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2010年7月27日 (火曜日)

誰に話をしているか

北山修最後の授業を見る。

面白かったかと聞かれれば。そんなに面白くない。

面白いということは、見るものの要求や、見るものを意識した演出や出し物であるかどうかが問われる。

確かに、演出をしている。

それは、本当の北山ではないのかもしれないし、あんなものであるかもしれない。

40年前も、理屈ぽっかたし、愛嬌がなかったような気もする。

テレビは、誰に向かって話をしているのだろうか。それは大衆と言われる、存在しない人たちにである。

そんな者はいないのにも関わらず、一方で「うける」話であるかどうかが問われる。

目の前にいる人が存在している唯一の対象であるにも関われず、話は大衆に向けて流される。

授業と言われるものも、変なものであり、30人や100人に向かって話をすることは普通ではない。普通ではないことを何の違和感も感じずに話をする方も、それを聞く方も変である。

そんな変な状況を楽しんでいるという意味では、授業は「芝居」である。「うそ」という匂いを感じながら騙されて、それを楽しんでいる。そういう意味では本当のことを言わないというルールに則って物語が出来上がる。

一方、面接には「本当」が含まれる。もちろん「芝居」もするが、つまらない現実の方が多い。だから、テレビでは問題になる「沈黙」が含まれる。

しらっとした空気が流れ、そっぽを向いたり、下を向いたりして絵にならない。

今日も3人のクライエントと面接をした。

そのうち二人は、何もしゃべらない。こんな面接もある。

しゃべらないし、また、しゃべれない。だから、空気を読み、その「場」の雰囲気を感じる。

その空気感を他人に伝えることは難しい。それに、面白くない。なぜなら、私とあなたの間に起こっていることだからだ。

それをパーソナルコミュニケーションといい。その関係には、双方の情動とコミュニケーションが活発にうごめいている。それはそれは面白いのに、それを感じられるのは、当事者だけである。

それを「現場」という。

現場で活躍する東海林さんも、本当に面白さを知っているのは彼女だけであり、テレビを見ている人は、現場を見ているのではなく、東海林さんの顔を見ているのだ。

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