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2009年11月

2009年11月25日 (水曜日)

僕たちは何を見ているのか

マイク・メイの目は開いた。

突然、無数の光が飛び込んできた。色の洪水のように。絨毯の模様が色として目に飛び込んでくると、それは模様に意味は薄れ、ゴッホの絵をまつげがつくように見るようなもの。

動くものや色彩を感じることはできるようになったが、人の顔を識別することができない。

見えるのに、その意味がつかめないらしい。

見ることは、学習によって可能となっている。

世界と出合い、世界を経験する中で、それを認識する。認識した瞬間、見えるものに意味が生まれる。

見ることにとって、触れることの意味は相当に大きい。

目がものを見るのではなく、脳が見ている(認識)。

つまり、僕たちは見たいように見ている。

だから、いま、目をつぶるとよく見えるものがある。

それが何かは云えないけどね。

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2009年11月24日 (火曜日)

大阪

大阪に来ている。

一昨日、京都を回り、奈良に、そして大阪。

奈良では鹿にしか会わなかったが、大阪は人が多い。

昨夜は、吉本の若手のおしゃべりを聞いていたが、まったく理解できなかった。何しろ阪神の選手の話ばかりで。

大阪人は、人生を阪神に重ねて考える癖ができているのだろう。

そういえば、梅田の路地を歩いていた恋人の会話もすごい。

女性「寂しいねん」

と、言うなり、自分がどんなにさびしいかを切々と語りだす。

すると、男性が

「何を言うねん。お前は子どもか。阪神がこんな状態でも俺たちは我慢しているねん。それに比べたら、そんなん辛抱できるやろ。人生は辛抱や」と。

こう言い放つ男性の瞳は光っていた。

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2009年11月20日 (金曜日)

僕たちは何を見ているのか

ロバート・カーソンさんの「Crashing Through-The extraordinary true story of the man who    dared to see」邦訳「46年目の光」NTT出版を読んでいる。

3歳の時に事故にあい、失明したマイク・メイさんが46歳のとき幹細胞移植術を受けて目が見えるようになるというホントウの話である。

そのマイクさん、やることが凄い。

まだ、3分の1しか読んでいないが、すっかりマイクの虜になってしまった。目も開いていない。

マイクの信条は、

1、冒険すること。

2、好奇心を大切にすること。

3、転んだり、道に迷ったりすることを恐れない。

4、道はかならず開ける。

である。

マイクは、普通の学校に行き、普通に友達を遊ぶ。

目が見えないことを気にしないで走り回る。当然、あちこちにぶつかり、転び、怪我をする。しかし、好奇心の方を優先する。

スケボーに乗り、自転車に乗り、知らない町や、知らない外国に出かける。

もちろん、転がり、蹴飛ばされ、迷子になる。

しかし、冒険心を優先させる。

スキーを始めると、プロの選手が怖がる坂を猛スピードで下り、世界選手権で優勝する。

先日、50キロのスピードで坂を下り曲がりきれなかった僕は、自転車で転ぶことの恐ろしさを嫌というほど味わった。それも、見えているのに。

マイクの挑戦は留まることがない。前例がない、危険だという常套句を問題にせず、他の人にできないことが自分ができると相手を説得する。

その結果、大学で前例を作り、CIAに就職する。

また、女の子へのアプローチが楽しい。

経験の無さは、勇気と情熱と冒険心でカバーする。きっとチャーミングなんだろう。きれいな女の子が寄って来る。

目が見えないことを楽しんでいるマイク。

この後、どうなるのか楽しみだ。

※マイクが劇団に入り主役をもらう場面がいい。

演出家に、「困った顔をしてくれ」と言われる。

しかし、マイクには困った顔ができない。それで、演出家に顔をいじってもらい、表情を少しずつ変え、困った顔を作ってもらう。

表情というものは、相互に認知して作られるものなのだろうか。目が見えない人も困るし、困った顔をする。しかし、それを困った顔と認知されるには、もうひとつの段階が必要なのかも知れない。

つまり、目が見える人は、困った顔を見せるステップを踏んでいる。

表情は社会的なものであり、相手を意識して作られているのだろう。

さあ、続きを読もう。

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2009年11月18日 (水曜日)

ささやかな徳について

宿題で寝る前に人生の価値を並び替えている。

テキストとして「ささやかながら、徳について」アンドレ・コント・スポルヴェルを読んでいる。

当初、自分が望むものを選んでいたが、自分にない徳に関心が移ってゆく。

アンドレさん曰く、

「礼儀正しさ」「誠実さ」「思慮深さ」の徳を初めに紹介している。

それにしてもこれまでの人生で一番遠い価値観である。

ちなみに、「礼儀正しさ」のところには、「礼儀正しいだけでは不十分だが、もろもろの徳は礼儀正しさから生ずる」とある。

礼儀正しくない人は、まず、ここからはじめればいいらしい。

続いて「誠実さ」は、「モラルは礼儀正しさから始まる。それを性質を変えながら引き継ぐのが誠実さである」。なるほど。引継ぎます。

そして「思慮深さ」に移る。「思慮深さとは、見通しのきかない未来にかかわる徳であり、好機をとらえる徳、つまり忍耐と予見の徳なのだ」

そうか、辛抱が大切だということか。

あすは、「同情」「慈悲」「寛容」の徳に移り、楽しみを見つます。

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2009年11月17日 (火曜日)

有料病院

豪華な病院を見学した。

豪華さと共に人の多さ、行き届いている教育に驚いた。

病院や施設に行くことが多いが、どこも人で不足を嘆いている。

しかし、この病院ではスタッフが笑顔でゆったりと仕事をしている。この違いはどこにあるのか。

それは費用である。

個室、特別室などの差額ベッドが中心となり、その負担できるの患者が入院している。

つまり、有料病院だ。

治療優先というより、生活優先の病院というわけだ。

病院は診療報酬で経営する場合には、国のコントロールができるが、診療報酬に頼らないで独自の経営スタイルを築いた場合には、このような経営ができる。

当然、年金だけでは入院ができない。

かなりの貯金や収入のある人だけが入院できる。

格差は、病院にも確実に訪れている。

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2009年11月16日 (月曜日)

インタビュー

第三者評価には利用者調査という項目がある。

施設で生活する利用者に直接意見を聞き取り、その意見をサービスや施設計画に反映することをねらいとしている。

インタビューでは、できるだけゆったりとした場所で、自由に話を聞き取ることが大切だ。

もちろん、プライバシーが守られる場所で。

しかし、現実にはそうも言っていられない。

テレビが大音量で流れる食堂で話を聞かなければならないことがあり、耳の遠い利用者には大声で質問することもある。

決められた質問項目を読むだけでは、質問はできない。

そうした言葉は相手に届かない。

「食事に満足していますか?」という質問を、そのまま読んでも何のことかさっぱり分からない顔をされる。

かといって、「食事は美味しいですか?」と聞いたのでは、「はい」で終わってしまう。

では、どうしたらいいのか。

わからない。

分かっているのは、食事に満足しているか、食事に対する意見や要望はあるのかを聞き取ることが目的だということだ。

だから、認知症で、言葉では意見を云えない人であっても、食事の場面を観察することで調査はできる。

また、食事にまつわる話をしながら、何に拘りを持っているのか、どんな食生活をしてきたか、子ども時代の食にまつわるエピソードを聞き取ることも、その人の食に対する意識を知る手がかりになる。

だから、山形の海沿いで生まれた人と福島の山沿い育ちの人では食べているものが当然違う。その違いが分かるとインタビューも深まる。

まずは、インタビュアーが豊かな食生活をしていないと、豊かな聞き取りは難しい。

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11月23日の夜

11月22日奈良、23日大阪に泊まる事になりました。

23日の大阪の夜、予定が空いたので、大阪在住の読者がおりましたら一緒に飲みませんか。

宿泊は、ホテル・ザ・ルーテルです。

メールをお待ちしております。

少しなら遠征いたします。

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2009年11月15日 (日曜日)

Map of Narrative Practice

ナラティヴ実践地図 2009年マイケル・ホワイト 小森・奥野訳 金剛出版

問題の外在化

多くの人にとって問題は、「自己ないし他者の自己に内在する」と信じられてきた。

その問題を外在化=自己の外に出すことにより、内的理解の解毒剤となる。

ADHDと診断されたジェフリーとホワイトの会話が楽しい。

ジェフリーの世界にホワイトが入っていく。それは、ホワイトの世界=物語なのかもしれないし、ジェフリーの隠された世界なのかも知れない。

「君のADHDは何色?」と聞く。

その質問はジェフリーには届かない。

しかし、ホワイトが今まで出会ってきた大人でないことがジェフリーには伝わっている。

「君には弟がいるだろう?」

「クリスチャンだよ」

ジェフリーが反応する。

「君のADHDにも双子がいてね、そっちに会ったんだよ。2.3週間前に」と、物語は始まる。

もう、ADHDはジェフリーの内的な問題ではなく、ADHDという人格をもった存在となった。そのADHDが次第に様々な行動を起す。

そうすると、ジェフリーはADHDを客観的に観察し、自由に物語を書き換えはじめる。

私たちは頭が痛いとか、肩や腰が痛いとかいう。

ココにも、問題の内在化がある。

頭や肩や腰は決して痛がったりしない。私たちが痛いと感じようにしている。

脳は、なくなった手足でさえも、痒かったり、痛がったりする。

それがないにも関わらず、痛みを感じる。

問題は、むしろ私たち自身の感じ方、認知の仕方にあるのかもしれない。

リ・メンバリングとは、メンバーから外れた人を再びメンバーに戻す作業だと思う。

いなくなった人は存在が消えたのではなく、「いない」と感じる私の認知が問題を生み出す。いなくなった人も、物語の一部として私たちと同時代を生きている。

今、この時間も、隣に座っている。

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「見る」と「書く」との出合い

大学で本を借りる。

できるだけ新刊を借りるようにしている。それは、世の中の関心がどっちに向っているかを知るためであり、知的好奇心から。

「みる」と「書く」との出合いーフィールド観察学入門 2009年 麻生武 新曜社

観察した事柄を伝える「書く」学問らしい。

しかし、観察する事柄は、電車の中であり、大学の学務課でり、通学路である。つまり、普段何気なく見過ごしている風景(目に飛び込んでいる景色)を観察し文章にする。

その大学が奈良女子大学。

あれ、どこかで見たような大学だと思ったら、奈良の高嶋社会福祉士事務所がその近くにあったこと、前の路地を進むと大学につながっていることを思い出した。

それこそ奈良女子大学だった。

学生に課されたテーマは、近鉄奈良駅から大学までの通学路を観察することだった。

本の中にはその観察記録が載っている。

その通りは「ひがしむきどおりきた」という。

東に向いているのか、北に向っているのかさっぱり分からないが、とにかく「ひがしむきどおりきた」には、沢山の商店があり、カトリック教会の横のビルに高嶋氏の事務所がある。

「ひがしむきどおりきた」を何度も往復したこともあり、学生の路上観察記録はとっても楽しく読ませてもらった。

鰹節の専門店があり、大仏プリンを出している店があることを知った。

今月22日23日に奈良、大阪を訪れるので、大仏プリンを食べたくなった。

観察する目は、フィルターがかかっていると著者はいう。

何かに注目し記録するとき、それを選んだ、認知したということになるのだろう。すると、それ以外のものは選ばれなかった、認知されなかったことになる。

だから、子どもが生まれた時には、街には赤ん坊が溢れて見えるし、気分が落ち込んでいる時には、具合の悪い人や顔色の悪い人ばかりに会うような気になる。

目が悪くなると音が気になり、指を切ったりすると、感触が鋭くなる。

好きな人が側にいれば、どんな町でも輝いて見える。

女子大の学生は何でも観察し記録する。

ちなみに、今僕が座っている空間を観察する。

事務スペースである空間は、幅1メートル、長さ2メートルだ。

しかし、この小さな空間は世界につながっている。

目の前には一枚の写真がかかっている。写真には、イタリアの教会見える。

教会に扉を開けると中世の時代に行くこともできる。

つまり、観察する人間の認知や経験、そして頭の中の物語が空間をいくらでも広げてくれる。

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2009年11月12日 (木曜日)

福祉の仕事

福祉の仕事って何だろう。

そんな仕事があるのだろうか。

そもそも福祉とは何だろう。

ともかく、漠然と、福祉というものがあると世の中では思われている。

福祉という言葉は便利で、選挙の時や、悪いことをした人が「福祉」と言うらしい。

福祉の仕事に就くのは簡単だと思われている。

それでいて、「給料は安いですか?」と聞く。

もし、簡単な仕事だったら、当然に「給料は安い」。

また、難しい仕事なら、就職も大変になる。

誰でもできるようでいて、誰にでもできるわけではない仕事かもしれない。

まあ、変わった仕事であることは確かだと思う。

人を援助してお金を貰うということは、矛盾を含んでいる。

困っている人を助けて、お金を貰い、困らせるようなもの。

その矛盾を内包している仕事にどう向き合うか、そこのところを考えることが大事だ。

だから、まず、人を助ける前に自分を助ける必要がある。

自分を助けることができなければ人を助けることはできない。

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2009年11月11日 (水曜日)

枯れる

銀行員の頑なな態度に30分ほど粘り、人情に訴え、その後退散する。

午後から、介護の日のイベントに参加。

何でも相談員として10数人の話を聞き、お答えする。

できるだけ柔軟性の高い回答を心がける。

ビールを3杯飲み、陽水のコンサートに。

陽水は、ますます柔軟性の高い、力の抜けたおじさんになっていた。

さすが。

こういうオジサンの歌手、いや、詩人の声を聞ける世の中になったんだと立ち上がって手を叩いた。

中学校の時、ギターで初めてうたった歌は「傘がない」だった。

その時思った。

どうしてこの人は傘がないのだろうと。

武藤君。

元気ですか。

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2009年11月10日 (火曜日)

納得できない

クライエントと話をしていて「納得できない」と言われたり、納得していない表情をされることがある。

そんな時、説得や誤魔化しをしても何にもならない。

その場をやり過ごすことはできても、二人の関係はよくならない。

特に、判断能力が落ちている人に対しては、もっと時間をかけて話をすべきだと思う。

うそをつかないということも大事だが、ホントウのことを話すことが重要だ。ホントウのことというのは、沢山ある。

コップを見て、「横から見れば長方形に見える」、「裏は丸に見える」、「水が入る」し「ビールも入る」、「ガラスでできている」、「触ると気持ちいい」かもしれない。

どれも事実だ。

それにうそをついていない。

納得ができない人の、今は「納得したくない」という事実を大切にする必要がある。

でも困るでしょ?

と言われる。

でも、困るのはクライエントではない。

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2009年11月 9日 (月曜日)

無料相談会

無料相談会のお知らせ

日時;メールで問い合わせください。

    11月は、15日、17日、23日、30日が可能です。

    時間は一人30分

場所:新百合ヶ丘辺りの喫茶店。

   木曜日、金曜日については調布、三鷹辺りでもOK.

内容:当ブログに書かれているようなことなら何でもOKです。

というものをはじめます。

申し込みはメールでお願いします。

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施設案内

福祉施設を案内してもらうことがある。

案内とは、そこでどのようなサービスを行っているかを紹介することだと思っている人が多いが、本当にそうだろうか。

案内する人(施設の人)は、見学に来る人は皆、施設の全てを知りたがっていると思っているようであるが、そんなことはない。

ちなみに、「何が見たいですか?」「どこが見たいですか」と聞いてください。

そして、「その、どんなところを詳しく見たい(知りたい)ですか?」と。

そうすると、初めて来た人にとって「よく分からない」と答えるだろう。

つまり、見る前に(見せる前に)話をよく聴く必要がある。人は、興味がある、関心があるところを見る(見せる)場合に、満足度が高くなる。

だから、

話を十分に聞いた後では、見学しなくてもよくなるかもしれない。

話に聞いたことを見学で確認することができるかもしれない。

壁にある「あれ」は、実は「あれ」なんですと云われれば、壁をさわり、「やっぱりあれは凄いですね」となる。

つまり、見学はおまけである。

おまけでない見学は、自由に散策できる場合だけだと思う。

自分が見たいもの、興味がある所を見る。これは、美術館で作品を見るようなものだ。

見学で「良かったです」と言われる時は、見学したことではなく、案内の仕方や接客態度が「良かった」と云っている。

見学者には、見て欲しいポイント、つまりビューポイントだけでも事前に説明するといい。できたら、作品の紹介パンフレットを作ることをお勧めしたい。

そうでなければ、話をもっと聞いて欲しい。

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2009年11月 8日 (日曜日)

嫌いなことはしない

ジョン・バニヤンを知りません。

天路歴程を読んだことはありません。

話は変わって、「かもめ食堂」をテレビで見た。

さちえ(小林聡美)が、「嫌いなことはしないようにしているの」と云っていた。

映画で見るさちえは、自由である。

ヘルシンキから沖縄に飛び、チェンマイで暮す。

家族がいてもいなくても、人生をどう生きるかという面では、しっかりしている。

三谷幸喜ではこうはいかない。(たぶん)

どっかに、何かが引っかかっている。それは犬かも知れないし、仕事かも。

とにかく、何かをぶら下げている。

引きずる人生というのも、格好が悪くていい。

そう

「逆説と対抗逆説」という話を読んでいる。

すっきりしない人生。

それは、落ち着かない人生であり、片付かない人生だ。

とにかくごちゃごちゃしている。

その散らかり具合が楽しそうだ。わくわくして。

しかし、側にいる人は迷惑だろう。

それが嫌なら、一人で食堂をはじめよう。

どっちを選ぶ?

店舗は空いてます。

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眠い

眠い顔の青井さん(仮名)を訪問。

部屋に入ると、硬い枕を敷いて寝ている。しかし、人の気配で目を開ける。

テレビは大音量でついているのにそれには反応しない。

青井さんは夢を見たと、報告してくれる。

「お母さんに会いに行ったのよ。そしたら、死んじゃったって云うじゃない。一緒に暮らそうとしたのに」

「ふーん」と返事をする。

「お母さんと暮らしたら楽しいじゃない、でもね、死んじゃったのよ。昨日」という。

青井さんに冗談をいう。

青井さんが笑う。

青井さんを褒めちぎる。

青井さんが嬉しそうに笑う。

「ことろで、仕事しているの」と心配してくれる。

「何とか」という。

「はやく、配った方がいいわよ」と、弁当の配達をしろという。

「はい」といい、青井さん見る。

もう寝ている。

「じゃあまた」といい、弁当を配りに行く。

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東京を走る

世田谷通りから三軒茶屋、渋谷、外苑前と自転車で走った。

京都に比べ、東京の道は走りやすい。

青山辺りで休憩。屋台で食事+ワインを飲む。

銀杏並木は、まだ青い。

今日は、教訓Ⅰを歌った。

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キツネの夢

Tony Mcmanas の The Maker`s Markをインターネットで買った。

彼の曲を聴いていると、昔、キツネだった頃のことを想い出す。

草原に隠れ、何かを待っていた。

キツネには名前がない。ずっと一人で餌をとっていた。

名前は友達がいるキツネに必要なもので、僕には必要がなかった。

ときどき風に吹かれながら夢を見る。

夢の中ではやさしい女の子が見える。草原の彼方から現れ、そして、僕をやさしく見てくれる。金色の髪が風にそよいでいる。

目が覚めると、草がなびいている。

僕は、大きく吠える。

僕の声は空に向かってのぼり、そして、霧になる。

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2009年11月 6日 (金曜日)

ルール

精神的な病気であることでシャットアウトされることは差別である。

しかし、当然のように、「手がかかるから」という理屈で入り口から入れないことがある。

認知症という病気であるということで説明さえしてもらえないことは、基本的権利の侵害である。

しかし、「本人が混乱するから」という理屈で手続が進む。

誰のための理屈なのか。

もちろん、施設や制度のためであろう。

民主的な手続は面倒なことが多い。しかし、手順を踏んだり、時間をかけて説明することは、私たちが手に入れた新しいシステムではないのか。

問題は人ではなくシステムだとすると、私たちがそれを望んでいるのだろか。

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