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2011年5月 5日 (木曜日)

ボランティアのミスマッチ

内田樹さんが「ボランティアのミスマッチ」のことを書いていた。

神戸で被災した際、「お手伝いをさせてください」と言う学生たちの妙につるつるした顔が不愉快だった、また、仕事の合間に談笑するボランティアを見ると腹が立ったと書いている。

ボランティアとは、「おせっかい」をかってでることを意味していると思う。当然、そこには双方の気持ちや感情の行き違いがあるのが当たり前である。

そのことを、内田先生は「人生はミスマッチの連続である」と、進学、就職、結婚・・・を例に挙げ、それぞれ、なんとか工夫をしながら関係を作っていると述べている。

その工夫が面白いのだろう。

余計なお世話をして喜ばれるときがある。それは、幸運に巡り合ったと喜ぶべきことであり、たまたまだと思った方がいい。

また、力を入れ、何度も考え、一生懸命に努力したことが裏目になることもある。それは、当然と思うべきである。

人を変えることができないように、こちらの努力とあちらの反応は全く別物である。

身近な人間関係がとっても難しいことを考えれば、ボランティアの需要と供給もうまくいかないことの方が多いのは仕方がない。

今回の市民レベルのボランティアは、色々な工夫があって面白い。

自分勝手に色々な関わりを始めたボランティアを政府が統制できないのは当然だろう。

する方も多様なら、受ける方も多様である。

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