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2009年12月 7日 (月曜日)

探さない

自分を探したいと思うことがあるが、何も見つからない。

そもそも何もない。

TAではゲームというが、人生脚本を作る時、僕の人生は「もしかしたら何かあるのでないか、いや、やっぱり何もない」という脚本を書いてしまった。

戯曲の主人公は、僕自身だ。

僕は、自分を主人公として、何かを探させる。そして、何もないことを思い知らせ、「ほらね」とやる。

どうも、自虐的である。

みうらじゅん氏が言うように、「自分捨て」の旅に出たのにも関わらず、気がつくと自分探しをしているようなものだ。

先日も京都を自転車で走り、石庭を眺めつつ、何かを探していた。

外国人がボーと歩いていると、「お困りですか」と声を掛ける。

大学院に行き始めたのは、新しいことを探すためではなく、何もない僕の人生を確認するためだった。

それなのに、若い人と何かを探そうとしてしまう。

哲学者の中島先生が「人生を半分降りる」生き方を説いているが、既におろされている生き方を選んだのにまだ乗っている気になっている。

洋服は3枚あれば十分だ。

それでもあたらいい服が欲しいのはどうしてだろう。

いつも被っている帽子をついこの間失くしたばかりなのに。

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コメント

「僕はペシミストなんです」という人の講演を聞いた。すごく暗くて、涙が出てくるような辛い人生を聴いた。でも、ものすごく魅力的な人だった。その人は挫折の人生だったと告白した。学生結婚をして、すぐに生まれたお嬢さんを愛せなかった。自分には無理だ、と一度は断った仕事を次々とシブシブ引き受けて生きてきた。自信が持てない・・・・・。私は話を聞きながら、いや、この人、苦労はしたのかもしれないけれどかなり頑張って生きてきた人だな、結果的には成功した人生を送っているんじゃないかな、と思った。講演が終わって、ペシミストさんは謝礼が多すぎるから主催者にお返ししようか、と明るすぎる奥さんと相談していた。ケッコウ幸せそうな光景だった。それでも、その先生は思春期にできなかった事を、思秋期になった今、もう一度、悩みつつ、もがきつつやり直そうとしていると、静かに語った。福まねさんの記事を読んでいたら、急にダブってきた。オプティミストの私にはそんな人生を真面目に生きている姿がカッコよくてすてきに思える。

投稿: 楽天家 | 2009年12月 8日 (火曜日) 08:34

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