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2010年4月 9日 (金曜日)

ぼくはうみをみたくなりました

自閉症という病気とその病気をもつ成年を受け止めようとする大人たちの映画だと思った。

少年は、自分が自閉症だとは思っていない。

これは、認知症でも同様だ。

少年の行動にはそれなりの意味があり、自分のパターンがある。あるというより、その行動様式によって生活の殆どをコントロールしている。

そちらの世界からこちらの世界を見るとどうみえるか。なかなか難しい問題だ。映画のなかでも感じることは、彼らの世界は、自分を中心に回っているということだろう。

それは、彼が、動物としての感覚を大切にして生きているということで、そうした感覚を研ぎ澄ませないと生きられないということかもしれない。

社会的な生き物として文明を作り上げ、たどり着いた21世紀は、人間の歴史の中で築いてきた負の財産を捨てる時代になってしまった。

環境にやさしいとは、それまで持ち続けてきた物を捨てるという選択だと思う。

彼らは、99%の人間がもつ価値と違う価値で生きている。それは、物に対する価値の違いだろう。

これからは、持つことに価値を置く時代から、捨てることに価値を置く時代に変わっていくのではないだろうか。

そういえば、少年のバッグには、ミニチュアの車以外には物が入っていなかった。生きる上で、必要な物はそれほど多くはないのだろう。

矢野顕子の歌に、「タンスの中に洋服があるのを見ると、もっと欲しくなる」という詩があるが、どうも物では自由は得られないということらしい。

一つだけ欲しいものがあったら何を望むだろう。

この少年なら、海に落ちたミニュチュア車だろうか。

それとも、母親の笑顔だろうか。

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