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2011年12月19日 (月曜日)

アルツハイマーであることの意味

「病い」には意味がある。

それは、身体症状という意味、または、文化的、経験的な、あるいは個人的な意味である。

病気を治す立場にある者は、その症状に注目する。

病巣を取り去ることから、症状を軽くすることや、小さくすることを試みる。

しかし、それが人生の中でも意味としてとらえた場合、「病い」をプロセスとしてとらえることができる。

「今」起きている状況に納得できない場合、それが病気であっても、なぜ今、なぜ私に、どうしてこんなことにと自問する。

しかし、それでは何も解決しない。

冬子さんは、子どもの頃の話をはじめた。

話は何時間でも続きそうである。それに、話をしているうちに分かってくることがどんどん生まれてくる。

そこには、物語を聞く者が存在している。

つまり、聞かれる物語を語り出すうちに、その形が次第に見え始めてきた。

ああ、あの時の父親の視線はどこに向かっていたのか、どうして彼は靴を履いていたのか、お母さんは私を試そうとしていたのね、今そこにいるように感じる・・・

冬子さんの物語は、聞きている者の物語でもある。そこにいる者として、その世界に参加し、積極的に介入する。一緒にこれからどこに向かっていくかを探している。

そうした作業を何度も繰り返す。

すると、前回には明らかにならなかった場面が構成される。「ああ、そこはもう少し右側の方がいいわ」という具合にね。

女の子は次第に成長する。

そして、いつしか、大人の女性になり、年を重ねる。

でも、いつまでも現在には追い付かない。

それは、物語の限界である。

プロセスは、過去のものであり、これからの人生を生きるための素材としてある。

物語の意味をいくら探っても「病い」は治ることはない。

それでも、今を生きる力にはなる。

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