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2011年5月 1日 (日曜日)

僕であること

3.11以来、自分が誰であるかが重要と感じるようになった。

それは、物事を見る場合、外から眺めるのではなく、自分の目で見たり、その場の空気を吸ったり、触ってみたりすることがその実態に近づくためには必要だということだ。

でも、それは、あの日がきっかけであっただけで、それまでの僕たちの生き方が問われているだけあり、それ以前とそれ以後に状況の変化はない。

小沢昭一は、みんなで一つの方向に進む日本に、あの戦争の時の「あやうさ」と同じようなものを感じると言っている

僕も、「がんばろう」という言葉には違和感を感じる。

それは、一人ひとりの心の中の問題であり、それを言われたり聞いたりすると、嫌な思い出がうかんでくる。

頑張っている人は、自分にがんばれとは云わないだろうし、生き方は多様であり、みんなで生きることを目指すとかなり「やばい」ことになる。

もう頑張れないと感じるときだってあるし、

誰も応援でいない時もある。

そんな時でも、僕は何かを感じているし、それでも何かをしている。

そうした僕や私の生き方があってもいいと思う。

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