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2009年8月14日 (金曜日)

和解

和解は一人ではできない。

和解には自分と相手が必要になる。それも、相手に和解の意思がなければ成立しない。

葉子さん(仮名)は、親との和解のために病院に向った。

そんなことは意識していなかった。そんなこととは、親を意識することだ。

意識しなかった訳ではなく、忘れるようにしていた。もっと詳しく云えば、自分の頭から消そうとしていた。

それほどの親だった。私は犠牲者だと思っていた。今もそう思っている。「あいつがいなければ」と考えたことが何度もあった。

しかし、それでも、自分の力がその程度だったと感じる。この程度が精一杯なのだろう。

ベッドに寝ている人は、知らない老人だった。

老人は、何か一人事のようなうめきを発していた。それが言葉なのか、恨みなのか聞き取ることはできない。

何度も呼びかけた。

気づかないうちに「おかあさん」と呼んでいた。

そうだ、この老人はお母さんなのだ。

そして、今はここに寝ている。しかも、管でつながれ、手を縛られて。

自分は誰と和解したかったのだろうか。母親か。

そうだとしたら、もう遅い。

自分とだったらこれからでもできそうな気がする。

だとすると、ここに寝ている老人は何の意味があるのだろう。

ここまで私を連れてきたのは、この人のお陰かもしれない。

帰りの車でジュースを飲んだ。

喉を透る甘い水で生き返るように感じた。

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