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2010年11月30日 (火曜日)

無題

人は他者のために何ができるのか。

これが論文のテーマである。

援助を仕事にするとき、そこには援助関係という構造が生まれる。

関係である以上、関係の目的が生まれ、関係の期間、関係における経済的約束も交わされる。

その関係は非対象性をもつといわれる。

非対称性とは、私とあなたの関係を、そっくりそのままひっくり返すことができない関係である。

たとえば、医者と患者の関係であり、先生と生徒の関係である。

援助をする人と、される人との存在が、その関係を構築している。

ここまでは、目的のある関係である。

では、子どもと親の関係は被対象的なのだろうか。

親は子どもを育てることにより成長し、子どもは親に育てられて成長する。

もし、そうだとすると、相互に影響し合いながら成長という未来へ向かう関係かもしれない。

こうなるとベクトルの向きは横からまっすぐ前に向かっている。

そう考えると、子どものために何かをしているのかという問題になる。

子どもの私から、親を見た場合、何を感じるかといえば、産んでくれたことへの感謝である。それにより、私の存在がある。

話を戻す。

人は他者のために何ができるか。

昨日からそれを考えている。

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コメント

人は他者のために何もできない。それなのに私の支援がお金になっている。私の収入になっている。ただニコニコしてるだけじゃ支援員の仕事はできない。利用者も支援員の私もいつまでたっても成長できない。自分の子どもだって別の人格だからお互いが他者のために何もできないし、成長しあえないけれど、お金が絡んでいないから気楽に付き合える。それが仕事となるとそうもいかない。私は他者のために何もできなかった。よかった、今、気付いて。他者のために何かできる人にさっさと引き継ごう。

投稿: midori | 2010年12月10日 (金曜日) 01:14

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