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2010年7月26日 (月曜日)

北山修

変わらない。

北山修最後の授業を見る。

それは、イメージの世界の中の物語。

北山は40年ぶりを繰り返すが、83年に「戦争を知らない子どもたち 83」を九段会館で聞いたことを思い出す。

小学校の6年の時に「帰って来た酔っぱらい」を聞き、中学3年の卒業式で「花嫁」を演奏した。高校時代に「パック・イン・ミュージック」に酔いしれた。

それから数十年が過ぎ、北山の「錯覚と脱錯覚」を読んでいる。

彼はTVで、言葉が持つ危うさと、言葉の可能性を語っている。

今日訪問したAさんは、その言葉の世界で苦しんでいる。

その苦しみは、Aさんの苦しみであり、同時に生活を支える人の苦しみである。

言葉が、繋がらない。言葉を掴めない。語るべき言葉を持っていない。

そうした言葉の世界を自分のものにできればどれだけ救われるだろうか。

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