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2012年1月 6日 (金曜日)

説教を黙って聞くことの意味

学校に寄り本を返し、カレーを食べて礼拝に出た。

説教を聞いているうちに、昔の人は本からではなく、テレビや新聞からでもなく、もちろんインターネットからでもなく、人の話を聞いて物事を考えたんだと思った。

その時、誰が語っているのかが重要となる。

カリスマ的な指導者が出てきた場合、話の内容より、その人の存在に影響されてしまう。

だから感動的な話には気をつけろということが言いたいのではないが。

話を信じるということは、その人を信じるということである。

黙って話を聞いている時間は自分との対話の時間である。

日常生活の中ではとても大切な時間となった。

I went to school, return the book, eating curry and then went to pray.

Listening to the preaching within, not from this old man, neither from TV or newspapers, neither from the Internet, of course, considering the things I thought I heard people the story.

At that time, it is important what anyone says that.

If you come across a charismatic leader, from the gist of the story, they have been affected by the presence of that person.

The inspiring story of a say so in it is not called Beware.

Believe that the story is that people believe in it.

Time silently listening to the story is the time for dialogue with myself.

In everyday life has become very important time.

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