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2009年10月19日 (月曜日)

素直

北山修は著書「劇的な精神分析入門」の中で、「素直になれるか」という文章を書いている。

「内に抱えている素顔の自分、あるいは自然な自分(英語でいうなら‘natural self‘と訳したい)、これを外に向けてどこでどう出すか、あるいは出さないかが、誰にとっても大きな課題だ」と述べている。

私たちは、素直になれる場所が必要だ。それは裸になれる場所だと北山はいう。

たとえば、寝室であり、便所であり、浴室、個室・・・

そこには、誰も立ち入ることができない。

つまり

安心できる場所=素直になれる空間には、孤独がつきまとう。

誰かに居てほしいと感じると同時に、誰もいないことで安心する。

動物であると同時に人間として振舞う私たちにとって、その場所は、動物/人間という役割を交換する場であるとも言える。

苦しいほどの素直さは、感受性の豊かさや才能の大きさでもある。それだけ、大きな孤独を抱えて生きることを要求される。

そんな孤独に打ち勝つために用意されているのが、「楽屋」だという。

人生の舞台に上がるため、また、舞台から降りて化粧を落とすため、楽屋は大きな意味を持つ。

楽屋の団員として北山は苦悩しているように見える。

少し長くなるが引用する。

「「充実」「満足」とともに、人生の目標や価値のひとつに数えられる「幸せ」は「仕合せ」「為合せ」と表記されることがある。その文字通りの意味からも分かるように、「幸せ」の代表的な条件は「うまく合うこと」であり、合うこと、合わせることと合わせてもらうことは幸せになるための条件、努力目標、義務となる。幸せへの努力は、具体的には、待ち合わせ、示し合わせ、申し合わせ、口裏合わせによって行われ、このような「合せる」はふたりの人間の思いを意図的にひとつに組み合わせたり、一致させたりするという意味である。中略。こうして、自分が素直でいられて、それが周囲から受容されるなら、幸せである。」と。

彼らは「出合い」、作品を残した。

その作品に僕らは「出合い」、その力によって、今このとき、幸せを感じることができる。

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