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2012年6月 1日 (金曜日)

セクシャル・オリエンテーション

男性としての支援の限界と可能性。

男性の私のクライエントは女性が多い。

私が意識するかどうかに関わらず異性としての認知をしている。また、認知されている。

それは、プラスにも働くと同時に限界にもなる。

松浦氏の「奇貨」を読み終えたのは飛行機の中だった。

そしていま、山口の家族療法学会に参加している。

午前のセミナーではカップルセラピー「セックスレス」の話が面白かった。

それは、僕の性に関するイメージが男性性としてのセックスを意識していたことを再確認できた。

どんな性的志向を持っているかを意識することは少ない。まして、その「志向」が「ホントウ」かを確認することはより少ない。

それは、男性としての「当然」の行動に従い、常識的な「思考」により行動してきたからだ。しかし、それが自分らしい「ほんとう」かを問うならば、「わからない」ということになる。

そんなことを考えながら、ぼんやり話を聞いていたら、自分の志向にはいろいろな問題があることに気づいた。

すでに気づいていることだったのに、認めたくないことだったけどね。

すべての物事は繋がっている。そう考えされることが多い。

これも僕の性的志向におけるシンクロニシティーなのだろう。

さて、これからどのようにカップにおける相互関係が変化するのか楽しみだ。

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