013年3月31日 (日曜日)

父を撮りに

映画の話。もしくは家族の話。

キャバクラに勤めるハズキと高校生のコハルは、突然、父親が死にそうだと知らされ、お母ちゃんにお父さんの写真を撮ってきてと頼まれる。

父親は、娘たちが幼いころ女を作り出て行った。それからは、お母ちゃんと三人で暮らしている。

子どもたちにとって、家出をした男でも父親だ。しかし、お母ちゃんにとって、それは、もはや他人である。

その辺の距離感がよく出ている映画だった。

父親、あるいは夫、または、家族にとって唯一の男性がいなくなってから、子どもたちは、さびしいとき、不安なときに、お母ちゃんの乳を触ってきた。(きっと)

妹は姉の乳を触り、姉は妹のお尻を触る。

その意味では、父は形を変え、意味を変えて家族の中で存在していたのだと感じる。

不在の中の存在というものがある。

お見舞いに出かけたきょうだいだったが、それは、葬式への列席となり、弟との存在を知る。

弟にとって不在だった姉が現れ、姉にとっても守るべき対象が現れた。

この辺も脚本の旨い。

見えない存在に守られていることを感じることはあるし、見えないからこそ信じることができる。

義雄さん(仮名)は、50年前に別れた娘の存在を感じながら生きている。

それは、僕にも伝わってくるくらい強い感情である。

家族は生活や暮らしの中で育まれるものであると同時に、運命や空間のなかでもずっと生き続けるものだと思う。

いい映画です。

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