太郎の庭
1976年頃、青山郵便局でアルバイトしていた。
自転車で、青山、赤坂、西麻布界隈を回り郵便を配る仕事は、とても楽しかった。
なかでも、岡本太郎の自宅はわくわくした。
主に会うことはなかったが、庭を望むことはできた。
家の中からあふれた作品が庭に飛び出し、その息吹は「もう我慢ができない」というように街に溢れ出していた。
中学校の時、3年生は修学旅行で大阪万博に行った。
しかし、2年生だった僕は大阪に行けず、月の石を見ることはできなかった。テレビで流れる「世界の国からこんにちは」を一緒に歌うのが精一杯だった。
中学生には大阪は遠い国だ。
その庭には、小さな太陽の塔が立っていた。それ以外にもいろいろな顔が見つめていたが、太陽の塔が大きくそびえている記録が強い。
芸術家は、家の中から庭に、庭から世界に、エネルギーが溢れ出し、留まることを知らない。そのエネルギーが、郵便配達の少年にも伝わってきた。
少年は、こぶしを握り、身体の奥の方で小さく爆発した。
たしかに、その時は音がした。
しかし、その後は爆発することもなく、自転車をこぎ続けている。
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