« 母の日 | トップページ | 奈良に来てます »

2010年5月 9日 (日曜日)

そこに立つと見えてくる見えないものが

演技をしない演技のワークショップに参加した。

普段、何がしかの役割を演じていると感じている私にとって、舞台で演じる私と演じていることを意識しない私の違いはどこにあるのかと考えながら、河童の気持ちを考えてみた。

何かを演じるということは、違う自分を表現するようでいて、それも本当の自分であるかのような気になる。

それが本当の自分の一部だとすると、怖いような気がするが、それでいて、安心して見ているもう一人の自分がいると気がつく。

演じることで、もう一人の自分が解放されるような気になり、解放された自分はかなりいい気分になり、勝手に動き回る。

そうなると、もうコントロールしているのか分らないような、どこか抑圧されていない分、自分らしさを感じたりする。

そこに河童が現れたりする。

どうしていま、ここに、河童がという気持ちと。

まあ、河童が出てきてもいいかなという気持ちが混ざり合う。

現実の中に非現実的な物語が登場することで、現実らしくなる。

しかし、僕がやっている仕事は、お芝居のような物語がしばしばおこる。芝居の筋では、そこまでいっては現実的でないと思うところを超えてしまう。

超えてしまい、現実なのに、これは現実的ではない、普通ぽくない世界に行ってしまう。

認知する・される関係で芝居をする人を見ていた。

多くの人が、自分が認知している世界を投影するように演じる。しかし、それは、現実的なステレオタイプの解釈ではあるが、そのままでは、普通に感じない。

しかし、場面が非現実的なあり得ない世界に入った瞬間に、ああ、こういう世界は現実の世界だと感じられる。

現実の方が、芝居の世界よりかなり厳しく、考えられやいほどのバリエーションを持っている。

|

« 母の日 | トップページ | 奈良に来てます »

ゆれる」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 母の日 | トップページ | 奈良に来てます »