歴史が人をつくる
今日、父親と同年代の人と同席し、その方のライフヒストリーを聞いていた。
だいぶ酒が入っていたのか、話に熱が入り、苦労話も、笑いあり涙ありの大芝居になっていた。
昨日は、息子と同年代の青年と酒を飲んだ。理屈が多く、自分を大きく見せようとすると、それだけ話が小さくなっていた。
歴史を語るには、それなりの人生を生きている必要があるということだろうか。
そんなことを思い出しながら「我が家の歴史」を見ていた。
主人公と私は殆ど同じ年である。
つまり、西田敏行がおじいちゃんで富司純子がおばあちゃん。柴咲コウと佐藤浩一が両親となる。
僕が生まれる前に、我が家もずいぶんと引っ越したらしい。
それに、ずいぶん苦労したらしい。
らしいが続くのは、主人公である僕にとって、記憶にないということ。しかし、記憶になくても歴史が続いている。そして、僕が生まれる。
初めに紹介したお爺さん(と、昔なら云われる)は、我が家の歴史が戦争によって消えてしまったことを寂しいと語る。
でも、細胞の中に、しっかり歴史がしみこんでいるということは、お爺さんの飲みっぷりですぐに分かった。
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