« 赤富士弁当 | トップページ | 三谷さんが心配です »

2011年6月 3日 (金曜日)

問題

先生と呼ばれるひとは、クライエント、生徒、患者、お客さん、カスタマーの問題を解決しようとする。

ほとんどの場合には、問題が患者などを苦しめていると考える。

その問題さえなければどんなに幸せになるだろうと。

しかし、問題がなくなっても幸せになれるとは限らない。

目の前の問題は、必然的にそこにある。

そこで考える。

先生と患者の幸せは同時に起こるんだろうか。

誰かが幸せになるとき、誰かが不幸になるというのは、ものを取り合う場合に起こる。

いま、あるクライエントのことを考えている。

彼女は、物に執着し、ものに覆いかぶされるように生活している。

その物たちを取り除かなくては生活ができない。(と、他者は考える)

しかし、それが自分ではできないとき他者がそれをできるかどうかを考えている。

つまり、他者への関わりの限界のようなことを。

この問題を考えるとき、二人の関係が大きくかかわる。

それが親子であるか、隣近所の人であるか、友達であるか、会社の同僚であるか、ワーカーとクライエントであるか・・・

でも、そこに起きる事柄は、相手の世界に入り込むかどうかである。

相互関係システムを考えた場合、相手のシステムに侵入した時、相手のシステムは確実に変化を起こしている。

つまり、何の意図も持たない場合でも、相手を操作しようと意図した場合でも、変化は起こっている。こちらの意図とは関係なく。

この関係は、親子関係のケースを考えるとはっきりする。

思うようにならないことを楽しめるとどんなに楽か、そんなことは分かっているのに、そのままにできないところが難しくてね。

|

« 赤富士弁当 | トップページ | 三谷さんが心配です »

あいまいの知」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 赤富士弁当 | トップページ | 三谷さんが心配です »