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2009年12月22日 (火曜日)

僕のかけら

ひろしは川原を歩いていた。

30分前に母親とけんかをした。

「こんな家なんか出て行ってやる」と、母親の言葉に反射的に口が動いていた。次の瞬間、靴を履いて玄関を大きな音を立てて出ていた。

失敗したと思った。机の上のウォークマンもDSも、携帯ももちろん持っていない。

ポケットの中を探ったら、今朝貰った千円札が入っているだけ。

そうだ、「お昼に何か食べな」と貰ったんだ。今はいている靴も、この前買ってもらったものだ。

ああ、なんだか暗い気分。

ひろしは、3ヶ月学校に行っていない。学校が嫌いなわけじゃない。勉強だって好きな科目がある。学校がひろしを嫌いなんだ。

それに、友達が俺を嫌っている。「そういうのを友達とは呼ばないよ」と、中学校の友人の金田はいう。その金田は別の高校に行ってしまった。電話をすると、「忙しいんだ。そっちはどう?」と聞くから、「まあまあだよ」と云ってしまう。

まあまあな訳が無いじゃないかと、もう一人の俺が言っている。

12月の川原には誰もいない。駅の方の賑やかなところよりはましだ。ニコニコしている人の顔なんか見たくない。それにしても、川原は寒すぎる。

だんだん身体が硬くなり、首がからだの中にもぐりこみそうだ。そのまま下を向いて歩いていたら、それを蹴飛ばした。

それは、3メートル先に着地した。そして、僕の方を見ている。

僕もそいつを見つめた。

それは、ぼくのかけらだった。

なんか嬉しくなった。ずっと前から探していたもののような気がする。僕のかけらを拾い上げるとそれなりの重さと存在感があった。それにあったかい。

つぎにどうすればいいか考えた。

考えたけれど、どうすればいいか思いつかない。当然だ。僕のかけらを拾ったことなんかないし、今までだれも教えてくれなかった。

いつもの僕なら、「教えないほうが悪い」と云っていた。けど、今日は、そんなことさえ云えない気分だ。これは大変なことだという感じがする。心臓がドキドキしている。

川原に端に立ってじっとしていたら、向こうからおじさんが歩いてきた。おじさんの目は据わっている。おじさんは「ふじお」さんという名前だ。

どうして名前が分かったのかというと、おじさんの元は青かったセーターから出ているシャツに「ふ・じ・お」と書いてあった。

洋服に名前が書いてあるのは幼稚園の子か、フラフラと歩いている爺さんくらいだ。だから、ふじおさんもそういう人だろうと思ってムシすることにした。

ふじおさんが僕の横を通り過ぎて行った。その時、「かけらは、お前だよ」と言った。

たしかにそう聞こえた、その声は北風に乗って川の上を舞っている。

なんか分かったような気がした。それから僕の取った行動は、寒い川原の草むらに入ることだった。そして、洋服の上から体を触り、僕の欠けているところを探した。

きっと、僕には足りないものがあるんだろう。その欠けているところにそれをはめれば僕は完成する。そうだ、未完成だったから嫌われていたんだ。そう考えたらなんとなくほっとした。からだのあちこちを押したりなでたりした。

けれど、どこを探しても、穴は空いていなかった。ジグソーパズルのように欠けているピースはない。それでも僕のかけらは絶対に僕の一部だという確信はますます強くなってきた。

自分探しに疲れた。

その時、上の方から手が伸びてきた。

その手には、ジュースがついていた。

ふじおさんの手だった。ふじおさんは、「すこし休んで飲みな」と言った。

飲んでだいじょうぶかと思ったけれど、ふじおさんの目は「早く飲め」と云っている。仕方なく飲むと、普通のコーラだった。

ふじおさんは、かけらのことを知っているのか。それとも何にも知らないのか。

ふじおさんに聞こうとしたけど、やめた。これは僕の問題で、ふじおさんの問題じゃない。

それに気づいたのか、ふじおさんも黙ってコーラを飲んで、ゲップをしている。

それから、しばらく目を閉じて息ができないほど考えた。そして、「かけらが僕を探していたのかもしれない」という結論になった。

どうしてそうなったのかは分からない。とにかくそうなった。

そういえば、親父が口癖のように言っていた。

「困ったことがあった時は、反対から考えろ」と。こんな時に親父のことなんか考えたくはなかったけれど、出てきてしまったものは仕方がない。

そうすると、どうなるのか。また分からなくなった。

それでもやってみようと、僕は、自分をその場で脱ぐことにした。脱いだ自分は、ふじおさんにあげた。ふじおさんは、嫌な顔ひとつしないで貰ってくれた。

脱いでしまうと、なにかが軽くなった。じゃあ、家に帰ろう。

スキップをしながら川原を走ると、へんな音がした。

からだのどこかにかけらが当たって音がしている。

からから言っている。

それを握り締めると音は小さくなり、少し温かさを感じる。こんなに寒い川原でも暖かくなれる。

その頃、ひろしの父彰も川原を歩いていた。美代子から連絡をもらいやってきた。

美代子の勘はいい。彰に隠し事があるとすぐに見破る。左足が動くのがサインらしい。彰もそれに気づいているが、どうしても左足が動いてしまう。

それにしても川原は寒い。さえぎるものがないので北風は背広の中まで入ってくる。そう、彰はコートを着ていない。ちょっと出てくると同僚にいい、会社を出た。

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コメント

何を言おうとしているのかさっぱりわからないこの文章を読んでいるうちに、はっと気付いたら感情移入して、同感している自分がいた。文字が映像となり、過去に見たことのある風景の中にいるような懐かしい気持ちになった。みんなに嫌われている気がして学校に行けなかった自分。大事なものをどこかに置き忘れたような気持ち。振り返りたくないのにつねに付きまとう私の過去。

投稿: 共感者 | 2009年12月27日 (日曜日) 08:08

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