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2009年5月 6日 (水曜日)

「ノ」を云う自由

「人は問題を解決する〈回答〉を必要としていない。人が必要としているのは、症状に焦点を当てるのではなく、個として自分のために明確に方向性を定めることに焦点をおくことである」:家族評価;マイケル・E・カー

映画「やればできるさ」のなかで、精神病の専門でないロッソは、自分がいいと思うことを患者もいいだろうと思い実践する。

ロッソのアプローチは、それ以前の薬付けの患者の可能性を広げ、新たな世界を生み出した。

そして、仕事が順調に進み始めたとき、彼は、より大きな課題に取り組もうとする。つまり、より大きな仕事をこなし、より大きな収入を得るための試みを始める。

それは彼の課題であり、彼の人生において達成できなかった葛藤だと感じる。

ロッソは、新しい仕事がいかに重要か、そして、患者たちの生活をいかに変えるかを熱弁する。

それまで「スイ」と言ってきた者たちは、はじめて「ノ」と手を挙げる。

ロッソにとって重要な課題は、多くの患者を社会に出すことであり、そのことを通じて自分の未完成の課題を満足させることだったように見える。

しかし、患者にとっての問題は、目の前のバカンスであり、食べるものであり、女性との交際であった。

患者の方が自分のための方向性がはっきりしていたということだろう。

初めて意見を否定されたロッソにドクターが掛けた言葉が洒落ている。

「今までやってきたことの一番の成果だったね」

迎合することより否定すること、人生にフォーカスすることが如何に難しいかが分かっているからこそ、「ノ」という言葉を待っていた。

どうしても解決する「回答」ばかりを探してしまう僕にとって、一番いい場面であった。

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