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2009年6月 3日 (水曜日)

ソリスト

映画館を出てきた女性が、「感動しなかったね」と友達と話していた。

一流の音楽院でクラッシックを勉強していた学生が退学し、その後、幻聴などで自分を見失いホームレスとなる。偶然に彼の弦が2本しかないバイオリンの音を聞いたコラムニストが、彼を記事にしたことから物語りは始まる。

空の視点から見ると大したことのない人生であり、地についた眼差しで見ると大きな出来事が起こっていることがわかる。

現実は、それほど感動的ではなく、一方で、感動的だ。

その差は見る者の視点にある。

映画は、空撮が何度も現れる。その点も面白い。

空から見るハイウェーは、幾何学模様にしか見えない。車に乗っている運転手の人生は見えない。しかし、実際には、様々な人生がその下には存在する。

感動は、それを想像できるかどうかにかかっている。

想像力とは、まだ知らないことを知りたいという願いのなかにある。

主人公の一つの眼差しでさえ、多くのことが語られている。

彼は家に住めないのか?住まないのか?それとも、家という概念がないのか?または、トンネルが家なのか?

感動するためには、それなりの準備が必要なのだ。

ソーシャルワーカーが言う、彼には病気である準備ができていない。診断をしても薬を無理やり飲ませることはできないと。

コラムニストは、彼の気持ちになかなか気づかない。それは、彼がアメリカ人だからかもしれない。人道的な白人だからかも知れない。

彼自信も、ソリストを理解する準備ができていなかった。

簡単に感動できるのは長島くらいであり、その何にでも感動する長島に感動するのが僕たちだ。

僕たちは、長島に感動する準備はいつでもできていた。

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