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2012年11月25日 (日曜日)

普通でいることは普通にはできないということについて考えた

39窃盗団を観た。

これは、障がい(=普通に生きる)ということを考える映画だった。

監督のきょうだい(ダウン症の弟)が主人公だ。

彼は、主人公であるが、自分では物語を作らない。誰が作るって、周りの大人である。

詳しくは映画を観てください。映画のストリーより、僕にとっては、彼の人生への関わり方と周りの大人の人生への関わり方の対比が面白かった。

物語は、障がいを持った兄弟が盗みをするが、まあ、いろいろな出来事が起きるということであるが・・・

その事件は、主人公の彼が起こす訳ではないということろにのこ映画のテーマを感じた。

振り込め詐欺のお兄さんがいる。

お兄さんは自分で詐欺を働き金を稼ぐが、それだけでは満足しない。まあ、どんなことがあっても満足しないだろう。そして、幸せそうじゃない。

友達のミヨちゃんのお父さんも、ミヨちゃんを風俗で働かせる。しかし、やっぱりどんなに金を稼いでも満足しないだろうと思う。

その点、主人公の彼は、終始楽しそうである。それは演技を超えている。

きっと、ホントウニ楽しいのだろう。また、楽しくないことはしないのだろう。

サラリーマンが酔っ払って、彼らに言う。「障がいを持っている方が楽して、サラリーマンが苦労している」と。(たぶん、そんなことを)

障がいがあるということは、何かを持っていないということであるが、持っていると思われる人の持っていないものを持っているということでもある。

だから、芝居や映画で「子どもや動物には勝てない」なんていう場合、それは、子どもや動物が普通でいることができるという意味だろう。

人生に対して普通にしていられるなんて、できそうでできないことだ。普通に暮らせるなんて、普通の人には絶対できないことなのだ。

でも、それが自然にできる人がいる。

そんなことを考えさせられた。

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