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2011年3月 6日 (日曜日)

英国王のスピーチ

王様は大変である。

様々な場面でその言葉が求められる。

たとえ原稿ができていても、それを、王が読むことで、王様の言葉になる。

だたら、吃音であっても、どうしても必要な行事だ。

中流といわれる家庭に生まれた僕も吃音に悩んでいた。当時、日本に家庭のほとんどが自分たちは中流だと信じてた時代の話。

母親は、口笛を吹くとどもりが酷くなるといい。父親は、母親の家系には多いと遺伝説をとなえていた。

学校では、友達が口真似をしてからかい、先生も、無理して話をしないようにと指導した。

イギリス社会では、吃音は個性ととらえていたのだろうか。そうでもないらしい。

国民は眉を寄せ苦虫を噛んでいた。

それでも、王の言葉を聞くことを選んだところに国民性がある。

流暢に話す方が聞きやすい、しかし、聞き難いけれど、その言葉に耳を傾けることをやめることはない。

一方、対比としてヒットラーの演説が取り上げらえていた。彼のスピーチは民衆の気持ちをつかみ熱狂させた。

耳に心地よい言葉を聞きたい、でも、ほんとうの話は聞きにくい言葉かもしれない。

王のスピーチが上手くできたことに感動したのではなく、彼の国民に対する気持ちに市民は拍手をしたのだろう。

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