« 移動の途中 | トップページ | 僕であること »

2011年4月28日 (木曜日)

僕らの住んでる隣にはいつもとなり合わせの全く別の世界がある

僕たちは自分の世界が全てであるように感じて生活している。

しかし、僕たちが日々の生活で出会う人たちは、それぞれ、全く違う世界を持っている。

それは、家族でも。

同じ世界を共有しているかと思っていたら、全く違う道を歩いていたなんていうことはよくある話である。

そうした思い込みだけでなく。

時間や空間には、質を異にする世界が存在する。

被災地とそれ以外の空気感が違うように、病院の中と外の世界も違っている。

それは、大学が別世界であるように、国会も僕たちが生きている日常とはちがうようである。

その違いを感じるためには、二つの世界を行き来する必要がある。

こちらの世界とあちらの世界を入ったり出たりする。

その世界をテレビで見て知っていると思っていても、知らないことが多い。見ているようでいて何も見ていない。

つまり、すぐそばにあるその世界は、僕らの知らない全く別の世界なのかもしれない。

|

« 移動の途中 | トップページ | 僕であること »

ゆれる」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 移動の途中 | トップページ | 僕であること »