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2012年2月14日 (火曜日)

リスベットはサバイバーか

ドラゴン・タトューの女を観た。

リスベットを演じるルーニー・マーラーは性的虐待を受けたサバイバーとして生きている。

日本ではそれほど取り上げられないが、性的虐待は身内、それも父親が一番多い。しかし、ほとんどの場合、それがアメリカであっても、事実は明らかにされないケースが多い。

それは、しばしば神話として、子どもの夢物語として取り扱われる。

しかし、それが嘘でも、作り話でもないことは、リスベットが語っている。

そう、この映画は虐待に対する戒めの映画だ。

リスベットは、二十歳を過ぎている。

たぶん、未成年時代に起した事件により未成年後見人が付いた。それに、二十歳を過ぎても後見人が付いているのは、精神的に問題があり、社会適応ができないと判断されているからだろう。

虐待の恐ろしいところは、本人の精神をむしばむだけでなく、その社会性を奪うところだろう。

つまり、虐待を受ける方に問題があるという視線を感じながら生きなければならない。そうした視線に立ち向かう方法を考え、強く生きようとすれば、リスベットのような風貌になることも理解できる。

彼女に襲い掛かる弁護士は権威の象徴だろう。

彼もまた、虐待の被害者か、それとも父親の権威に負けた敗北者かもしれない。

この映画に登場するアメリカ人のほとんどが病んでいるように映る。それは、アメリカが抱える戦争と侵略と先の見えない経済に、どう決着をつけていいのかわかない姿のように。

映画の中で、ミカエルの娘が祈る。

しかし、ミカエルは本当には祈らない。祈りを知らないのではない。きっと祈ることより、戦うことを選んでいる。

そんなに強く生きなくてもいいのに。

生き残るのは、強さではなく、弱さやしなやかさの方であってほしい。

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