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2011年3月21日 (月曜日)

世界のはじまり

人間は「なぜ」とか「どうして」と考える存在だと河合はいう。

神話の世界でも、はじまりが問題となる。

クリスチャンの国では、一神教の神が世界を創造したとしている。「はじめに神は天と地とを創造された」と。

では、その前はどうなっているのかという問題が起きる。

しかし、神が創造された時から世界が始まっているので、それ以前は存在しないと考える。

一方、古事記では「天地初めて発けし時」と、この世がどうしてできたかではなく、そこにあったことを前提に物語が始まる。

そこから天地を創造することになるが、アメリカの先住民の神話では、積極的に創りだそうとする神とただ煙草を吸っているだけの神が登場する。

積極的な神は2回創造に失敗するが、煙草を吸う神は、「無為」により、人間が存在しうる状態を間接的に生み出す。

物事が前に進むためには、積極的な力とともに、それを支える「無為」の存在がある。

何もしないように見えるものの力は、動き出す力を支えている。

そして、積極的な神が創造に二度失敗する時にも、相棒の神はただ煙草を吸っている。

岩の上に座り煙草を吸うことも、また、どうしても必要なことであり、双方が関係が創造の物語にはなくてはならない存在となっている。

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