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2012年5月15日 (火曜日)

沖縄復帰40年

1973年だった。

前月にサッカー部を辞めたため、頭はぼうず。どう見ても高校生という顔をしていた。

私立高校の春休みは長く、高校2年から3年という時間は、最後の休みのような気分がしていた。

仲間の矢口君(仮名)と旅行の計画を立て、なぜか沖縄に行くことになった。どうして沖縄か、覚えていない。沖縄の情報もほとんどなく、本土復帰後2年が経過していた。

金欠の高校生にとって沖縄旅行はどうやってお金を切り詰めるかが問題になる。当然、飛行機は使えない。宿泊はテント。食事は飯盒ということで一致した。

出発は晴美だったか?

大きな船だった。初めて1万トンクラスの船に乗ったので、少し興奮し、船内を何度も回った。回ってみるとすぐに一周してしまう。それでも、楽しかった。

2等だったか3等だったか、大部屋で寝泊まりする。そこは居心地が悪いので、ずっとデッキで過ごした。

何を食べたのか全く覚えていないが、夕日がきれいだった。

船内で2泊したような記憶である。

那覇港に着いた。那覇港には軍艦が停泊していた。覚えているのはそれだけ。

リックを背負い、那覇の街を歩く。その日の夜には石垣へのフェリーが出るので半日ほどの街を歩いた。

歩いていると、自分が揺れているのか、街が揺れているのか、とにかく地面がくにゃくにゃとして気分が悪い。

石垣へのフェリーでも一泊。翌朝、デッキに出ると南の風が気持ちいい。ああ、南の島に来たという気分で矢口を見た。

石垣港で下りると、市内を散策することもなく、また、船に乗る。

若い人は絶えず動いている。動いていないと息が詰まってしまうかのように。

船は竹富島に到着。その島がどんな島であるかも知らず、とにかく、石垣から近い島だった。

小さな島を歩き回り、泊めるべき場所を探し、テントを下していたら、色黒のおじさんが怖い顔して言った。(たぶん普通のおじさんだったのだろう)

「島ではテントは張れないよ。それにハブがでるよ」と、そんなことをね。

凄いショックだった。

重いテントがさらに重くなりとぼとぼ歩いていたら、中学生風のアンちゃんが前から歩いてきた。明らかに戦闘モードを感じる雰囲気で。

手足を出したりひっこめたり、**拳法というような型しながら歩いてきた。

向こうは一人、こっちは二人だったが、明らかに相手の方が強そうである。

呆然と突っ立っていたら、「*******」と言っていた。よくわからないが、たぶん、「本土の奴は島に来るな」ということのような。この辺は言葉が分からなくても感じる。

そこで矢口と顔を見合わせた。

矢口は突然、「石垣に戻る」と言った。矢口も疲れていたのだろう。

そこで二人は別れた。

別れは突然にやってくる。

まっすぐに進んでいるうちは勢いがあったが、止まってしまうと、まったく元気がなくなる高校生。仕方なくその日泊まる宿を探した。

3月である、どこも空いていた。

矢口と別れた近くの民宿に決めた。というより、凄く疲れていた。

民宿のおばさんにお米をあげた。テントを持ってきたが張れないので泊めてくれと言った。

結局、その民宿に1週間くらい泊まった。

民宿には大学生のお兄さんお姉さんたちがいて、可愛がられた。(たぶん)

(大学生と思い込んでいたお姉さんは、OLだった。その後、東京で再開し、ご飯をごちそうになる。)

浜に一緒に連れて行ってもらい、ラジカセから流れるはぴいえんどを聞きながら、青い空と青い海を見ていた。

夜は、泡盛を飲みながらおじさんが弾く三線を聞き踊った。

そんな毎日だった。

東京に戻った。

坊主頭は少しだけのびていた。

顔の黒さは変わらないが、少しだけ大人になった気分でいた。

家に入ると母親が言った。

「どこへ行っていたの?」と。

ああ、また日常がはじまった。

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