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2009年5月16日 (土曜日)

本を読む前にすること

本を読む為には、内容を理解しないといけないと思っていた。

しかし、理解するとはどういう事だろう?

なぜそのような問いを立てるのかといえば、理解したつもりでも、すぐに忘れている事実にぶつかっているからだ。

今では、読んでいる先から忘れてしまっている。まるで、忘れるために読んでいるような気さえする。

例えば、500頁の本を読み、面白かったと感じても、その「面白かった」という感想は、全体のストリーから感じるものであったり、著者の言い回しであったり、イメージの多様性であったり、とにかく、様々な要因がそこには含まれている。

そこに書かれているものの中から勝手に選び取り、勝手に解釈する作業をつうじて面白いと感じる。

それは、理解とは程遠い作業をしているのだろう。

今日、普段絶対に手に取らない本を手に取り、ある目的を持って読んでみると、目的に応じた内容が書いてあることにびっくりした。

つまり、本には読者を満足させる多面的な要素が含まれているのに、その中の一部しか活用していない。解釈やこじつけをおこなえば、どんな本にも関連する内容や意味は存在する。

本を読む目的が大切で、それを読む前に意識することが必要だ。そんな漠然とした思いをもって再び本を手に取ったら、同様の意見が書いてあった。

私たちは、自分が感じたいように物事を見ている。

自然が美しく思えるときは、自然を美しく見たいという気持ちがある。人を好きになるときも同じような事がおこる。

きれいだと思うから綺麗なのであり、その思いが伝われば、実際に以前より輝く。

そこに主体的に物事を取り込む作業が生まれる。

まあ、主体的な作業は疲れるから、寝る前はボーと難しい本を読み、前日何をしたかわからないほどぐっすり眠れることが幸せだと思うけどね。

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